微炭酸コーラ

 風邪を引いた。


 昨今は気を付けていたはずなのに、どこかでもらってきたらしい。


 一応は病院へ行って検査をちゃんとして、とくにそういうアレではない。

 バイト先へも連絡して、念のため何日かは休みをもらった。

 

 さほど頼りにならないとはいえ、わたしには今や同居人がいる。

 明日か明後日まで寝ていれば、さほど心配はないだろう。



 *



 その時わたしが寝ていると、エリが心配そうに近づいてきた。


 いや、心配そうというのは語弊があるか?

 べつだんエリはいつもの無表情で、寝ながら見ると少し不気味だ。


 あまり、近づかない方がいいぞ?

 今お前に倒れられても、わたしは世話もできないからな。


「だいじょうぶ。わたしは、風邪なんかひかない」


 この時ばかりはエリのその、口数少ない言葉が頼もしい。

 

 そうか、お前。


 ……バカだもんな。


「……コンビニ。なにか、かってくるもの?」


 さしものエリも、この日ばかりはやさしかった。


 まあ、そんな心配するな。大丈夫だよ。

 なんか飲み物でも、買ってきてくれ。


 エリはサムズアップすると、財布とエコバッグを持って出かけて行った。


 頭の中で、某幼児おつかい番組のテーマソングが流れる。

 アイツはコンビニの買い物くらいちょくちょく行っているけれど、お使いをしてくれるのは、マジで初めてだった。


 ウソだろお前……泣けてくるぜ。



 それから、しばらく。


 ガチャンと音がして、目が覚めた。

 わたしはいつのまにか眠っていて、自分でも驚くくらい消耗していたようだった。


 でもその足音はまっすぐこっちにやってこず、なぜか洗面所のほうへ向かっていった。


 なにやってんだ……?


 もしや、エリじゃなくてドロボウかなにかなのか?

 それともアイツ、なにかあったのか?


 こんな具合では、精神のようもだいぶ弱っているらしい。

 もしや怪我でもしていないかと、じっと洗面所のほうへ耳を澄ます。


 ――プシューッ。


 何かが吹いたような音と、すこしぽたぽたと液体のこぼれるような音。


 なんだ……?

 何かの、スプレー?


 いまだ正体も分からない何者かが、洗面所から近づいてくる音がした。


「んっ…………これ」


 すると洗面所から来たエリが、何か黒いボトルを持って、シャツの前をボタボタに濡らしやって来た。


 いや……お前、そんな恰好で……。

 いやしかし、彼女がその手に持っているものは――


 ほう、炭酸抜きコーラですか……。


 それの、失敗したものですね。


 ――炭酸を抜いたコーラは、なんかエネルギーの効率がどうやらすごく高いらしく、二日酔に愛飲する酔っ払いもいるらしい(また聞き)。


 それにコンビニのプリンと、プリペイドマネー。

 これはじつに手軽なスイーツで、しかも病床での暇つぶしも想定してバランスがいい。


 いや、それはお前が使うのか。


 そっちも、自分で食うのかよ……。


 わたしはその1/4ほどが泡になって減ったペットボトル(1.5L)を受け取って、上半身を起こし少しだけ飲んだ。


 買ったばかりのコーラは、多少振って爆発させたくらいじゃ炭酸はさほど抜けておらず、なんかペットボトルの表面もべたべたしていた。

 というか、露骨に滴っていた。


 とはいえ食欲の出ない現状で、この差し入れは有難い。

 それに多少とはいえ炭酸と中身を抜けば、寝床で飲んでもこぼすリスクは少なかった。


 まあ小言を言うのなら、もっとスマートにやってほしかったが、とにかくこれは、今のわたしの命をつないでくれたと思っていいだろう。


 エリ……さっきはバカだなんて思って、ゴメン。


 当人にはどうしようもない事実を、あげつらうべきではないと反省した。

 明日か明後日に起き上がれるようになったら、洗面所とあいつの濡れたシャツは、自分で始末させようと思った。


 これだけあれば、今日はもう食事はとらなくてもいいだろう。

 一石二鳥で水分も取れるし、もう少し飲んだら、このまま明日まで寝ることにした。



 *



 あれから幾分か経って、たぶん今は深夜だろう。

 暗い部屋の中エリが小さな背中を丸め、スマホか何かを弄っているのが見える。


 あいつ、まだあのシャツ替えてないのか……。


 しかしおかしなことに、わたしはものすごく腹が減っている。

 いつものような空腹感は弱いものの、体がだるく、頭もうまく働かない。


 いや……これは、風邪のせいか?

 検査ではべつに大丈夫だったはずだけど、やっぱりこれはマズいんじゃないのか?


 ただ今は熱は少し引いていて、身体の節々もべつに痛くない。ほんとうにただ身体の力が入らなくて、単純に消耗している感じだった。


 たんにわたしが、心細く感じているだけか?

 いつになくエリが何かをしてくれたから、すこし甘えたくなっているだけなのかも……。


 わたしは、丸くなって寝転んで、熱心に液晶画面をのぞき続ける、エリを見る。


 布団の中で膝をまげ、彼女とおなじ格好をすると、お腹のなかがキューとなった。

 わたしはそれが空腹なのか、寂しさなのか、自分の求めているものがわからなかった。


 彼女の身体で遮られた、有機ELの間接照明を頼りにして、わたしはコーラのボトルを手探った。

 とにかく今はアレさえ有れば、わたしの何かを満たせるはずだ。


 一人で飲むには少し大きい、その黒いペットボトルを引き寄せる。


 常温の部屋で放置しつづけたそれは、パンパンに張れ、すこしだけぬるくなっている。

 だけど、そのぶんさっきより、優しい味がするはずだ。



 ――いや。

 黒い、ボトル……?


 わたしはじっと目を凝らし、その薄明かりの中、コーラのボトルをじっと見た。


 ごく一般的な、日本人にもよく馴染んだ、メーカーのロゴとコーラのつづり。

 しかしその黒いパッケージには、そのすぐ下に、その商品の飲料としてのコンセプトも書かれていた。


 白くて太いその文体で、大きく書かれた「ZERO」の文字。


 そういえばそのボトルの表面も、今はそれほどベタついていない……。


 どうりで身体が、怠いわけだ。


 オイオイオイ。

 死ぬわ、わたし。

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