深夜のバイト
付近のコンビニでトイレが貸せるか、ということでその地域の治安が測れるといわれていたのも、今は昔。
現在ではどこのコンビニも、一律に貸せないといわれているはずである。
なぜなら、消毒が面倒だから。
客の店内への滞在は、最小限。
もともとマーケティング上の設計で、人の流れが滞らない店内は、狭いながらも密にはならないものと見なされている。
結局のところ、
いらっしゃいませー。
とは、今では言わなくてよかったんだっけ?
はじめたころにはマスクで顔を半分隠した客なんて、緊急通報のマニュアルを意識しながら内心緊張していたものだけど、今ではその逆なのだから慣れとは恐ろしいものである。
シリバーアクセをつけた、パンクの恰好な一人客。黒い立体ウレタンマスクも、どことなくそのハイセンスな格好に馴染んでいた。
しかし、シャドウやマスカラ、細くシャープなその眉も。上半分はバッチリ決めているけれど、昨今ではマスクの下はノーメイクということも、さして珍しくはないのだろうな。
「ちょっと、オネーさん! これ、会計」
あっ……すいません。
いかん、いかん。
仕事中、ボーっとしていられる時間がままあることがこのバイトの利点だが、接客は手早く行うことが求められる仕事でもある。
たぶん、この客は二度とこない人だから、まあ別にいいっちゃいいんだけど。
*
シュークリーム、エクレア、プリンにスフレとモンスターエナジー。
なんだかアンバランスにも思えるラインナップだが、べつに珍しい組み合わせという訳でもない。
とにかく甘いものというのはどんな種類の人間でも、好きな人は好きだし、嫌いな人は嫌いである。飲み物に関しては結構ファッション性と関連があって、目の前の人のファッションは、その組み合わせでもいかにもであろう。
「オネーさん、一人っすか? あ、PayPayでお願いしゃっす」
いまは、そうですね。この時間、人手いらないですからね。
QRコードを差し出して答えた後に、こういうことはあまり言わないほうがとも思ったが、わたしのことを”オネーさん”と呼ぶオネーさんからは、べつに悪意は感じない。
そういう個人情報を利用する悪い人は――これも偏見なのだろうけど、自分を無害そうに見せるものだ。だからこのパンクな格好のオネーさんは、自分を攻撃的なファッションで身を包んでいても、それはいかにも自分を”攻撃的ですよ”と見せている、相手に対するやさしい警告のようなものだろう。
舐められることは嫌いそうだが、その一線をわかる相手にはこうして人懐っこい人物なのかもしれなかった。
「ワンオペ、大変っすね。でもここって、治安いいんすかね……?」
どうなんでしょうね。そういえば、事件らしい事件って、聞いたことはないですね。
ただし変態露出狂は一件、目撃例はあり。
とはいえさほど凶悪な例ともいえず、すぐそばに監視カメラがあると教えてあげると”あっ、そうなんですか”と真面目な声で返答し、しばらくそちらの方へ見せていた。
一見ごく普通のサラリーマン風の好青年で、スーツのズボンを少しだけ下げて、今や懐かしい象さん踊りを踊っていた。
彼があの一件でしかるべき役所に行ったのか、はたまたわたしが教えた文明の利器を利用して、いまや”リモートワーク”に移行したのかはわからない。今にして思えばまた彼との出会いも、一期一会のものだったのだろう。
彼の息子は、今も元気にしているだろうか。
「ここらへんでなんか、おかしなことってないっすか?」
どうなんでしょうね。わたしは普段、すこし離れたところに暮しているんで……。
そっちのほうでなら、引きこもりの吸血鬼、悪魔のような大家、満月には全裸で徘徊する真正露出狂とかいるんですけどね。
こっちはむしろ、相対的には普通のところです。露出狂とやけに馴れ馴れしいパンクファッションのオネーさんがいるくらい。
「そうなんすね……ここらだって思ってたんすけど」
マイバッグにスフレやプリンを包みながら、意外に几帳面なパンクオネーさんは、どこか当てが外れたというような態度だった。
別にいいんじゃないでしょうかね、おもしろいものなんて眺めるためにあるのであって、関わるのだけはよした方がいいですよ。
最後にマイバッグにシュークリームを詰めるオネーさんの手首には、髑髏と何かサーベルのようなものがクロスした、海賊旗のようなタトゥーが彫ってある。ワンピみたいな面白愉快な仲間とか、探してらっしゃるのだろうか。
「そー言えば、オネーさんって吸血鬼とかって……信じます?」
えっ……? いえ、信じません。
というか、信じないほうが良いです、奴ら。
アレを持って吸血鬼全てを評するというのは不公平かもしれないが、すくなくともわたしの経験では吸血鬼というものは一分の一、100%が約束を守らない。
今日も出ていくとき盛大に食卓の上で麦茶をこぼしてしまい、時間がないからエリに片付けてとお願いして出てきてしまった。
やってないんだろうなぁ……帰ってみれば、あの言葉に頷いたことさえ、彼女は憶えていないかもしれない。
とにかく
だから、吸血鬼は信じるな、というのは生活の上でのわたしの座右の銘である。
「ハハハっ……そーすよね」
と、すべてを説明するわけも行かず、曖昧に否定し曖昧に答えられる。
彼女がコンビニスイーツとモンスターエナジ―を詰まったバッグを片手に、自動ドアをくぐってゆく。
「でもね、オネーさん。もし出会ったら、絶対逃げたほうが良いですよ? 怖い怖い、吸血鬼からはね?」
それはもう、じゅうじゅう後悔しています。
答えは聞かず去っていったが、その際にその台詞を言いながらずらして見せた口元は、見事な黒い口紅がしっかり塗られていたのだった。
ああそれにしても……やっぱ、片付けられていないんだろうな、麦茶。
今日はこのバイトの終わりが、少しだけ憂鬱だった。
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