目覚めの章

第1話 見知らぬ世界での目覚め

 少女は夢を見ていた。もしかするといつかの記憶だったのかも知れない。そんな曖昧あいまいでぼんやりとした信用のならない意識の中で少女は声を聴いていた。


『世界の――を――。世――解放して……』


 風が体をでるような優しい声。けれどそれははるか遠く不確かで、その全貌ぜんぼう朧気おぼろげで全てを聞くことはできなかった。

 少女は声に導かれるように向かおうとするが、なぜだか体がふわふわとまるで宙を漂っているかのような感覚で、自分の意志で体を自由に動かすことができなかった。少女はそれに気が付くと諦めたかのようにふわふわとした感覚に身を任せた。


 『私に逢いに来て……』


 今度こそハッキリと聞き取れたと思ったと同時に、ぷっつりと糸が途切れるように少女の意識は閉ざされた。夢すら見ない深い眠りに落ちるよう静かに深淵しんえんに落ちていく……そんな瞬間だった。


 「星奈!」


 誰かが自分の名前を呼んでいるのだろうか。明るい青灰色の肩にかかるミディアムヘアーの少女。柊其 星奈ひいらぎ せいなの意識はその声によって目を覚ます。まぶたを開ければナイルブル―の瞳に飛び込んできた太陽の光によって、今まで真っ暗だった視界が真っ白に塗りつぶされる。


 「ん……うっ……なに?」


 そのまばゆさから開けたばっかりの目を細め、星奈は柔らかい地面に横たわっていた自分の体の上半身を起き上がらせて周囲をゆっくりと見渡した。くらんだ目は少しづつ光に慣れ、視界が鮮明になると辺り一面に広がった雑草と空を葉で覆い隠すように枝を広げた木々、その葉の隙間から木漏れ日が地面に落書きをして遊んでいるかのような光景が彼女の視界に広がった。


 「……森? どうして私こんな所に……」


 自分の置かれた状況に戸惑いながらも星奈は立ち上がる。立ち上がった瞬間、ズキリと軽い頭痛に襲われ顔をしかませるが自然とすぐに収まり改めて思考を巡らせる。


 「確か声が聞こえて……ダメ、なにも思い出せないな」


 ついさっきまで見ていた夢のような出来事のことをなんとなく思い出せる程度で、どうしてこの場所に自分がいるのか見当も付かなかった。いつ、どうやって、どうして。記憶にないこの場所で自分が目覚めた理由を思い出そうとしても成果は一向に得られる気配はない。

 自分は日本という国で高校に通う普通の……そう、なんら特筆するべきことはない普通の女子高生だった筈だ。そんな当たり前の記憶しか思い出せない。尤も、その記憶にもぼんやりともやがかかっているのだ。例えば、パズルのピースが一部抜け落ちたかのような感覚だ。星奈にとってはその断片的な記憶だけでも十分だったのだが。


 「はぁ……ここで突っ立ってても仕方ないか」


 星奈は深いため息を1つくと、まだ少し気怠い気がする体をゆっくりと動かして目的も定まらないままに森の中を彷徨い始めた。葉っぱの天然カーペットが敷かれた柔らかい地面を踏みしめる自分の履いた靴を見て、身ぐるみを剝がされた訳ではないことにほんの少し安堵を覚えた。そこで星奈は現在の服装を見てわずかな記憶が蘇る。

 彼女の身を包んでいたのはブレザーと呼ばれる衣服。所謂いわゆる、学校の制服だ。星奈は高校から家に帰るその際にどこかに立ち寄っていたのを思い出した。だからと言って今のこの状況が解決する訳でもないのだが……そんなことを考えながら歩みを進めていると星奈は大きな池のある開けた場所に辿り着いた。

 

 「綺麗……」


 周りを囲む木々がかすかに揺れ、空はどこまでも青く澄み渡り雲は行く当てもなくどこかに流されていく。そんな空に浮かぶ太陽に照らされキラキラと輝く水面は星奈の目を奪うには十分だった。そんな光景を見て無意識にそんな言葉が口から零れていた。もやがかかる記憶の中、自分がどんな光景を見ていたか完全に思い出せる訳ではなかったが、こんな光景を見たのはきっと初めてだと星奈は感じていた。

 キラキラ輝く水面に誘われるように近づき、池を覗いてみると透き通った水によって水底がハッキリと見え、太陽の光が底まで届いて不思議な文様を映している。

 ふと、星奈は水面に映った自分の姿に違和感を覚えた。


 「私……髪の毛こんな色だったっけ……それに目の色もなんか違う気がする」


 まるで薄曇り空のような青みかかった少し癖のある髪が風に揺れ。ナイルブル―の瞳には水面に反射する光が映し出されている。そんな自分の姿がおぼろげな記憶にある自分の姿とどこか違うと星奈は強く感じていた。その違和感の正体は一体なんなのか思い出そうとしながら水面に映るその姿と対峙する。

 

 その時だった。池のほとりに立ち、水面を覗き込む星奈の背後に迫る影が現れたのは。

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