Ep.6 雨夜星 | アマヨホシ
【雨夜星】アマヨホシ…雨の夜に見える星。滅多にないことの例え。
Chap.20
窓を打つ
薄暗い部屋でふたり肌を寄せて
包まれるシーツの海は
柔らかなブルーグレイ
僕の腕の中、見上げる瞳が揺れて揺られて
あぁ、また、性懲りも無く
あの夏の終わりのリフレイン
:
「ユンギと会う日は、いつも雨だったような。」
「…でも、花火も星も見れた。」
「そうか、夕焼けもキレイだったね。」
「また、来年も見たかったんだ。一緒に。」
「…そうね。」
「ねえ、本当に行くの…?」
「行くよ。それが私の、今やるべきことだから。」
「いつ帰ってくる?」
「決めてない。行きたくて行くから。期限は決めない。」
「…。」
「こら、そんな顔、しないで。」
「大学生になって、社会に出て、これからたくさん出会いがあって、自分と同じくらいの可愛い子達に囲まれて、きっとこの夏のことも、すぐ忘れられる。」
「どうして…僕はまだ、これからどうやっていけばいいかも、わからないのに。」
「ユンギは、これからたくさん恋をする。その度にたくさん曲が生まれて、そうやってキミが音楽と生きていることが大切だ。」
「ヌナじゃなきゃ、意味がないよ。
離れたくない。このままずっとこうしていたい。」
「…ユンギヤ?キミは私の雨夜星だよ。」
「あまよほし?」
「そう、雨の降る日に見えた星」
:
ピアノを弾くのをやめて窓の外を見遣る。
今日も雨が降っていたんだった。
静かで肌寒い、秋の雨が。
貴女に逢えない雨が。
雨夜星。
滅多にないことの例え。
僕の音楽は、土砂降りの雨みたいな毎日の中に見えた、星の輝きのようだとヌナは言った。
誰かの世界を希望に満たせるのだと。
だから約束した。
いつか必ず僕の音楽を世界に届ける。
貴女がどこにいたって、僕を思い出せるくらいに。
貴女の世界が、美しい季節に包まれるように。
その時またはじめるんだ。
あの夏の終わりの続きを。
あの夏に、もう一度、僕が
貴女を連れていくよ。
:
「何年かかるかわからないけど、僕の音楽がヌナのいるところまで届いたら、その時は、また、会いにきてくれる?」
「いいよ。」
「約束して?」
「うん、約束。」
ねぇ、ヌナ。
僕はまだ、この約束と生きてるよ。
Chap.21 — diary by A
プロジェクトは遅延していた。
リカバリー計画も立てられないほど、メンバーのリアクションが悪い。
たくさんの人が関わる物事を滞りなく進めるというのは、端から見ている以上に難易度が高い。
何を悪の根源とするかは、その人の思想に深く結びついているものだ。
悪い事が自分達のコントロール不可な何かによってもたらされるとするか、自分達がコントロールできる範囲に存在するとするか。
根底にある思考パターンは、無意識下であればあるほど最終的に相容れないものである。
自分と個人的に相性が良いか悪いかが、仕事の出来や進捗と結びつきやすいのは、私が未熟だからか、それとも、私以外の何かか。
そのどちらでもないのかもしれない。
慣れればいい。
帰りにスコールに打たれるのにも慣れた頃だ。
あらゆる事を成すために、ただ慣れていけばいいのだ。
そのことが、こんなに苦しい日がある。
ただそれだけのことだ。
早く帰って、音楽を聴こう。
遠い知らせに順調だと聞いた、彼の美しい世界に逃げよう。
明日もまた何かに慣れるために。
Chap.22 -- 5 years later
「やっほ〜」
「やぁ、ホバ、いらっしゃい」
ジュンから嬉しい知らせを受けて、早速アトリエに駆けつけた。
ここにくるのは随分久しぶりな気がするけど、ついこないだも来たような感覚に陥る。
僕の友人が纏う、ゆっくりと、でも確実に年月を刻んでいるような空気が、この作業室にも充分に伝播している。
