第6話 夕暮れのリンドル

 ゴブリンたちとの戦闘を終えた頃には、頭上を覆う木々の葉の隙間から漏れる陽の光が淡い橙色に変わっていた。先ほどまでの騒動なんてまるで無かったかのように穏やかな道を暫く進むとようやく森が終わり、目の前は草原が広がっている。その中に農作物が植えられた田畑や民家があるのが見てとれる。規模は決して大きくはないが閑散かんさんとしている様子ではなかった。

 

 そんな村の入り口。リンドルと文字が刻まれたお粗末な造りの木製の門を通り抜ける。門に刻まれた文字は、アルファベットともひらがなとも言えない奇妙な記号のようなもので、星奈にとって初めてのものだったが何故か彼女にはその文字の意味が理解できていた。


 (本当にここが異世界だとしても、どうして文字や言葉が理解できるんだろう。これもあの女神とやらが関係しているのかな)


「おっし、みんな無事だな! ようやく今日の仕事から解放されるぜ!」


「今日は寝つきがよさそうだ。どうだジェイク、これから一杯やらないか?」


 ミハイルがからの手でまるでジョッキを傾け酒を飲むかのような動きをジェイクに見せる。すると、その動きに気が付いたケンドがミハイルとジェイク、それぞれ交互に視線を動かしながらジェイクの代わりに返答する。


 「仕事後の一杯というやつですね! 僕もご一緒させて頂いてよろしいでしょうか!」


 「残念だがお子様にはまだ少し早いな。もうちょっと大人になったら付き合ってやるよ」


 「大人の癖にいつまでも子供っぽい人が何言ってるんだか」


  ミハイルにからかわれ、しょんぼりと肩を落としているケンドを見て笑っているミハイルの傍でエマが辛辣なツッコミを入れた。そんなエマの手厳しい一言を元ともしないように軽薄な笑みをミハイルは浮かべている。


 「おっと、エマも興味があるのか? もっと素直になってもいいんだぜ?」


 「どうでもいい」


 エマはぷいっとそっぽを向いてそのまま押し黙ってしまう。そんな彼らのやり取りを見ていたジェイクが苦笑いでミハイルの肩へ手を置いた。


 「おいおい、いい年してなに子供をからかってんだミハイル。もっと大人らしい態度でいるべきだぜ。そう、俺みたいにな」


 「初対面の人の前だから大人ぶってるだけでジェイクだって同じようなもんじゃん」


 「おま……ッ! いや、俺は大人だから寛大な心で聞かなかったことにしといてやる。ともかく、これから俺はセーナを村長に会わせてくる、今日のことを説明しないとだしな、だから悪いなミハイル。今日は遠慮しとくぜ」


 エマの容赦ない一言に誤魔化すように咳払いをするとジェイクはキリッとした表情を浮かべ、ミハイルの肩に置いた手を離すとゆっくりと星奈の方へと近寄っていく。離れていくジェイクにミハイルは「へいへい、了解」とひらひらと手を小さく振るような動作をしながら答えた。


 「さっさと休みたいとは思うがもう少しだけ付き合ってくれるかセーナ」


 「私には選択の余地はない訳だし構わないけど」


 「よし決まりだ! という訳で本日はリンドル自警団を解散する! みんなお疲れさん!」


 ジェイクの号令で自警団のメンバーは夕焼けに染まる村の玄関口からそれぞれ帰路に着いた。星奈もジェイクに先導され村の中へと進んでいく。

 

 すでに夕暮れ時ということもあって仕事を終えた村の住民たちもそれぞれの思惑を持って道を行き交っている。そんな住人たちとすれ違うたびにジェイクは親しそうに軽く挨拶を交わしていく。


 小規模な村というだけあって恐らく全員が顔見知りなのだろう。そしてその全員が星奈の馴染みのある服装とはかけ離れた質素な服を身に着けている。


「ねぇ、どうして貴方は身元も分からない私なんかに世話を焼いてくれるの? お礼なんかろくにできないけど」


 道中、歩きながら星奈が突然にそんな疑問をジェイクに投げかけた。夕陽に照らされたジェイクが隣を歩く星奈に視線を向ける。


「どうしてって……そりゃお前、困ってる奴が目の前にいたら助けたくなるってもんだろ。別に理由なんてないさ」


「とんだお人好しね」


「おう、良く言われるぜ」

 

