第26話 ニーナ①

悲しみも苦しみも全部全部なくなればいいのに…

誰かの幸せが誰かの不幸だなんてことなくなればいいのに…


「ニール!」


それが私ではない私の名前

たった今日一日で両手にしみついたのは洗っても落ちない後悔の念だった。

こすってもこすってもそれは消えることが無くて気持つ悪くなり手をこすり続けていたらアナスタシアに両手をつかまれた。


「やめなさい。」


顔をあげるとチームの皆が心配そうに見ていた。

運転をしているタケルまでもがバックミラーで見ているんだから私は相当心配させてしまったのだろう。


「いずれかは慣れるなんて言わねーし、慣れていいもんじゃねーよ。」


「そうそう、私たちはその気持ちを一生背負わなければいけないの。」


繋がれたアナスタシアのやわらかい手はなめらかで冷たかった。やわらかいその手を少し握ると大丈夫と握り返してくれ、それはまるで母のようだった。

見つめ合う私とアナスタシアに居心地の悪そうな咳払いをしてアレックスはメガネの位置を治した。


「あのな、俺たちが動いたことによって助かる命は多いんだ。恐怖を感じて逃げた人の大半は助けることが出来たんだって思ってもいいくらいだ。怪我したって恐れたってそれは命あるからこそだからな?」


「そうよ。あのままあそこで感染が広がっていたらどうなっていたと思う?まずあのビルは二棟とも全巻冷暖房で空調が全部つながる構造だったから全員が感染。中には感染に気付かないでまた他の住民にあってそこでも広がって…言わなくてもわかるわね?それに今回助けに入れたのは幸運だったのよ。もし私たちでない別部署が対応していたら彼らは間違いなく殺されていたでしょうし、まだ初期段階の彼らはそれほど体に異変が生じているわけではなかったから元々重症患者だった一人を覗いて全員が今生きていられる。だから自分の力を嫌わないで。」


「アナスタシアの言うとおりだ。今回の仕事は住民も我々も死者は0なんだから誇ってもいい。お前の力があるから出来た作戦なんだ。」


パーカーのフードをずりおろし顔を隠しながら二人の言葉にうなずいた。

もし一人でまだ山奥にいたら傷つくこともなかったがおそらくこういう暖かい気持ちになることもなかっただろう。


「神楽さんもお待ちだ」


神楽の姿を確認すると運転しながらタケルは窓をあけ神楽に手を振った。

タケルの掛け声で外をみるとそこには変わらない笑顔の神楽と不貞腐れて頭に手を回すニジェールの姿があった。


「あーあ、まだふてくされてる。」


「あいつ置いてかれたのしばらく根に持つぜ…」


「自業自得だ」


窓の外を食い入るように見ていたニーナに気付き横にいたアナスタシアは車の窓を開けた。

タケルが開けた窓から一方的に入っていた風は通り道を見つけたようにその窓へと抜けていき車内の空気は一掃された。通り抜ける風に目を細めながら思い切ってニーナは車の窓から顔を出すと思った以上の風量でフードは脱げ髪はボサボサになってしまった。車内ではそんなニーナをみて笑い声が聞こえ神楽は笑顔のまま手を振りニーナの帰還を喜んだ。

到着すると先程まで風の波にのっていた髪は重力を思い出したかのように下に落ちすっかり絡まった髪はまるで鳥巣のようになっていた。


「あらあら、これは大変よ。」


ニーナは鳥巣になってしまった自分の髪を気にせず前だけ見えるように雑に両手で髪を描き分けフードをかぶろうとした。だがそのフードはアナスタシアにより下され鳥巣は丁寧にほどかれていくのであった。


