第4話:御旗の元に集う
ギルド・グラシアルの本部にまたしても緊急通信が入った。例え銃弾を発砲する音に耳が慣れようと、鋼と鋼とがぶつかり合う音に耳が慣れようと、この緊急通信の音だけは慣れるということは決してなかった。
その一報は通信班からのものだった。
『魔物の全滅を確認した。そしてグラシアル側の被害はゼロ…何者かの戦闘介入があった模様…以上』
眼前の危機を回避することはできた。
だが、何者かの戦闘介入があったとなれば、いつその牙がこちら側に向いてくるかわかったものではない。
なにより、あれだけの魔物の群れを殲滅されることができるほどの戦力となれば限定的になってくる。
ギルド本部の作戦会議室は重い沈黙に支配されていた。この状況下において誰も口を開こうとしなかった。
そんな空気を引き裂くように再び緊急通信の音が鳴り響いた。
『オレはギルド・グラシアルのギルドマスターを討った者だ…』
作戦会議室が大きく揺らいだ瞬間だった。
『諸君に問おう…何のために戦っているのか、なぜ諸君の友は目の前でその命を散らさねばならなかったのか…。ギルドとは人の命を対価とし何かを手に入れるためのものではないということだ。人が命と引き換えに得られるものは自らの墓標にその名を刻む権利だ。ならばギルドは何のために存在するのか…』
この緊急通信が誰の手によって発信されているのかはわからない…だが、その声を聞いていた者は自然とその言葉に耳を傾けていた。
1つわかっていることがあるとすれば、ギルド本部にいた誰もその声を今まで1度も聞いたことがなかったと言うことだ。
『この乱世に武器を持ち、立ち上がった諸君の覚悟と強い意志は新たな時代において必要なものとなるだろう。そしてこれから、この世界は大きな転換期を迎える。変革がなされれば、命と引き換えに何かを得るという時代はもう終わりを迎えるだろう。そしてそれは同時にギルドというもののあり方が変わるということでもある。諸君は歴史の大きな転換期の立会人となるだろう…。歴史書の新たな1ページにその名を未来永劫刻もうという者は共に行こうではないか。ここから先の道は嵐吹き荒れる茨の路となろう…だが、我々が愛し、先祖と友が眠るこの地に安泰を取り戻すため…故郷に翻る御旗、そしてこのグラシアルの御旗のもと、我々は勝利を手にする』
聞こえのいい言葉だけで紡がれた言葉というものは、他人の心を打つということはあまりない。
ましてやそれが、どこの誰とも知らない人間から発せられたメッセージだとすれば、その懐疑心と言うのはどれだけきれいな言葉を使っていたとしても、拭いきれるものではなかった。
きれいに飾られた言葉と言うものは、特定のあるべき姿を他人に強要しているに過ぎない…だが、そんな言葉でさえ彼ら心には強く響いたことだろう…作戦会議室内には一縷の光が差し込んだ瞬間でもあったからだ。
もちろん、ギルドにいた全員がこの言葉に同意したわけではない。
自分たちが今まで多くの犠牲を払って守ってきたものもあったのは確かだからだ。
しかしその多くの犠牲を払ってまで守ってきたものに、それほど大きな価値があるとは到底思えない。
その価値と言うのは、当事者である彼らが決めることであるが、同時にそれは後の歴史家が決めることでもあったのだ。
先まで魔物との大規模な戦闘があった場所から少し離れたところに、グラシアルの前衛拠点があった。
翡翠と瑠璃が魔物の進行を防いだため、この拠点は被害を受けることはなかった。
拠点と兵の被害がなかったというのは、この規模の戦闘を鑑みると奇跡と言っても過言ではなかった。
そんな拠点に見慣れない二つの人影があった。
先まで魔物と戦闘を繰り広げていた翡翠と瑠璃だった。
翡翠の手には通信機の受話器がしっかりと握られていた。
翡翠は受話器に向けて何かを話し終えると、そっと通信兵に受話器を手渡した。
「協力に感謝する…」
拠点にいたギルドの兵も、翡翠の言葉には何も言い返すことができなかった。
「さぁ、お前たちはどうする…?」
前衛拠点にいた全員に翡翠は問いを投げかける。
だが、その問いに対して誰も声を上げることができなかった。
