吸血鬼ハンター
わたしがエリと暮らし始め、しばらく経ったころ。私は彼女に、なにから逃げてこんな生活を続けているのか、と聞いたことがある。
誰から逃げて、あるいは何かから逃げて。
エリの現在の自堕落な生活を知っている今ならば、それがたんに現実や労働だということはもちろん承知している。
しかし当時、SNSのつてから一人暮らしだという私のほうに連絡をくれた彼女は、何かの事情があるようにも感じたし、わたし自身、割合に本気で何かから逃げてという彼女の話を信じていた。
はじめは警察だといっていたが、しばらくたってどうにもそれは違うようだと感じられた。べつだん具体的な何かを畏れているというふうには、エリの態度から感じなかったし、当時のニュースや新聞を積極的に調べていたということもなかった。
ほんとうにただ、しばらくの間は借りてきた猫のように生活していて、それからは次第に持ってきた荷物をわたしのこの部屋へと並べはじめ、今では居ついた猫のように加速度的にだらけていった。
ようやく痺れを切らし、わたしが彼女がなにから逃げていたのかとういうことを問い詰めたとき、聞き出した言葉がこれである。
「追われてるんだよ……吸血鬼ハンターに」
――いや、多分そんな奴はいない。
少なくともその道でプロとして食っていけてる人間は、どう考えても存在しないだろう。
*
当時は確かに、そう言うのもいるのだろうか、と半信半疑で納得しようとしたことをおぼえている。
聞き出した答えがあまりに、なんというか……耳慣れないものだったから、それを聞けたという時点で、ある種腑に落ちるなにかを感じてしまったのだろう。吸血鬼だから、吸血鬼ハンターに追われている。まるでパズルのピースのような答えだと、当時の私は感じたのだった。
しかしよくよく考えてみると、明らかにそれはおかしかった。
”【美少女】†エリ†【吸血鬼】@先生兼指揮官”
これが何の文字列かというと、現在のエリのアカウントの名前である(エリという部分は彼女の本名の漢字名)。覚えている限りでは、2018年くらいにはおおよそこの原形は出来上がっており、すくなくとも彼女という存在をSNS上で知ったとき、吸血鬼だとは普通に名乗っていたはずだった。
――さて世の中には、自然淘汰という言葉がある。
ふつう自然界の捕食者というものは、捕食対象の力量によってその生物自身も淘汰され、そうした切磋琢磨の中で生き延びていくものだ。
しかし、こいつのような吸血鬼を追っていて、しかもこの通り取り逃がしているような奴らが、たとえ福祉の行き届いた現代社会でも満足に生きていられるものだろうか?
わたしはコイツ以外の吸血鬼というものは見たことがないが、コレをベースに考えられる吸血鬼ハンターという存在はとてもまともな職業とは思えない。
たぶん、いたとしても趣味か何かで、兼業ハンターしかいないだろう。
これは想像だけど、吸血鬼狩猟友の会とかに名前だけで登録していて、年に二回とか三回とか、預けていた銃砲店から銃と銀の弾丸を持ち出すくらい。
狩猟シーズン中、仲間たちと集まって半日くらい山や森を歩いて汗を流したあと、恒例となった街の飲み屋で「いやあ、今日も空振りでしたな。ハハハ」といってビールを飲んで小料理をつまんで帰っていく。
たぶんわからんけど、そんな連中だろう。
*
わたしは吸血鬼ハンターが長年つかまえられなかった、幻の珍獣をよいしょと背負って、夕飯の並んだ机の前まで連行していった。
今日のおかずは、シーチキンの缶詰に醤油とマヨネーズを混ぜたもの。いちおうコンビニかどこかでサラダでも買ってこようと思ったが、どうせコイツは残すだろうと思うと、わたしも自分の分だけを買ってくるのも気が引けた。
陽が沈んでしばらくたつも、まだ寝起きのような表情でエリは食卓のシーチキンと茶碗の飯を眺めている。生物としての生存本能など、皆無である。
「あ~、いただいま~す」
微妙にやる気も食欲も感じない虚ろな表情で、箸を持って食べ始める。
しっかりしろよ、吸血鬼。
せめてもっと生きる気力のようなものを持ってほしいというのは、わたしのエゴなのだろうか。
こいつらにもっとやる気があって、食欲があって、そして吸血鬼の仲間を積極的に増やしていたら。今頃、吸血ハンターたちも、仕事で家庭を持てるくらいには稼げたかもしれないのに。
コイツがもっと厳しく吸血鬼ハンターに過酷な試練を与えられれば、もっと有能な吸血鬼ハンターだって生まれていたかもしれないのに。
そして世の吸血鬼ハンターたちよ。せめてSNSの検索機能くらい覚えてくれ。もっとITに明るくなってくれ。
ここで素行の悪い吸血鬼が、わたしの生活費という生き血を啜って、”【美少女】†エリ†【吸血鬼】@先生兼指揮官”とかいうふざけたアカウントで暮らしてるから。
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