第7話 女神のお告げ

 リンドル村の長。トーマス老人に対して星奈が受けた印象としては好々爺こうこうやといった感じだった。口数は少ないがその目には優しさがあるように思え、それでいて不思議と頼り強さを感じさせた。星奈は日頃、他人と関わることを息苦しく感じていたがトーマス老人を前にするとなんだか心が安らぐようにさえ思えた。

 どこか懐かしく、それは星奈の遠い日の記憶。祖父との記憶の断片だったのかもしれない。


 ジェイクが先ほどメリルに説明したのと同じ内容の話をするとトーマス老人は静かに頷いただけで特に星奈自身に説明を要求したりすることなどは無かった。彼は優しい目で星奈を見つめると、ゆったりと体を揺らしながら言葉をつむいだ。


 「今日は疲れているだろう? 丁度、空いている部屋があるからそこでゆっくり休みなさい。そうだ、お腹もきっと空いているだろう? これから夕食じゃから一緒にどうかのう?」


 「あ、ありがとう……」


 星奈は素直にトーマスの好意を受け入れた。彼女が他人の好意を勘ぐらずに済んだのはいつぶりのことだっただろうか。星奈にはとうに記憶になかった。


 こうして星奈はトーマス老人の好意を受け、一晩の宿を借りることになった。メリルが夕食を作るまでの間、トーマス老人の部屋……普段、村の長としての執務を行っているというこの部屋で読書でもなんでも自由に過ごしていいと言うので星奈は暖炉の脇にある本棚から適当な本を一冊取ることにした。

 本棚から本を取り出す際、星奈はトーマス老人へと視線を向けた。彼は椅子に腰かけ、ギィギィとかすかにきしむ音を立てながら小刻みに椅子を揺らしつつ本のページをめくっていた。星奈のことを気遣って、彼女をそっとしとこうと思っているのだろう。

 星奈はそんなトーマス老人になにか声を掛けようと口を開きかけたが、急に気恥ずかしくなって開けかけた口を閉じた。そうして無作為に本を一冊取り出して、表紙に綴られたタイトルに目を通す。相変わらず、見た事もない記号のような文字だが意味は理解することができた。


 ≪ラーヴ・セガルト創生≫


 特に興味が惹かれる訳でもなかったが、星奈はそれを長椅子に腰掛けながら取りあえず読んでみることにした。内容は所謂いわゆる、この世界は神がどうこうして造り出した……というよくある神話伝記物の内容だ。


 (ラーヴ・セガルト……これがこの世界の名前なのかな。……やっぱこれって異世界なんだ。漫画とかそういうのだとよくある話だけど自分が体験するはめになるなんてね)


 更にページを捲っていく。内容は神が大地を割ったり、山を造り出したり生命を生み出したりと平凡な神話の内容そのものだったが、その中で星奈が気になったのはかなりの頻度で出てくる女神という単語だった。


 (女神……あの声の主も女神とか言ってたけど、なんか関係あるのかな)


 その後もなにか気になることが書かれていないか目を通してみたが、特には何も見つからなかった。そんな事をしていると部屋のドアが叩かれる。夕食を作り終えたメリルが呼びに来たのだ。

 そうして星奈はトーマス老人とメリルの二人と食卓を囲んだが、ここでも彼らは星奈を気遣って込み入った話を切り出しては来なかった。そんな二人に星奈は罪悪感を覚え、この村の印象や自警団の戦いを見た感想などちょっとしたことを口にした。

 食事を終えた後に星奈は入浴までさせて貰う事ができた。自分が知っている風呂とは違って質素なものだったが、それでも今の彼女には十分なものだった。湯に体を沈めながら目まぐるしい展開だった今日という一日の事を思い出してみる。しかし、やはり現実離れしたその体験は、まだどこか夢を見ているようで完全には受け入れることはできなかった。


 「はぁ……なにがどうしてこうなったのやら……ファンタジーのような世界……ね。とにかく流れに身を任せてみるしかないか……まぁ、最初村を見た時はまるで中世時代みたいで嫌だったけど、私が知ってるのとは違ってまだそれなりにはちゃんと過ごせそうだけど……」


 お風呂の湯で体が火照ほてっていく感覚を味わいながら星奈は静かに目を閉じた。


 お風呂から上がった星奈はメリルが用意してくれた寝間着に着替え、そして星奈の寝室となる部屋に案内された。日頃あまり使っていないというだけあって質素な他の部屋と比べても更に殺風景だったが、ベッドや小さなテーブル、イスなどもあり清掃も十分行き届いている部屋だ。