「だめよ。このままにして置いたら枝毛が出来ちゃうじゃない。」


アナスタシア愛用の櫛で丹念に手入れされもとの状態を戻していく髪をタケルは大笑いで写真をとり戻った髪をみてニジェールはくだらないといった様子で鼻でならした。


「んでそんなにボッサボサになれるのか理解にこまるね。」


「ふふ、猫ッ毛だったからよね?」


「そういえば髪柔らかかったな。」


「マジか!?俺も触る触る!!」


綺麗になったばかりの髪はタケルにより再びボサボサになってしまい、タケルがアナスタシアに怒られたのは言うまでもない。

再びアナスタシアにより綺麗に髪は整えられフードをかぶてしまうのももったいなくて普段かぶったままでいるフードは降ろしたまま今回の任務で使った自分の装備の片付けに入った。

マスクや服は一通り片付け終わり結局使うことがなかった銃やナイフを手に地下へ向かう途中、心配そうな表情を浮かべるアレックスに呼び止められた。


「隊長が呼んでる」


一言だけ言うと、このまま戻す予定だった銃やナイフを手から抜き取られ早く行くように促された。アレックスの言葉に甘え自分の武器をアレックスに託しリビングに戻った。

先程から姿が見えない神楽を探してリビングを見渡したがやはりいないらしく今朝神楽が現れた扉を恐る恐るノックしてみた。鍵がかかってあるだろうその扉は三度目のノックの前に開かれた。中から神楽が顔をのぞかせ部屋に入るように扉を大きく開き中へと案内した。

神楽の部屋はオペレータールームも兼ねており沢山のモニターに囲まれたデスクが設置されている。その一つ一つは今は電源も切られているが任務中は全てのモニターが作動されておりドローンが発する画像や隊員のバイタルなどがモニターされている。先程まで使っていただろう机の上にはまだ書類の束が残っており残務処理がまだ残っていることが分かった。

未だ未処理の書類が置かれているデスクの手前には、テーブルとソファーが設置されていてニーナは神楽に手前のソファーを進められた。


「片付けてるところ悪かったね。」


「アレックスが手伝ってくれて。」


「アレックスも先輩として張り切っているようだ。」


「そうなんですか?」


「そうだよ。アレックスだけじゃなくてアナスタシアや他のみんなも各々張り切ってるよ。久しぶりの新人だからね。」


「もっと大勢いたんじゃ」


「いや、僕達のチームは元々少数のチームなんだ。昨日も話したと思うけど、僕らの部署は他部署と違って行った業務は評価はされない。評価されないということは花形の部署とは違ってやる気がある人間はそもそも入りにくい。そしてチームの人間の大半が元感染者ということもあって殆どの人間が僕達の部署に入るどころか近づきもしないのさ。まぁそれは面接する時間がとられないということだから僕としてもありがたいことだけどね。

本当に君が久しぶりの新人なんだ。」


「そうなんですね」


「それで?そんなニールは今日どうだった?」


「?」


「初めての配属でついた初めての仕事。緊張したでしょ?」


「はい。正直…怖かったです。」


そう怖かった。

兄とは違い対人スキルも仕事経験もない。外にでる勇気なんてものはないし自分の能力で他人を惑わすなんて勇気もない。そんな無いばかりの私が今日は全てをやったのだ。

それに兄以外に実際に感染した人間をみるのは初めてで、他人と行動するのも初めて。仕事をするということも初めて。初めてばかりの行動を怖いと思わないわけがない。

怖くないわけがないじゃないか。


今怖いと話した言葉が神楽にどう伝わるか分からないし兄なら怖いだなんて絶対に言わないだろうけれど、なんだか神楽には嘘は見破られてしまいそうで本心を話した。


「なにが怖かった?」


「じ…自分の力が。こんなに恐ろしい使い方もあるんだと…」


今日は全てが怖かった。

初めての経験も使い慣れた自分の力すら全てが。

兄を装う私には詳細を話すことは出来ないけれどこれはまぎれもない事実だった。


「もうやめたいと思った?」


「やめたいとは…やめたいとは思いません。」


何故そんなことを言うのかと神楽の瞳を見たがその閉ざされた瞳に自分が映ることはなかった。呼び出して今日の感想を聞いた神楽の真意がはっきりとはしない。

それは単に私が今まで人と接点がなかったから他人の真意を見分けることが出来ないからだろうか?