そうそう、大きなのっぽの古時計。
あの歌の雰囲気にますます似てきているよ。
「もうあれから5年も経つんだね。
あの時ジュナが血相変えて連絡してきた時にはどうなることかと思ったけど、さすが、あんたの弟子ね〜。」
「俺は何にもしてないよ。それに、ユンギのことだから、まだまだここからって思ってるだろ。」
「師弟は似るというじゃない?女の好みまで一緒とは思わなかったけど。」
「お前な、そういうとこ、一言多いんだよ…」
5年前の夏。
ユンギがしばし失踪をかまして、大騒ぎした夏の終わり。
まさか、相手がアミちゃんだったとは。
あの時、動揺したジュンを電話で宥めながら、驚きと同時に妙な既視感に包まれた事は言わないでおく。
師弟とは始めから似ているから師弟となりうるのか。
師弟となった故に、似ていゆくのか。
周りの大人たちが大層心配した割には、本人はあの後もしっかり学校に来ていたし、淡々と勉強をこなして、希望した音大に合格していった。
そう、まるで何事もなかったかのように。
いったいアミちゃんはどんな魔法をかけていったんだろう。
ユンギは、この度ヨーロッパへの留学が決まったという。アジア勢にはまだまだ狭き門のスカラシップを、見事に勝ち取って。卒業生の大出世に、職員室は大騒ぎである。師匠の事も祝ってあげなくちゃと、今日僕はここに駆けつけたわけだけど。
「アミちゃんには、連絡したの?」
「ん?いや、ユンギに聞いても、言わなくていいっていわれたから。」
ジュンの横顔が凪いだ海のようになっている。
この顔には何度か見覚えがある。
僕たちの友人歴も伊達に長いわけじゃない。
「みんな行っちゃうの、寂しいね?」
「いや、これでいいんだ。俺はそのためにここにいるようなもんだから。」
「どういう意味?」
「まぁ、それは、そのうち、わかる。」
優秀な彼の元には次々と弟子入り志願があるようだし、これからもユンギのような優秀な後継を育てていくのだろう。新しい彼女(がいま何人目の誰なのかくらい教えてくれてもいいのに)と、その後順調だと聞いているから、プライベートだっていつかは彼のペースで充実していくはず。
それでもミューズの喪失は、
未だ凪いだ水面を色濃く染めているよう。
たまには連絡くらい、寄越してあげればいいのに。
ジュンのことよろしくとか言って、スッパリ出立した背中が潔すぎて寧ろ妬ましいほどだ。
まぁ、ただの外野の感想だけど。
「ホント、罪な女ね…」
「ん?」
「俺の胸でよければ、飛び込んできて構わんよ?」
「ははは、そうさせてもらおうかな。」
「呼吸、してよね?」
「うん。ありがとう」
友達が動かない古時計になってしまわないかと、本気で心配する僕を、海の向こうのあの子は笑うんだろう。
ふふふ、と余裕の眼差しで。
ジュンはそんなに柔じゃないとでも言いながら。
Chap.23 - diary by Y
貴女が遠くに行ってしまっても
貴女のいうとおり 季節は巡るよ
目を閉じれば 今も鮮やかな
貴女の濡れた瞳が僕の腕の中で揺れるよ
吐息と律動と、聴こえるのは2人だけのアリア
あの雨の夜に
僕は置き去りにされたまま
貴女がいない季節は巡る
思っていたより、なんでもない顔をして
散々と吹く、あの夏の風
人待ち顔した未来が
足元に散らばる毎日に埋もれて
そしてまた季節はうつろう
今年も訳知り顔で、何度目かの夏を連れて
あの夏の僕たちのことは、何も知らないくせに
あの日潸潸と降っていた雨が、この肌にまだ冷たいというのに
今日も雨が降っている
貴女に逢えない雨が
Chap.24 — diary by A
ジンさんがまた新しい案件を拾ってきた。
これで何ヵ国目だろう。
ご家族の悲壮な顔が浮かぶ。
そろそろ帰国してもいいと思っていたが、再度白紙に戻る。
就業ビザの申請に帰国しなければいけない気がするが、会社がやってくれるのだろうか。