 そんなジェイクの考えは星奈には全く理解できなかった。関わりのない赤の他人をわざわざ助けるなんて、どこかおかしいとしか考えられない。たとえ知り合いでも……いや、血の繋がった家族でさえ人間は打算で動くものなのだ。無償の献身だの愛だのは存在しない。それが星奈の持論だったからだ。


「別に俺が聖人だとかそういう訳じゃないぜ。幸せそうな……笑顔の奴が多い方がなんだか気分がいいだろ?」


 下心なく笑うジェイクを見て、星奈はわずかに顔をしかめる。


(ほんと、理解できない)


 そんなことを星奈が考えているとは微塵みじんも思っていないジェイクは、すれ違う人々に機嫌よく挨拶をしていく。

 

 村の入り口からしばらく真っすぐ進むと円形に広がる広場に辿り着く。中心部には花壇があり、その中で色とりどりの花に囲まれるように柱のようなモニュメントが立っている。日中には露店でも開かれているのだろうか空っぽとなった屋台の骨組みが広場を囲むように点々と存在していた。

 

 広場を北側に進んでいくと緩やかな坂道が丘へと続いている通りに出る。村の中心部と比べると民家同士の距離が遠くなり少し物寂しさを感じさせる。丘の上に見える他の民家と比べると少し大きいように見える建物こそが二人が目指しているリンドル村の長の住居だった。


 村長の家の玄関に辿り着くとジェイクはそのドアを3回ほど強めに叩く。


 「トーマスさん、ジェイクだ。今日の仕事も無事に終わったぜ。そのことで話したいことがあるんだが」


 ジェイクが扉越しに中にいるであろうリンドウ村の長に声をかける。すると間もなく木が軋む音と共に扉がゆっくりと開いた。出てきたのは白い前掛けを着用した若々しい見た目の女性だった。女性はジェイクに向かってニッコリと穏やかに笑みを浮かべた。


 「あらジェイクさん、お疲れ様。……あれ、そちらの方は?」


 女性はジェイクの背後に立っていた星奈を、ジェイクの肩の上から覗き込むようにした。その時、星奈はその女性と目が合ってしまったが気が付かないふりをしてそのまま目を逸らす。


 「近くの森でゴブリンに襲われてたんだ。それが理由かは分からないが記憶が曖昧らしい。一先ひとまず、俺らで保護できないかと思って連れて来たんだ。そのことでトーマスさんに話をしたくてな」


 「あらあら……大変だったのねぇ……さぁ、どうぞ上がって。お父さんなら自分の部屋にいるわ」


 「助かるぜメリルさん……っと、紹介しなくちゃな。彼女はセーナという名前らしい」


 するとジェイクは真横に体をずらした。星奈とその女性、メリルの間で立っていたジェイクが移動したことによって彼女らは直接対面することになってしまった。星奈はなんとも居心地の悪い気分になる。


 「……」


 「あらカワイイ。どうも初めまして、私は村長の娘のメリルよ。よろしくね」


 「えっと、よろしく」


 「今日は大変だったみたいねぇ、きっと父なら力になってくれる筈よ、さぁ上がって上がって」


 「おう、早速お邪魔させて貰うぜ」


 ニコニコと笑顔で向かい入れてくれたメリルになんだか気まずさを覚えつつ、星奈はジェイクの後に続いて家の中へと入る。

 

 日が沈みかけ、すでに薄暗くなりつつある家の中には蝋燭ろうそくが灯されていた。点在する蝋燭ろうそくのお陰か星奈の想像していたよりかは家の中は明るかった。廊下を進みながら見える部屋に視線を向けて見れば、それは星奈と馴染み深い家電製品や家具などで埋め尽くされた部屋とは違い、木製の机やイス、そして壁に備え付けられた小棚などがあるだけの非常に質素だと思えるそんな部屋ばかりだった。

 

 家の一番奥側、廊下の突き当りの扉に辿り着くとここでもジェイクはその扉を叩く。


「トーマスさん、今日の巡回のことで話があるんだが大丈夫か?」


「うむ、構わんぞ」


 扉の奥からくぐもった老人の声が聞こえ、星奈とジェイクは部屋に入る。部屋の床には赤の絨毯が敷かれていて、更に扉から見て左側には煉瓦れんが造りの暖炉があり、パチパチとオレンジ色の火が弾けている。それだけでも他の部屋に比べると華やかな印象を受けさせた。部屋の中心には来客の為に用意された低いテーブルを挟むように長椅子が置いてある。部屋の奥には執務机があり、そこには白髪交じりの灰色の髪……その髪と同じく白髪交じりのヒゲを蓄えた老人が一冊の本を手に腰掛けて座っていた。

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