「でも今日みたいな出来事は今後も沢山おこるよ?時にはもっと酷い状況で。正直今日はかなり良い方なんだ。誰一人として死者がでなかったからね。それは」


あぁ、そういうことか。

表情を変えないで話す目の前の人は私をやめさせようとしているのか。

分かってしまえば全ては単純で、初めての任務が実践だったのにも納得がいった。

一瞬で不要と思われてしまった自分の情けに涙がでる。

兄を偽っているつもりで結局は兄になり切れず何の役にもたてない自分に涙がでる。

瞳にたまった涙を悟られないように意識するが、一度あふれてしまった感情は涙になり不安や劣等感や恐怖そんな沢山の感情は涙になってあふれ出した。


「分かってます。想像でしかないですが、分かってます。確かに今日怖くて足手まといになってしまっていたのは自覚してます。決して躊躇してはいけない部分で躊躇してしまった時もあります。始め…いえ言い訳はしません。単に私が弱かったんです。私が弱くて、考えが甘かったんです。それが今後迷惑をかけるならやめたほうがいいと神楽さんが決断する原因になっているてことも分かっています。でも…それでも私は」


自分でも何を言っているのか分からなかった。

居場所なんてなかった。帰る場所なんてなくなってしまったそんな私がここを追い出されたらどこに行けばいいのだろうか。

どうか追い出すなんて言わないで。


「落ち着こうか。」


神楽はゆっくりと落ち着かせるような口調で話した。


「僕はね、単にこれからも君がここでやっていけるかどうかを聞きたかっただけなんだ。まだ君に可能性が残されている間に判断してほしかったからね。」


「可能性?」


「そうだよ。まだ君は選べるんだ。僕たちとこのまま残るのか、薬を飲んでもっと安全に働ける部署にうつるのかをね。実は昨日の今日で早々に任務に付かせたのには理由があったんだよ。心配させてごめんね。別に追い出そうとして無理に任務につかせたつもりはなかったんだけど、君に残された猶予が迫っていたから無理矢理任務についてもらったんだ。アレックスにもそのことで怒られてしまったよ。」


「そう…だったんですね。」


「改めて可能性があるって分かってニールはどうしたい?」


「…」


正直分からなかった。

一昨日までは兄の代わりに検査される順番を待っている状況だったし、昨日はとうとう検査され新しい住居に移動するのだとばかり思っていた。

それが昨日一変して新しい住居にいくことはしなくてもいいという話となり、神楽に拾われ働くこととなり今日実際に仕事をした。もう私が進む道は神楽の元で働く道ばかりだと思っていたし、今後もこういう生活が続くと思っていたのに…

急に与えられた選択肢に昨日同様に動揺することを分かっていたのだろう。神楽は今度はすぐに決めろとは言わなかった。


「すぐには答えはでないよね。一晩考えてから明日教えてくれるかい?」


「はい。」


神楽の言葉に地に足がつかないまさにそういう気持ちだった。

ここにいなくてもいいよ

そう言われているようで。

お前なんかいらない

そう思われているようで。

父がそうであったように。

兄がそうであったように。

私はだれにも必要とされていない。

昨日神楽に『今日からここが居場所だ』そう言われたときはどんなに嬉しかったんだろう

今まで虚無の領域にいた私にとっての光だったのに

兄に代われと言われ居場所がなくなった私にとって唯一の居場所だったのに

それはなんて脆い場所なんだろう。

気付いたらニールとしてではない言葉を発していた。


「神楽さんは私に出て行ってほしいですか?」


驚いた表情を浮かべ目を開ける神楽の目を真っすぐ見ながら聞いてみた。

どうかどうかここにいてと言ってほしい

だが現実ではそんな願いが届くわけもなかった。


「君が選ぶことだ」


再び閉じられた神楽の瞳はもう見ることすら出来なくて、引き留めてもらいたかった気持ちは訪ねたことへの後悔の気持ちに代わっていた。


これは私がこの闇烏で働く

そういう物語のはずだったのに

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