ついでに1週間くらい滞在できるといいけど。
会いたい人も、会えそうな人も、もうそんなには残っていない。
やっぱり、3日で帰って来れるかもしれない。
Chap.25 - diary by Y
久しぶりに帰国して、先生のアトリエに立ち寄る。
変わりないようで嬉しい。
久々の日本の夏は、暑さが独特できつい。
級友が何人か結婚したと聞いた。
月日の流れを感じる。
どうしてだろう、僕だけがまだ立ち止まっている気がするのは。
みんなとは一番遠くにいるのに。
恋してるか?と先生に聞かれた。
先生はどうなの?と聞き返してやった。
ラブソングの制作があるらしい。
ノクターンなら腐るほどありますと答えておいた。
今日が先週だったら会えたらしい。
もう7年くらい経つんだから、偶然をプレゼントしてくれてもいいのに。
神様は意地悪だ。
相変わらずだと聞いて安心する。
先生だけズルいと言ったら笑われた。
そのついでにお願い事をしておいた。
Chap.26 - a few years later
午後のアトリエ。
コーヒーの香りと、ラジオの音。
いつもとは少しだけ違うのは、よく知ってる声が聞こえてくることだ。
読んでいた本に栞をして、窓の遠くを見遣る。
「この度は受賞おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「まず報告したい方はどなたでしょう」
「あー、いつも支えてくれる両親と、昔からお世話になっている先生に、心からの感謝と共に報告したいです。」
聞き慣れた声だけど、どこか知らない人のようにも聞こえる。
こちらも自然と歯に噛んだような表情になる。
「きっと皆さんも喜んでらっしゃるでしょうね。この作品には特別な思いが込められているとお聞きしましたが。」
「そうですね。逆に色々と詰め込みすぎないように、シンプルにして行く作業に時間がかかりました。皆さんの耳に届いたときに、美しい季節が広がるといいなと思っています。」
「それでは、受賞作品、お聞きください。」
目を閉じて耳を澄ます。
あいつにも届いているといい。
Chap.27
効きすぎた冷房でオフィスのファシリティはいつも冷え切っている。
外の強烈な日差しがなければ、まるでここは冷凍倉庫のようだ。
カチカチに凍って吊るされた食肉を想像しながら、いつか見たホラー映画を思い出す。
このタイミングで考えることじゃないなと笑いながら、まるで南国の地に似合わないライトダウンを羽織って、指先をホットジャスミン茶で温める。
どこかで綺麗なメロディが流れている。
同僚がかけているラジオか何か。
ふっと息を吐いただけなのに、それまで聞こえなかった音を拾い始める。
今聞こえた方が良い音なのだと、まるで誰かが教えてくれているかのように。
人の体とは不思議なものだ。
意識のコントロールの外側で、勝手に集音マイクのON/OFFを操作しているのは、自分かそれとも自分でない何かか。
「Hey, Ami? Could you check this article?」
「Sure.」
耳を優しいメロディに残しながら、同僚のサンの記事を検収する。
彼女の文章は簡潔で読みやすいから助かる。
こちらに赴任してからもうすぐ10年になる。
その間も、案件によっては、色々なチームや国を渡ってきた。
できるようになったことも、できないとわかったことも、全部含めてやりたいことを一通り経験するには十分な時間だった。
結局少しも立ち止まらずに、何かをどこかに置きっぱなしにしたまま。
あの日、何かに焦らされて生きていた私が、望んでいたことは何だったのか。
その何かは、終ぞ満たされないままだ。
「Wow〜, beautiful song, isn’t it?」
