第8話 聖都への同行者

 遠くに見えるさざ波のような山並みから太陽が顔を出す。光が大地を照らすと待ちわびたかのように生命が動き出し、森の木々たちも瑞々みずみずしく輝きを放つ。リンドウ村の住人達も例外ではなく、眠りから目覚めた人々はそれぞれの家の扉を開け各々の仕事場へと歩みを進める。

 星奈はリンドウ村の長、トーマス老人の家の一室で目を覚ます。日本の自室とは様子がだいぶ違う古風な洋風の部屋の中で、まだ自分が夢でも見ているのではないかとぼんやりと考えていた。


 「ああそうだ……異世界だかなんだか分からないけど変な場所にいるんだった……」


 ベッドから降りる際、昨日着ていた制服がすっかり汚れも落とされきちんと折り畳まれた状態で机の上に置かれているのが目に入った。メリルが整えてくれたのだろう。

 部屋の扉を開けるとそこには昨日と同じような白い前掛けを付けたメリルが立っていた。


 「あら、おはようセーナちゃん。よく眠れた? 朝食の準備ができたから丁度呼ぼうとしてた所だったのよ」


 「おはよう……私の服、綺麗にしてくれたんだ」


 「ふふ、可愛らしいお洋服があれじゃ可哀そうだものね。すごく珍しいデザインだったけれど、大きな街の仕立て屋さんの服なのかしら? すごく素敵だったわ~」


 「……ありがと」


 「どういたしまして。じゃあ、朝食にしましょう? 遠慮なんかしなくたっていいわ」


 星奈は自分でもよく分からないままメリルに感謝の言葉を述べた。そんな星奈にメリルはニコニコと優しい笑みを浮かべて、昨日夕食を囲んだ時と同じ部屋へ星奈を案内した。

 テーブルに用意されていたのは塩で味付けされた薄切りのベーコンとやや歯ごたえのある丸みを帯びたパン、それに野菜の甘みを凝縮させた黒色のソースに彩られた目玉焼きだ。見た目こそ簡素な食事だったが、その簡素さがより星奈の食欲を刺激した。


 食事を終えると星奈はトーマス老人の執務室で待っているようにトーマス老人から言われ、その通りに執務室へ向かった。暫くその部屋の長椅子に座りぼんやりと部屋を眺めていると扉が開かれトーマス老人とジェイク、そしてミハイルの3人が入って来た。


 「よう! 久しぶりだな! よく眠れたか?」


 「ジェイク、朝っぱらからそのテンションは体に悪いぞ、やめとけ」


 「心配するなよミハイル。そんなに俺はやわじゃないぞ」


 「お前の事じゃねーよ」


 「……」


 朝から賑やかに漫才を始めた二人に星奈は挨拶代わりに素っ気なく手を振った。

 星奈を含め、その場の全員がそれぞら来客用のテーブルに備え付けられた長椅子に座るとまず最初にトーマス老人が口火を切った。


 「ふむ……では、改めて昨日起きたことを教えて貰っていいかの」


 「おう、了解だ」


 そう言って、ジェイクは昨日起きた……星奈たちが体験したことを順々に説明した。ゴブリンに追われた星奈を保護したこと、ゴブリンの群れの襲撃、星奈の不思議な力やあやふやな記憶について……ジェイクが一通り説明し終えると、トーマス老人は「なるほど……」と短く呟くように言い、頬杖ほおづえをついた。


 「ゴブリンの群れか……それほどの数で行動するというのは今までは無かったのう……最近、他の魔物の活動にも異変が起こっておるしなんだか胸騒ぎがするのう……」


 トーマス老人はふぅとため息を吐いて目をつむる。しかしすぐにその目はゆっくりと開けられ星奈へと向けられた。そのトーマス老人の視線に気が付いたのかジェイクとミハイルの視線も自然と星奈へと向けられる。3人の視線を受けた星奈は気まずそうに眼を逸らす。


 「お主もとんだ災難じゃったのう……どうじゃ? 少しは落ち着いたかい? 何か思い出したことはあるかのう?」

 

「えっと……うん、おかげさまでだいぶ落ち着いてきた。それで……」


 星奈は昨日見た夢……女神ルミナの話を頭に思い浮かべていたが、流石にあんな話をしたところで信じて貰えるはずもないと判断した。だからと言って女神ルミナの言葉を無視する訳にもいかず、とりあえず当たり障りのない答えを返す。