ギルドの本部に籍を置いている者より、前線でより多くの死を目撃している彼らにとっては、犠牲の上に成り立つものと言う言葉の意味が大きくのしかかってくる。
確かに彼らはその犠牲の上で大きなものを得てきたのかもしれない。
だが、その得られたものの、本当の価値は誰にもわからならかった。
もしかすると、それは死者の墓前に供えるにもお粗末すぎる程度のものなのかもしれなかった。
「これからギルド本部へと向かう…」
全く素性のわからない人間をギルドの建屋へと招き入れると言うのは、本来はありえないことだ。
翡翠がギルドの本部へと向かうと言う意思を示した瞬間に、本来であればそこにいる兵の誰かが止めに入るはずだ。
だが、そこにいたのは失意の中ただ立ち尽くしたカカシに過ぎなかったのだ。
「安心しろ…お前たちがもう武器を握る事は無いはずだ…」
翡翠はそう言い残すと、ギルド・グラシアルの本部へと向かっていった。
ギルド本部に三度目の緊急通信が入った。
『ギルドマスターを討ち、此度の魔物の進行を阻止したものがそちらに向かった…以上』
後の歴史書にも、その時声を発していた通信士の声が今までに聞いたことなく憔悴し、そして力なく聞こえたと伝えられている。
作戦会議室内に再び大きな混乱がもたらされた瞬間でもあった。
だが、今武器を手にしたところで、おそらくこちら側に勝ち目は全くない。
この建物を放棄しようとも、おそらく追手から逃げきる事はできないだろう。
彼らはただただ一歩ずつ近づいてくる死神の足音に、自らの寿命を指折り数えることしかできなかっただろう。
ギルド入り口の門番の目にぼんやりと2つの人影が映り込んできた。
2つの影は一切迷うことなくこちらに向かってきていた。
その影が2人の獣人のものであると気づいたのは、それから間もなくしてのことだった。
徐々に大きくなり、そして輪郭が鮮明になっていく。
人影を前に門番たちも、ただそちら側を見つめ立ち尽くすことしかできなかった。
もちろん手に握られているへ剣を抜くこともできたであろう…だが、まるで彼らの手は第三者に押さえつけられているかのように、剣を鞘から抜くことさえ叶わなかった。
やがてその2つの人影は、ギルド建屋の入り口までやってきた。
「通してもらうぞ。ここに用がある…」
直立不動の門番を横目にその2つの人影は建屋内へと入っていった。
「ここからグラシアルの本部か…」
「そうみたいだね。」
「指揮官はどこにいる…と言いたいが、さしずめこの奥といったところか…」
ギルドの建屋内で、床の敷物にほとんど汚れやダメージがなく、またやたらと上等なものを敷いている廊下があったのだ。
「人は、力を持つ変わるものだ…」
もちろん廊下の道中にもギルドの兵はいた。
彼らの手には剣や銃のようなものが握られていたが、それらがこちらを向く事はなかった。
少し廊下を進むと、大きな扉が目の前に姿を現した。
これほど世の中が混乱していると言うのに、その扉だけまさに絢爛豪華の一言で言い表せる作りであった。
「あんな奴にはもったいない品だ…」
そこは紛れもなく作戦会議室だったのだ。
重い扉がゆっくりと開いていく。作戦会議室にいた者全員の視線がこちら側へと向けられた。
「怪異の目で見られたところで今更何も感じない。俺は糸魚川翡翠だ…」
「おい、こんなことをして許されると思っているのか。お前がやった事はギルドマスターの暗殺、それは大罪だぞお前1人の命を持っても償い切れたものではない。お前のその行動でどれだけの命が危険にさらされたと思っている。どれだけの命が失われたと思っている。今更ここにのこのこきて綺麗事を並べられたところで、ここにいる者全員誰も納得をせんぞ。」
その言葉はまさにギルドグラシアルに所属する者全員の心の声だったのかもしれない。
彼らも彼らなりの意地があったギルドに所属しているという誇りもあったであろう。
だが、そんなものを一瞬にして足蹴にするような行為は、良いようには映らなかった。
「俺は綺麗事を並べるつもりも、ここにいる全員を納得させる気もない。お前たちがグラシアルとして存続したいのであれば、それはお前たちの自由だ。そしてもし俺が憎いのであれば、この場で仇討ちをすれば良い。5分時間をくれてやる。その間に俺を斬りたければ斬るがいい。