「Yeah, I really like it. I can feel beautiful season…」
本当に美しくて心地の良いメロディ。
昔に見たことがある景色が広がって行くような感覚。
胸の奥に仕舞い込んだノスタルジーを、もう一度膝の上にひろげてみたくなるような。
そうか。
随分、長い時間が経ったんだな。
あの雨の日に見えた星が瞼に浮かんでは消える。
今もまだ、キラキラと輝いているだろうか。
気づけばラジオのDJが曲名を告げて、次の曲にうつろうとしていた。
「AMAYOHOSHI」
ほらまた、体が勝手に、音を拾ってきた。
全てのコントロールを手放すのには十分すぎる音を。
同僚のサンが慌てている。
どうやら涙も決壊しているらしい。
おかしいよね。
随分と長い時が経っているのに、
私はまだ、あの夏の日を忘れられないでいる。
涙雨の向こうに星を見ながら、
そっとしまった扉を、開けようか迷っている。
約束の時が来たのだと、信じられないでいる。
わかっているくせに。
満たされない理由も、
次に何をする時なのかも。
Chap.28 - Radio sound
「国際作曲コンクルーで見事入賞を果たしました、ユンギさんで『雨夜星』でした。
この夏から拠点をイギリスに移したとのこと。ますます活躍が期待されますね〜」
「ありがとうございます。今までやったことのないジャンルにも、どんどん挑戦していけたらと思っています。
あと僕は、音楽を始めるときに約束したことがあって、それを、えー、淡々とやります。」
「ははは、ユンギさんらしいですね。」
「本日のゲストは、ユンギさんでした。ありがとうございました〜」
Chap.29
「行くの?アミ。僕を置いて?どうしよう、そんなこと、考えてもみなかったよ。僕はこの先どうやって生きていけばいいっていうの…」
ムカつくほどハンサムな上長が、今まさに映画のワンシーンかのようなポーズで台詞を吐いている。
ジンさんも私と同じだけ歳をとっているはずだが、むしろ若返っているようにも見えるから不思議だ。
「…いや、もう少し他の言い方ないんですか。人が久しぶりに真面目な相談してるっていうのに、いつもと変わらなすぎて本当にムカつくんですけど。」
おや?といった表情返しも、10年以上も一緒に働いていれば慣れたものである。
「だいたい、何年こっちにいると思ってるんですか?ジンさんの奥さんにそろそろ国に帰りたいって毎度相談されてるの知ってるでしょ!終わったかなーと思うとすぐ新しい案件拾ってきて!私は本当によく頑張ったんです。少しくらい休憩したっていい時でしょう!」
「えぇ、僕の期待値はまだ一回も超えてないけど?」
「それなのにずっと連れ回してたとしたらマジで新手のパワハラですよ。」
「アミが帰るなら、僕も帰ろっかな?」
「…10年たってもずっとウザイって、さすがワールドワイド級ですね。」
「ひど〜い♡僕がいなきゃ泣いてるくせに」
(ちっ、知ってたか)
こないだフロアでうっかり泣いてたことは、早速上長にまで届いていたようだ。
なんと風通しの良い会社なことでしょう。
「そうだね、少し休憩か。それも必要なんだろうな。」
「…はい」
「僕らの世代は、きっと今までの人たちより長く働き続けることになるんだろうけど、今は物事が消化されるスピードが早すぎて、気持ちをひとつの事に留めておくのが結構大変だよね。」
わかるよ、と言って、珍しくマジな顔になっている。
こっちの顔のほうが100倍イケメンだと言ったら調子にのるからやめておく。
「寂しくなるな。でもまたアミの気持ちはここに戻ってくるような気がする。その時にまた、僕と一緒に仕事してくれる?」
敵わないな。
この人は誰よりもウザくて、誰よりも私のことを見透かしているんだった。
