53.深く醜い欲の溝

 数日で、貴族と神殿、ソシアス公爵家の間に大きな溝が出来た。国王という要が消えたことで、それぞれが己の利益を求めて動き出す。ギータ様の仰る「深くて醜い欲」がこれだった。


 宗教国家として国を纏めるなら、神殿が実権を握るべきだ。そう主張するのは、ソシアス公爵家と神殿。貴族側は自分達の既得権益を守るため、必死で抵抗する。政と宗教は分離すべき? 一度目の世界で聞いた話ね。あれは行政もあったけど。


 一般の民は、神殿側を支持する。元々王政に不満を募らせた人達だから、当然の結果だった。そこへ追い討ちを掛ける形で、ギータ様の花嫁の実家が口を挟む。民は貴族の館を襲ったり、物品の納入を渋り始めた。税を神殿に納める集落まで出てくる。


 こうなれば、貴族制度を維持することが難しい。大貴族は財産を持って他国へ逃げ始めた。逃げられないような下級貴族は、そもそもの生活が平民と大差ないので、そのまま留まっている。どこへ逃げても同じだもの。


 邪魔な貴族連合が崩壊すれば、すべてうまく行く……わけがない。ここからが、本格的な争いの始まり。ソシアス公爵は、神の花嫁の父親であることを主張した。政の経験があり、神の義父になる自分が担うべきだ、と。私の想像通りだ。


 神殿は神に仕える聖職者としての立場を振り翳し、神託を受ける教皇猊下が頂点に立つべきだと言い放った。強欲な貴族であった公爵に、宗教国家は任せられない。清貧を旨とする教皇こそが相応しい。


「ギータ様の仰る通りになったわ」


「凄いだろ? ここまで誰も、俺の意見を聞きに来ず、勝手に話を進めている」


 言われて、確かにと頷いた。ギータ・リ・アシスはその名が示すように、古代竜ギータ陛下を頂点とする宗教だ。なのに、祀る神殿も義父になる公爵も、ギータ様の意向を尋ねなかった。決まった結論を押しつけるつもりだろう。


「呆れた、でも私も人なのよね」


 同じではないと思いたいけど、人間なのは事実。人よりいい生活をしたいと思った事がないと言えば、嘘になる。隣の人より立派な家に住みたいし、美味しい物も食べたい。同僚より稼いで、欲しい物を買いたいと願うのが人間だった。


「俺は欲を否定はしない。言っただろ? 俺にも物欲はあった」


 二千年ほどで消えた物欲、もし人間が同じだけ生きることが出来るなら、ギータ様のようになれるのかしら。


「ん? 俺よりカッコいい男は無理だぞ」


 茶化す口調ではなく真剣に真顔で言うから、私は「ぷっ」と吹き出した。やだ! 笑わせないでよ!


「ギータ様がカッコよくて優しいのは否定しません。でも、自分で言ったら台無しだわ」


「じゃあ、次からはフランカが言ってくれ」


 公爵家の別邸玄関ホールで、押しかけた神官が騒いでいる。押し留めようとする執事の奮闘や、怒鳴りつける公爵の声が聞こえた。この部屋だけが平和ね。


 可愛い子猫ペキはベッドで眠り、アデライダは物音を無視して本を読む。私はギータ様のお膝に頭を乗せて、長椅子に寝ていた。温かくて気持ちいい。


「寝ていろ、その間に階下の騒動も片付く」


 嘘をつかないギータ様の声を聞きながら、口元が緩んだ。復讐は後味が悪いって聞くけれど、甘い気がするわ。

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