第14話 懐かしい家

 イーリスに与えられた部屋は静まり返っていた。


 お日さまの光もなければ、鳥のさえずりの音もしない。懐かしい花のにおいはポプリで嗅ぐことができるけれど、時間が経つにつれてにおいは少しずつ薄くなってしまう。


 机の上のローソクがゆらめいた。ロウソクがもったいないから早く寝てしまいたいが、なかなか眠気はやって来ない。


(お父さん、元気かな……)


 家には一ヶ月以上も帰っていない。父親に手紙を出したけれど、闇の薬屋には住所が存在しないため、返事は来るはずがない。手紙を読んだ反応もわからない。

 家が懐かしくて、恋しくて、この感情は。


(ホームシックかもしれない)


 ずっと父親に会えないのはさびしい。肉や野菜を炒めるだけの父親の手料理も食べたくなる。闇の薬屋で食べる料理とは大差はないけれど。ホームシックを自覚すると、余計に苦しくなった。


 手持ち無沙汰になって、服の上から鎖骨の部分をなぞる。ブローチのひんやりとした感触があった。


 イーリスは服からブローチを外して、ガラスの部分を見つめた。すると、ローソクの光の加減できらりと光ったような気がした。


(ん……? どういうこと?)


 少し感じた違和感。見つめ続けると、ブローチの中に人影が映し出された。


(誰……?)


 人の様子が見えるのは、ありえない。気のせいか動いているようにも見える。眠気のせいで、まぼろしを見たのだろうか。


(闇の薬屋にいるから、ブローチにも魔法がかかったの?)


 イーリスは目をこすり、さらにまばたきをする。

 走っている男の人がいる。白髪混じりの中年のおじさんだ。


(あの人……お父さんだわ!)


 イーリスが誘拐されたのでは、と父親が街で探し回っている様子だ。

 なじみの小物屋さん、市場の野菜屋さん、本屋さん……。どのお店の店主からも首を振られて、父親が肩を落としている。


 手紙を書いただけではダメだったんだ。手紙はイーリスのふりをした他の人でも書ける。無事でいる姿を見せないと。


(心配させている……。早く、トンネルの外へ戻らないと!)


 そう決意して、今すぐにでも出発しようと立ち上がる。けれど、すぐに思いとどまった。シヴァンの厳しい顔が思い浮かんだからだ。


 ――トンネルの外に出るな。


 そう言われたけれど、父親の心配の限界も超えているだろう。家族も大事だ。


(こうなったら、内緒で行くしかない)


 シヴァンに言っても許してもらえるはずがない。

 こっそり出ていこうと、決意を固める。父親に会ったらすぐ戻ってくればいいんだ。


(待って。このまま外に出てしまうと、玄関のドアが開いたまま。わたしが逃げたとすぐにわかってしまうわ)


 証拠を残さないためには、お店がやっている時間にこっそりと出ていくしかない。真夜中のこの時間はまだ早い。


(明日、行こう)


 ベッドに入って、目をつぶる。気持ちがソワソワして、ちっとも眠くならなかった。

 

* * *

 

 開店の時間になって、スレーが入り口の扉の鍵を外した。

 おもてのランプに火が灯り、スレーが外の看板を閉店から営業中にひっくり返す。


 彼のルーティーンの仕事が終わるのを、イーリスは物陰に身を隠しながら見届けた。


 カウンターまで歩いていくと、きらりと光る目と視線が合う。フクロウだ。まるで、緊張したイーリスの心の内を知っているように。


(クーちゃん、どうか見逃してください!)


 必死に願いながら、横を通り過ぎる。

 フクロウはイーリスを見つめると、やがて興味を失ったようにそっぽを向いた。


(よし、行こう)


 本棚を抜けて、店の入り口を目指して歩いていく。

 店の入り口の扉を開けようとしたら、背後に人の気配がした。嫌な予感がして、後ろを見たくない。


「どこへ行くんだ?」

「シヴァン……」


 振り返ると、紫色の瞳に見つめられた。気のせいか冷たい目に見える。


 ドキンとする。こんな嫌な瞬間は二度目だ。一回目はホタルを見てしまったとき。

 薬屋から逃げ出そうとしていたことを白状するしかない。


「少しトンネルの外へ戻りたいの。家にいるお父さんが気になって……!」

「それはダメだ。秘密を外でバラされるわけにはいかない」

「秘密はしっかり守るわ! だからお願い、一旦帰らせて」

「……ダメだ」


 話は全然進まない。シヴァンは決して首を縦に振ってくれなかった。


「わたしの気持ちは考えてくれないのね! 見損なったわ!」


 スカートを手でつかんで叫んだ。口を引き結ぶ。

 約束を破ったのはイーリスだ。でも、少しくらいは融通を効かせてほしい。


「シヴァンの顔を見たくない!」


 顔をぷいとして、イーリスの自室へ走る。

 どうしても素直になれない。シヴァンは悪くはないのに。


「イーリス……」


 シヴァンはなにかを言いかけて、口を閉じた。




 パタンとイーリスの部屋のドアが閉まった音と同時に、シヴァンはやれやれと頭を抱えた。


「…… イーリスがいくら口が硬くても、秘密を知っているということが問題なんだ」


 小さくつぶやいた声は、イーリスには聞こえていない。


「イーリスさん、大丈夫でしょうか」


 騒ぎを聞きつけて、スレーもやってきた。


「あいつに嫌われてしまったかもな」

「ダメじゃないですか。店長が厳しく言うから……!」

「そういえば――」


 その話は終わりだとばかりに、シヴァンは話を変えた。


「セキュリティを強化しよう。ロマニオとかいう男を弾いてほしい」

「それはできますけど……この前に来たお客さんですよね? どうしましたか?」


 闇通りの道は、同じ道を行ったり来たりして迷い込ませることができる。そのうちに、闇の薬屋に行くことを諦めるだろう。

「やつは、『魔力を減らす薬』を盗んでいった」


 盗みを働いたことも許せないが、その動機だ。 

 『魔力を減らす薬』は魔法使いにしか有効ではない。


「それは嫌な予感がしますね。わかりました。セキュリティを強化しましょう」


 スレーは同意して、すぐにその作業に取りかかった。

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