第16話 王国の神殿

 ポチャン……ポチャン。

 水滴の落ちる音がする。空から落ちる雨の音ではなく、天井からの雨漏りに近い音だ。

 大変だ。自分の部屋が水浸しになってしまう――。


 イーリスが目覚めると、背中に硬く冷たい感触と、ロウソクの燃えるにおいがした。

 服装は昨日着ていたワンピースのまま。着替えずに寝てしまったのだろうか。


(まだ目を開けたくない。……なんだか怖い)


 頭を手でなでてみた。その拍子に、ジャラジャラと金属音がする。その聞き慣れない音よりも、髪の毛をしばっていた若草色のリボンがなくなっていることが気になった。

 それだけで気持ちが落ち込む。お気に入りのリボンだったのに。


 視線を移すと、人と目が合ったような気がした。

 いや、人ではない。


(水の女神の像……?)


 石でできた彫刻だ。下向きの顔は笑っているようにも見える。肩に壺を乗せて立っていて、壺からは水が滴り落ちていた。

 女神の周りの泉は、宝石のエメラルドのような色が広がる。


 床に手を触れると大理石だった。その上に寝ていたから、背中が冷たいわけだ。こんな高級感のある場所は、自分の家はもちろん闇の薬屋にもない。


(待って。闇の薬屋じゃないなら、ここはどこ?)


 思い出してみるも、灰色の男たちとロマニオに会ってからの記憶がなかった。


(そうよ! ロマニオに眠らされたんだわ)


 その事実を思い出し、イーリスは目を見開いた。


「お目覚めかい?」


 声が反響する。ロマニオが上からのぞきこんでくる。目が合うと、彼は笑った。貴婦人から好かれると自分で言っていた笑顔だ。

 今は彼の顔は見たくない。

 視線をそらせて、景色を眺めてみたら今まで見たことのない場所だとわかった。


「ここは……?」

「王国の神殿だ。君をお粗末には扱えないからね」

「神殿……?」


 見回すと、高くそびえる柱が何本も立っていて、その一つの柱に鎖が巻かれていてイーリスの腕を捕らえていた。手を動かすとそれにつられて金属のこすれる音がする。さっき気になったのはこの鎖の音だったのか、と納得する。

 無理やり連れてこられて、まるで人質みたいだ。


「一つ教えてくれるかな? 黒猫になる呪いをかけられた、大魔法使いを知っているかい?」

「それは……」


 知っている。けれど、それをこの人に話してしまってもいいのだろうか。

 まさか、この人の狙いは……。

 ロマニオを見つめ返すと、彼の茶色の瞳から目が反らせなくなった。

 頭がぼうっとしてくる。


「知っている……わ……」


 イーリスはポツリポツリと言った。話したくないのに、口が勝手に動く。

 ぼんやりとした頭で、ロマニオからの質問に答えさせられてしまうのだとわかった。

 そして、大魔法使い――黒猫のスレーのことは絶対に話してはいけないことも。でも、内緒にしたくても口が動いてしまうだろう。抵抗しても無駄に違いない。


「そうか。予想が当たったな。では、その大魔法使いはどこにいるの?」

「……」


 スレーは闇の薬屋にいる。でも、それをロマニオは知らないようだ。

 「闇の薬屋よ」という言葉は出なかった。イーリスの口はチャックが締められるように右から左へ閉じる。何かの力が作用したようだ。

 ロマニオはイライラしたように、眉をひそめた。


「もう一度聞く。大魔法使いの居場所は?」

「……」


 イーリスの口は固く閉じられた。

 ぼんやりとした頭で、よかった、と安堵あんどした。

 ロマニオは何度か質問を繰り返したものの反発があって、イーリスから聞き出すのを諦めたようだ。


「話せないのなら仕方がない。魔法使いは見つけ次第処刑しないといけないが、君の命だけは助けてあげる。……その代わりに、黒猫の大魔法使いを捕まえるための囮になって?」


 黒猫の魔法使い、スレーを王国に差し出せばイーリスの命は助かるという。イーリスには他に選ぶ手段はなかった。


(こんなところにいたくない。誰か助けて……そうよ、シヴァン)


 玄関が開いたままになっているから、イーリスがいないことに気づいているかもしれない。

 でも、その考えはすぐに打ち消した。


(……ピンチのときだけ助けてほしいなんて、都合が良すぎる。甘すぎる)


 シヴァンと口喧嘩したまま薬屋を出たため、助けに来てくれるはずがないと思った。


「……わたしが断ったとしても、囮にするのでしょう?」

「そうだね、そのとおりだよ」

「わたしはあなたの言うようにするしかないわ」

「君はかしこいな」

「……」


 そう褒められても、全然嬉しくなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る