仕事が好きだけど、今は少し気持ちが離れていることも、ずっと不安で勇気が出なかったことも、いつかまた戻ってきたいと思っていることも。
全部バレていて、それでいて一番欲しい言葉をくれる。
いつもは言わないくせに。
「ジンさんは…なんでも、わかっちゃうんですね」
「アミのことは誰よりも知ってるからね♡」
「本当に、お世話になりました。」
「うん、いってらっしゃい。」
「アミ?」
「はい。」
「幸せにね」
最高にウザくて、最高にイケメンのボスに見送られて
私は、少し長めの休憩に入ることにした。
Chap.30 — diary by J
僕の可愛い部下が、ついに巣立ってしまった。
もう長いこと一緒に働いてきた手前、このワールドワイドハンサムな顔でも、寂しさを隠しきれていない。
それでいて、彼女がずっと悩んでいたことも知っていた。
何かきっかけでもあったのだろう。
人生はタイミングの積み重なりだ。
こちらにきてからも、いろいろ誘いはあっただろうに、誰も彼女のタイミングを掴んではこれなかった。
僕も痺れを切らして、何度かは本気でタイミングに立候補したのだが、その度に背筋も凍る毒舌で撃退された。
(これを世の中ではセクハラとでも呼ぶのかな)
今度こそ幸せになってほしい。
心からそう願うよ。
Chap.31
本を読んでるキミが好きだった。
天窓から差し込む、柔らかい日差しと一緒に、少し目を細めながら、大きな体を丸めて。
少し空気が変わるのを待つ。
「ジュナ?」
「やぁ。」
人好きする優しい笑顔で、あの日のまま、ちっとも変わらないで、そこにいてくれるんだな。
きみとしばらくぶりに視線を交わす。
瞳の奥が少しだけ揺れているのは、私だけじゃないようだ。
「おかえり、アミ」
「ただいま」
長い年月の中で、変わらないものがあるとしたら、それはなんだろう。
形あるものはいずれ全て壊れるのだから、変わらないでいてほしいというのは、ヒトが抱く欲のようなものなのだろうか。
「ここにいてくれてありがと」
「ん?」
「変な言い方だけど…嬉しい。」
気持ちを素直に言葉に出しても、全てが伝わるとは限らない。
ここに来るまでに溜め込んでいた色んな感情が混ざっていて、正直うまいこと言えないんだ。
次の言葉に迷っていると、
いつの間にかジュンの腕の中にいた。
懐かしい感覚。
変わらないもののひとつ。
別に言葉じゃなくったっていいさ。
お互いにそんなことを考えてるんだろう。
もう一度だけおかえりと言って長いハグが終わる。
もう一度だけ、ただいまと返して、コーヒーを淹れることにした。
:
「アミが戻ってきたら渡してって言われてるものがあってさ。」
手渡された手書きの楽譜。
走り書きのタイトル。
「これ…ユンギの…」
「そう、受賞作。約束、果たせてよかった。」
「でも私、遅過ぎたよね…?」
長い時間が経った。
その事自体に慣れてしまえるほどの時間。
変わらないでいてと願うことすら憚られるほど、十分な時間が。
「確かめにいったら。」
「誰だっけと、言われるだけだよ。」
「言われたら、なんなの。」
「その曲のタイトル、とっくに気づいてるだろ?
それがアミがずっと救いにしてた約束なんじゃないのか」
ジュンの顔を見る。
深みを増した優しい笑顔に、歳月を感じる。
「早く行ってこい。あいつが首を長くして待ってる。あの夏から、ずっと。」
あの夏を、どうしたら忘れられたんだろう。
土砂降りの雨の日に見えた星。
今も変わらずに輝いてるかな。
Chap.32
今日もこの街は、暗くて冷たい雨が降っている。
天気が悪い日が多いと聞いていたけど、確かに晴れの日が少ない気がする。
出先からスタジオに戻ってくると、体はすっかり冷え込んでいた。
「Yoongi? You had a visitor. She put it for you」
「To me? Thanks…」
来訪だって?