 「ぼんやりと思い出してきたんだけど、聖都アヴェネという町に知り合いがいるかもしれないの。だから彼女に会う為、そこに向かおうと思ってるんだけどこの村からアヴェネまではどのぐらい掛かるの?」


 「聖都と縁があったのか。いやいや、どうりで田舎臭いここの連中と違ってなんか洒落てると思ったんだ」


 「さすが田舎の大将様だ。お前が言うと説得力があるな」


 うんうんと勝手に何か納得するジェイクの奇抜な柄のシャツに視線を向けながらミハイルが素っ気なしに言う。そんな二人の会話をふぉっふぉっと孫を見守るような微笑を浮かべ聞いていたトーマス老人が、再びゆっくりと優しい瞳を星奈に向ける。


 「聖都か……知り合いがいるのであればそうするのがよかろうなぁ……しかし、ここからじゃとかなり遠いの……歩きだと順調に進んでも二週間程は掛かってしまうな。以前は馬車便もよく行き来しておったんじゃが最近は魔物の動きが活発でほとほと少なくなってしまったしのう……。それに道中も危険じゃ。時折、村に出入りする商隊に同行させて貰えば安全じゃとは思うが……」


 (遠い……随分と辺鄙へんぴな場所にいたんだね私。あの女神の話からするとのんびりしている訳にもいかなそうだし……まだこの世界がどういう場所なのか分からないけど、とにかく行くしかないかな……)


 「途中に他の村とかあるの?」


 「うむ。規模の差はあれどそれなりの数の村や町は点在しておるな。この村から半日ほど歩いた場所にも町はあるぞ」


 「そう、なら私一人でも行ってみる。……図々しいお願いなのは分かってるけど何日か分の食べ物だけ貰うことはできない? 必ずあとで返すから」


 そんな星奈の言葉にトーマス老人は困ったように首を捻って唸り声をあげた。


 「ううむ……食料はまったく構わんがやはり1人じゃと危険が……」


 「なら俺がセーナをアヴェネまで送って行こう」


 待ってましたと言わんばかりの勢いで立ち上がり、そう答えたジェイクにこの場にいる全員の視線が集まった。トーマス老人と星奈は驚きの視線を向け、ミハイルもやれやれ……と半笑いを浮かべている。


 「丁度、俺もアヴェネに行きたいと思ってたんだ。何回か行った事もあるからそれなりに道中の道には明るいぞ。それに腕も立つし護衛にはうってつけだろトーマスさん」


 ジェイクは腕に力こぶを浮かべてみせてそこをもう片方の手でパンパンと打ち鳴らす。ドヤ顔で星奈への同行を申し出るジェイクの姿に星奈は、なんだコイツは……と呆れつつもなんだか頼りがいを覚えたのも事実だった。


 「うーむ、確かにお主ほどの者が付いていくなら安心はできるが……」


 「ま、こうなったらコイツはもう止まりませんよ。村長もこいつがそういうの好きなのは知っているでしょう? 自警団の方は俺がどうにかしておきますから同行を許可してやってください。じゃないと許可が下りるまでコイツここからテコでも動きませんよ」


 ヘラヘラとミハイルがジェイクに同調する。その際に星奈と目があった時はミハイルは可憐なウィンクを星奈に送ってみせたが当の星奈はそれを取りあえず見なかった事にして闇へと葬った。そんな調子にトーマス老人も。ふぅと息を零した。


 「まったくお主らは……セーナ嬢よ。ジェイクと共に聖都アヴェネへ向かうことに異論はないか? ジェイクが腕が立つことは儂からも太鼓判を押しておこう。それに奴の性分からお主を傷つけるようなこともしなかろうて」


 星奈が判断を下す時を待つ彼らの視線は一点に集中する。自分が口を出すまでもなくとんとん拍子で話が進んでいくことに拒否はせずともいつもならそれに反感を覚え、悪態の一つや二つをつくところだったが、今回星奈は安堵していた。やはり、知らない世界に一人放り出され、表情には出さずとも知らず知らずのうちに不安が積もっていた星奈の精神に、彼らの好意を無下にする力など残っていなかった。


 「私は別に構わない」


 「よっし決まりだな! よろしく頼むぜセーナ!」


 「あ、うん、よろしく」


  こうして、星奈とジェイク。彼女たちの奇妙な冒険が幕を上げるのだった。

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