翡翠の両眼に再び光が宿る。
その光は相手を威圧するものでもなければ、相手を完全に服従させようと言うものでもなかった。翡翠は最後に彼らに問うたのだ。
翡翠は無防備のままその場にただ立ち尽くしているだけだった。
そして彼らの手には剣が握られている。
それでもその場にいる誰1人として剣を鞘から抜こうとするものはいなかった。たとえどれだけ時間が経とうとも…
「それがお前たちの答えか…ならば良いだろう。誰かの犠牲の上に得られる平和なんてへ唾棄するに等しい。覚悟のある者だけがここに集うがいい…グラシアル改めルー・グラシアル…この御旗のもとに。」
翡翠は自ら持ってきた端をその場に大きく掲げた。
それは今までのグラシアルが行ってきたことを完全に否定するため、そしてここからギルド全体が新しい道へと舵を切るため…今ここに新ギルド・ルーグラシアルの誕生を高らかに宣言したのだった。
翡翠の意見に異議を呈するものはいなかった。
おそらく翡翠もそこまで計算済みだったのだろう。
そのままギルドマスターの椅子と腰をかけようとした時、会議室内にけたたましい音が鳴り響いた。
その音は、緊急通信の着信を告げる音に間違いはなかった。
『君が噂に聞いている。グラシアルのギルドマスターを打った反逆者か?』
どうやら声の主は例のギルドマスター暗殺を知っているようだ。
そしてその声はどこか聞き覚えのある声であった。
「無能な指導者は、多くの無駄な犠牲を生むだけだ…」
翡翠は慌てることなく冷静に返答をする。
『私たちとしては、この状況を看過する事は到底できない。もし黙認してしまえば、ギルドと言う物の基盤が揺らいでしまいかねないからだ』
「なるほど…どうやら胸元についているものが、お前をそこまで飾り立てているようだな…」
『なんだと!?』
緊急通信の相手が一瞬ではあるが、動揺を表に出してしまった。
「ギルト・フリーレンシュピーツのギルドマスター、シュネー・アーレンベルグ…ずいぶん出世したものだな…」
フリーレンシュピーツ、そしてシュネー・アーレンベルグ…この2つの単語が、翡翠の口から出た瞬間に、会議室の空気は絶対零度が如く、一瞬で凍りついたとされている。
この世界には規模こそは違えど、多くのギルドが存在する。
だが、そんなギルドの中で唯一無二の存在と言えるギルドがあったのだ。
それがフリーレンシュピーツ、ギルドに所属するものであれば、まさに雲の上の存在と言えるであろう。
もともと職人の集まりから派生していった一般的なギルドとは異なり、フリーレンシュピーツの前身は、自衛のための組織、つまり戦うことにおいては、精鋭部隊と言えるだろう。
規模、戦力、歴史…それらのどれをとってもフリーレンシュピーツは、まさに別次元の存在と言えるものだ。
そして現在、そのフリーレンシュピーツのギルドマスターを務めている人物こそが、今まさに緊急通信を発信しているシュネー・アーレンベルグと言う人間だ。
シュネーの一族は代々にわたってこのフリーレンシュピーツと言う巨大なギルド統制してきた。
シュネー自身の戦力もさることながら、その圧倒的な統率力そして他の追随を絶対に許さない圧倒的な戦力は、他のギルドからも畏敬の念を持たれていたことだろう。
「久しいなシュネー…」
『翡翠か…?』
「他に誰がいる…用件は何だ?まさかこちらに兵をよこすつもりだったのか…?」
この問いにシュネーは返答することができなかった。
「相手ならいつでもなる…命の保証はできないがな…」
『氷狼村(ひょうろうむら)の人間に真正面から戦いを挑むほど私は愚かではない。』
「そうか…」
翡翠は無愛想にそう返答をすると自らの手で通信機の接続を切った。
「さて、これで邪魔者はいなくなった。最後に問う…この御旗のもとに集う覚悟があるものだけ残るがいい…」
翡翠のこの問いかけに、この部屋を後にしようとするものなど誰1人といなかった。
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