 メリルと別れて部屋に一人っきりになった星奈はすぐにベッドに横になった。少しごわついているような感覚はしたが疲れ切っていたのか星奈の意識はすぐに暗闇へと落ちていった。


 そうして星奈は夢を見る。


 やけにハッキリとした夢だ。


 なにもない真っ白な空間に星奈は宙に浮かんでいた。体の重さがなくなったようで、まるで自分の体ではないようにすら思われる奇妙な感覚だ。


 「ふう、ようやくちゃんと話をすることができますね」


 聞き覚えのある声が聞こえる。いつの間にか星奈の目の前に不思議な雰囲気を纏った女性がいた。神々しさを感じられる臀部でんぶまで届くほどのウェーブがかった白銀の髪。豊満な体に白を基調とした布の衣服をまとい、手には装飾を施した杖を持っている。ずいぶんと美人だが眉が少し下がり、なんだか頼りなさそうな印象を受ける。


 「あ、自称女神」


 「自称ではありません! れっきとした女神です! 女神ルミナです!」


 「うん、とりあえずそういう事にしておく。それでこの状況を説明しに来たって訳?」


 「に落ちない言い方ですがここは寛大な心で見逃しましょう。ええ、貴女の言う通りに今、貴女の置かれている状況を簡単に説明しにきました」


 自称女神のルミナはコホンと咳払いをする。


 「この世界は危機に瀕しているのです」


 「世界が? 私じゃなくて?」


 「ええい! 口を挟まないで最後まで聞いてください! とある事情であまり時間がないのです。とにかくできる限り手短にお話するので……とにかくこの世界は今、とある存在によって実質的に支配されています」


 「神が支配……いや、ごめん続けて」


 星奈がまた口を挟もうとすると、ルミナはキッと星奈を睨みつける。迫力は無い。


 「そこで私はその存在……便宜上、【監視者オーバーシア】と呼んでいる存在に対抗しうる存在を呼び出すことにしたのです。その召喚に応じて現れたのが星奈さん、貴女という訳なんです」


 「やっぱアンタが原因なんじゃん」


 「いや、ほんとうにそれは申し訳ないと思っているのですけれども、こちらも緊急事態な訳でして……ゴニョゴニョ……」


 「でもなんで私なの? 私なんてどこにでもいる普通の人間だけど……あ、もしかして特別な力を秘めているとか?」


 星奈は冷めた作り笑いを浮かべ、皮肉を言う。するとルミナはニッコリとした笑顔で汗をダラダラと流していた。明らかに動揺している様子だ。


 「あ、いや……アノデスネ……これには複雑な事情があると言いますか……偶然と言いますか……」


 「……なに? 適当に私こんな場所に連れて来られたの?」


 「とにかくですね! 以前にもお話した通り私の力を星奈さんに与えているのでいざという時は役に立つ筈ですよ。事情があって今はほんの一部しかお渡しできていないのですが……」


 しょんぼりと肩を落としたルミナがそう言い終えると、この空間に緊張が走った。星奈自身、明らかになんだか空気が張り詰めたように変化したのが感じられた。

 ルミナが苦虫を噛んだように悔しそうな表情を浮かべる。


 「ああもう……ほんとに勘がいいんですから……このままでは星奈さんに危険が及ぶかもしれませんので、ここで交信は中断しましょう」


 「どうしたの?」


 「【監視者オーバーシア】が私のこの干渉に感づいたようです。幸いにもまだ見つかった訳ではないようですが……説明不足で申し訳ありませんが、とにかくどうにかこの国の聖都アヴェネまで来てください! そこに私はいます! そこでなら私の力で星奈さんを守ることが出来ますし詳しい事情はそちらで説明します! いいですね? 聖都アヴェネですよ! できる限りお手伝いしますから……!」


 何かを気にしながらルミナは一方的にまくし立てるように言いたい事を言うだけ言ってその姿は光の粒子となって宙に霧散した。


 「なんなの……いったい……」


 何もない奇妙な空間に1人取り残された星奈は、ふわふわと宙に浮かんだままガックリと項垂れるように肩を落とした。普段、表情の変化がさほど多くない星奈も今回の一連の出来事にはあからさまに色濃く疲れがその表情に浮かんでいる。

 そのまま星奈の意識はゆっくりと再び眠りへと落ちていった。

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