第2話 未知との邂逅

 ガサガサガサガサ


 池の水面に映る自分の姿に違和感を覚えた星奈がジッとそれを眺めていると、そんな彼女の背後から草がこすれる音が響いた。その音に星奈は驚きながらも咄嗟に振り向くと、目の前の大きな茂みがゆさゆさと揺れているのが目に入った。


(なにかいる……? 動物……? それとも……)


 明らかに何かが潜んでいるであろう茂みを見て星奈は思わず声を出しそうになるのを堪え、その様子をうかがう。凶暴な野生動物が飛び掛かってくるかもといつでも駆け出して逃げられるようにジリジリと後退してその茂みから距離をとっていると、星奈の予想とは反してソレはひょこっと茂みから姿を現した。


 「……なにこれ」


 「ウガ?」

 

 茂みから姿を現したそれは星奈の背丈の半分ほどの身長で、人間と同じような手足があり二本足で地面に立っている。最初は人間の子供かとも考えたが、緑色の肌。頭部に存在する二つの小さな角のような突起物。そして人間離れした歪に鋭い手の爪。とても人間とは思えない風貌だ。だからといってこれが野性動物だと言われても星奈はそれに納得しかねるだろう。結果的に星奈はその奇妙な生物を怪物と呼ぶのが相応しいと断定した。

 その怪物がギョロリとした目で唸り声をあげながら星奈の方をジッと見ている。怪物も星奈の様子をうかがっているのか今すぐに襲い掛かってくるという訳ではなさそうだ、しかしこんな得体のしれない怪物に見つめられたままでは居心地も悪く、星奈はその怪物を刺激しないようにゆっくりと距離をとってその場から離れることを試みた。


 (なんなのあの化け物……ほんと意味分かんない……とにかく離れないと……)


 星奈は隙を見せないようにその生物を視界に捉えたまま後退する。その生物が何を考えているのか星奈には見当も付かない。もし、自分があの怪物に獲物だと認識されているのだとしたら……思わず、考えられる最悪の展開を想像してしまい一瞬だけ星奈が集中を乱したその時、彼女の足元からバキと乾いた音がなった。地面に落ちていた乾いた木の枝を踏み砕いてしまい、それが静まり返ったその場所にやたらと鳴り響いてしまったのだ。


(しまった……!)


「グギャァァァァ!」

 

 星奈が自分のこの過ちを後悔する暇もなく、その音を合図とばかりにその怪物は声をがなり立ててその鋭い爪を携えた腕を振り回すように星奈に向かい突進を行う。


 『走って!』

 

 (なに!?)

 

 突然、謎の女性のような声が星奈の脳内に響いた。星奈は突然の声にその相手の姿を探そうと視線を巡らせるが目に映るのは目の前で敵意を剥き出しにして突っ込んでくる奇妙な怪物だけだった。

 とにかくこの窮地きゅうちを脱するためにまずはその声の言うように走って逃げなければならない。態勢を崩しそうになるのを必死に堪えて体を真後ろにひるがえして星奈は駆け出した。

 落葉を踏み潰し、草花を蹴散らしながら道なき道を星奈は駆けていく。呼吸は乱れ、心臓は鼓動を早めて、体温が上がっていくのを星奈は感じていた。しかし今の彼女にはそれをかえりみる余裕は無かった。突然、見知らぬ土地で目覚め、謎の怪物に追われている。分かるのはただ一つ、今自分が生命の危機に瀕しているということだけだった。

 星奈は運動が得意な方ではなかったが、幸いにも怪物は小柄で歩幅も小さく、そもそもの移動速度もそんなに早くなかった為、一定の距離を保つことは出来ていたが奇妙な生物は疲れる様子など一切見せずに相変わらず興奮したまま腕を振り回し星奈の後を追っていた。

 そんな生物とは反対に星奈は明らかに疲弊ひへいしていた。このままではいずれ追いつかれるのは明白だった。


 「くそ……なんで私がこんな目に……!」


 『が、がんばって! もう少し行けば村が見えてくるから!』


 「またこの声……? これってテレパシーとかそういうやつって訳? 一体アンタは誰なの……?」


 『い、今はそれどころじゃ……あ、通信の調子が……』


 『…………』


 「えっ……は? なんなのこれ? 携帯の電波かなんかなの?」


 再び星奈の脳内に聞こえた何者かの声は少しの間、星奈と会話を交わすかと思われたが突然ブツリと糸が切れたかのように途絶えてしまう。

 次から次へと巻き起こる珍事に星奈はもういっぱいいっぱいの状態だったが、謎の声のすぐ近くに村があるという言葉を希望に走り続けた。目の前の坂道を滑るように降りればそこには雑草などが綺麗に取り除かれた明らかに人の手が加えられた土の道があった。


(ちゃんとした道……本当にこの先に村が……)


 一筋の希望に手が届きそうになり安堵した星奈はまだ危機が去っていないにも関わらず気を緩ませてしまい、坂を駆け下りた勢いで態勢を崩してしまう。


(……っ!? しまった……っ!)


 星奈は坂道を駆け下りる勢いそのまま地面に転がるように転倒してしまった。全身を打ち付ける鈍い痛みを全身に感じながらも、その痛みを堪えてすぐに立ち上がろうとした。そんな星奈を逃がしてなるものかと彼女のすぐ後ろを追い続けていたあの怪物が地面を抉りながら飛び掛かったのはほぼ同時だった。


 「グギャギャギャギャ!」


 雄たけびともなんとも形容しがたい叫びを上げながらその怪物は血走った目で、鋭い爪で星奈を切り裂こうと空中を滑るように星奈と距離を詰めていく。それを目の前にして、星奈の体はまるで石になったかのように動かない。

 まるでスローモーション映像かのように世界の全てがゆっくりと動いていく。そんな感覚の中で星奈は少しづつこちらに飛び掛かってくる怪物を見ていた。それは明白な死。彼女にとって確実な死が近づいてくる。そんな死を目前にして星奈は何を想ったのか。それは恐らく、彼女自身も分かっていなかった。

 彼女はまぶたを閉じた。何もかもが理解しがたい状況において、もはや自分にできることが何もないことだけはたった今ハッキリと理解したからだ。まぶたを閉じ、闇に染まった世界の中で、眠りに落ちるのを待つようにして彼女は闇に身を委ねた。


 その瞬間――――


 「ギャッ」


 短い悲鳴が上がったと思えば、ドサリと何か重い物が地面に落ちるような音が闇の中から鳴り響いた。

 星奈はその音の正体を確かめるべくゆっくりとまぶたを開けた。すると目の前には先ほどまで凄まじい形相で飛び掛かってきていた怪物がその眉間に矢を突き立て、血走った目を見開いたまま地面に仰向けで倒れていた。星奈から見ても、明らかに絶命している。

 何が起こったのか理解できないまま星奈が呆然とその怪物の死体に釘付けになっていると、背後からドタドタと複数人の人間が走る足音が聞こえ、そして聞き覚えのない男の声が星奈にかけられた。


 「ひゅう♪ パーフェクトだ! 危ない所だったな嬢ちゃん!」

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