誰だろう。こんな雨の日に訪ねてくる人も少ない。
手渡された花に添えられたカード。
ー Congratulations! やっぱり雨だったね。
「なんだって?まさか…!?」
ものすごい勢いでスタジオを飛び出した。
傘をさすのも忘れて。
Chap.33 - the last scene
やっぱり雨が降っていて笑ってしまった。
分厚い灰色の雲が、似合う街だ。
受付のキレイなスタッフが、彼の不在を告げた。
正直、少し安心したんだ。
よくわからない緊張で手が震えてたし。
それでいいのかもなと、思った。
キミはどんな大人になったのかな。
単純に興味があったんだ。
未熟な大人のままでは、会ってはいけないのかもしれない。
タイミングの力がなければ、私は1人で歩き出せもしないから。
遠くで呼ばれた気がした。
ついに幻が聞こえ始めたか。
「アミヌナ!!!!」
「ユンギヤ…?!」
「待ってよ、なんでっ!待ってって…」
息を切らして真っ白な子が走ってきた。
雨の中、傘もささずに。
傘に招き入れて見上げる顔は、
真っ白で、相変わらずキレイだ。
あの夏のフラッシュバック。
あぁ、よかった。
本当に、ユンギだ。
「久しぶり。相変わらず白くてツヤツヤだなぁ。少し大きくなったかな?」
「ヌナ…どうしよ、夢かなこれ」
「随分おばさんになったけど、一応生きて帰ってきたぞ。」
「まったく、ヌナは相変わらず、そういうこと言うんだね。」
傘の下で響く声も、あの時より低く落ち着いている。
「みんなに聞いたら、ここにいるっていうから来て見たんだ。元気そうでよかった。」
長く伸ばした黒髪が濡れている。
あどけない青年だった面影はかけらもない。
「ユンギヤ、すっかり、大人になったんだね。」
「…俺、あの時のヌナよりも歳上になったよ。」
少し愁いを帯びた、知らない表情にハッとする。
変わっていて、当然だ。
みんな結婚して、子供がいたりする歳だ。
あれから何年経ったと思ってる。
私は何を夢心地だったのか。
「…ごめんね。突然訪ねてきたりして。
本当におめでとう。これからもずっと応援してるって伝えたかったんだ。」
早口でまくしたてて、視線を外した。
これ以上はポーカーフェイスを保っていられそうにないから。
「今日は会えてよかった。」
—ほんとはずっと会いたかった
「邪魔してごめんね。」
—ほんとは…、ねぇ、ユンギ。ほんとはね?
「じゃぁ、またね。」
—約束を忘れられずにいたよ
踵を返して進んだはずの体は、強く引き止められた。
「ヌナ!待ってよ!」
「っ?!」
振り返って見上げた瞳は、あの日見た色をしている。
「ごめん、ヌナ。こんなのおかしいかな?」
「な…にが?」
「俺、できなかったんだ。どうしても。できなくて…」
熱くて青い。
ユンギの瞳が揺れて、ピアノの音が聞こえた気がした。
あの夏に聞いた、美しいメロディが。
「俺は、今もまだあの夏のまま、貴女が恋しくてたまらないんだよ。」
「…?!」
「ヌナ、ごめん、俺もう…」
雨が降っている。
傘は濡れた地面に転がっていく。
私は強く抱きしめられている。
「会いたかった…。本当に、会いにきてくれた。嬉しくて、腰が抜けそうだ…」
あの夏の鼓動が聞こえる。
夕立と、星空と、花火の匂い。
「約束、覚えてる?」
「だから、会いにきた…。」
「今すぐ、はじめていい?」
「せっかちだな」
「10年待ったんだけど?」
「待ってたのは、ユンギだけじゃない…よ」
季節が何度過ぎても
変わらないものがあるんだとしたら
あの夏の約束
雨夜に見えた星
それはまるで奇跡のように
あの夏の続きから始まる
2人だけの新しい譜
愛、燦々と
いつまでも降り注ぐように
『雨の名前』
完
---
*作中楽曲イメージ / ブラームス「雨の歌」No.1
雨の名前 春雨花時雨 @slys2206
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