第3話 帰路

 輝夜かぐやとの打ち合いの後、シャワーを浴びてから帰路についた。と言っても目の前にある駅から乗っていくだけではあるが。

 時刻は午後二時とまだまだ明るい時間帯で人通りも多い。だが、駅には一人もおらず、待合席に座ることができた。待つこと数分で電車が到着する。その間、彼はボーッとしながらガラス張りの天井を見上げていた。

 電車に乗り込み窓際の一人席に座ったところで、パシューッとドアが静かめの音を鳴らして閉まり、移動を始めた。制服の内ポケットからスマホを取り出した。カーディナルを立ち上げ、様々な用途がわかりやすいようにデザインされたアイコンの中から通知マークをタップする。下から現在の通知がフェードインで表示されていった。


メッセージ:輝夜<改めて今日はありがとう。それとこれからよろしく>


 一番上に表示された輝夜かぐやからのメッセージをタップして表示させる。SMSのようなサービスが利用できるLinkリンクというメッセージアプリだ。


        ───Link───

 

氷継『いやいや、こちらこそ。良い運動になったよ』


輝夜『良かった。っあ、急に送っちゃったけど大丈夫だったかしら?』


氷継『ああ、大丈夫だ。大体暇だからな』


輝夜『そう、なら何もなくても送らせてもらうわ』


氷継『おう』


輝夜『それじゃあ、気を付けて帰ってね』


氷継『そっちもな』


        ───◇◇◇───


 やり取りを終えてスマホを閉じ、内ポケットにしまう。アイコンが自宅にいる猫の写真な輝夜かぐやとは、演習場を出る前に連絡先の交換を済ませていた。

 ガタンゴトンとJRと比べてかなり静かに音を鳴らしてゆらゆらと電車に揺られる。窓から見える景色はいつも通りの、みんなにとっての日常が。歩きスマホでぶつかりそうになる人、誰かと電話をしながら歩く人、人の多い歩道を自転車で走る人、世話しなく走る人。みな、何かに囚われたかの様に周りなんて見ずに歩を進めている。


 ───もっと周りを見なきゃ、見えるものも見えなくなっちまう......俺みたいにな


 感傷に浸って痛いほど眩しい日差しの元がある青い空を睨む。

 誰しも何かを忘れている、何かが足りないという感覚を常に持っている。氷継ひつぎは今日学校で、沢山の初めましてを経験して、感覚を自覚した。大抵の人は、何か忘れているはどうでもいいことだと言うが、彼自身はそうは思っていない。きっと心のどこかに隙間ができてしまっているんだと。昔、誰かにそう言われた気がして。


「あほくさ」


 一人ぼやいて深く息を吸っては吐き出した。それは溜め息にも似ているようで。


「......?」


 窓際を黒い何かが凄まじいスピードで横切った気がした。そこには魔力粒子が残留しており、一本の線のようにの進行方向へ伸びていた。

 それを辿って行くと線路上に一人、人影があった。真っ昼間の為よく見える。黒いフードを深く被った人物は体格的に男性だろうか。

 それに気づいた車掌が緊急停止をしようとレバーに手をかけた時だった。黒フードの男は姿を消したかと思えば、車掌の野太い悲鳴と共に前方の窓ガラスが派手に割れて飛び散る。電車は停止し、辺りの人達は逃げ出し始めた。中にはスマホで動画に納めようとカメラを起動し近寄ってくる人が多くいるが、それを気に止める余裕は彼にはなかった。

 そして、気付いた時には氷継ひつぎのすぐ隣に例の男が立っていた。


「......ッな!?」


「天道氷継、世界の秩序を乱す存在よ」


「あがぁッ!!」


 魔力を纏わせた右足の蹴りを横腹に食らい、あまりの強さに車体を突き破って外へと吹き飛ばされる。車道に打ち付けられた体が地面に当たって一度跳ねて、そのままゴロゴロと転がってど真ん中で静止した。クラクションを鳴らしながら氷継ひつぎのすぐ横を逃げるように猛スピードで車が横切る。

 呼吸の乱れを整え、蹴られた部分をさすりながら立ち上がる。あの言葉の意味を考えながら近くに落ちていた自身の剣を拾い抜刀した。良く見ると、黒フードの男は鴉を彷彿とさせるペストマスクのような物を装着している。

 動画を撮っていた人達も悲鳴を上げながら走り去っていく。まあまだ何人かは残っているようだったが。


「あのまま父親と別の道に行っていれば、死にゆくことはなかったろうに」


 哀れみを込めて向けられた言葉に反発する。


「親父は関係ねぇよ。それに、まだ死ぬなんて決まった訳じゃねぇからな」


「力の差すらわからないか。哀れな子よ」


 そう言って破壊された車内から出てきた男は左側の腰に下げた本を取り出し、左手の掌の上で浮かせた。風で吹かれたように魔力で本を開き、ページをめくっていく。数ページめくったところで動きが止まった。


「私が降すのは神に戻る者から賜った判決。近い日、人間だと宣言した者が再び神へと舞い戻る。貴殿はその日を迎えるにあたり邪魔な存在である、と神託があった」


 左側のページに右手を置いた。体から溢れ出す魔力が指先に集まりページを彩る。手をスゥーッと離していくと、黄金の煌めきが糸のように指先から伸びて、空中に浮かびスペルを象った。


 ───あれは......なんだ?


「神の神託を賜るには神に祈りを。神のご加護を授かるには神に讃美歌を───失われた神術ロスト・スペルデウスGenet Hymneゲベート・ヒュムネ】」


 黒フードの背後に黄金のサークルが空中にあったスペルから三つ生まれ、生まれたそれは更に内側にもサークルが生まれてスペルがその縁に添う様に浮かび上がった。

 氷継ひつぎは危機感を覚え、右手側に走り出す。黄金のサークルは彼を追尾して光の粒を乱射する。剣で弾こうにも光弾の為、弾丸の様に切断することはまず不可能。それを試みては刃をすり抜けからだのあちこちをかすっていく。その度に制服には血が滲んでいった。

 ダンダンッと地面を弾痕を作り、氷継ひつぎが走り続ける限り被害が拡大していく。幸い近くにはもう人はいないようで、人的被害は彼のみで済みそうだ。

 足を切り返し、黒フードの男へ駆けていく。左右に動きながら、自身に当たる弾数を減らしつつ距離を詰める。


 氷継ひつぎから伝えてきたエーテルを、指先から樋に刻まれたルーン文字を剣先へなぞるようにして流す。

 深紅に輝き出したルーン文字の光は次第に剣の刃の部分が発光していった。


「くらいやがれ!想継エーテル剣技式【紅き彗星レッド·ミーティア】!!」


 深紅の軌跡を描いて奴へと剣が走る。

 彗星の如く星躔せいてんを描いて、凄まじいスピードで突進する一撃が、黒フードの男を襲う。軽く突風が起こり、砂埃が舞った。


 ───行ける!!!


 そう確信をした、その時だった。ガァァァァンッと甲高い音を響かせて深紅の刃が動きを止めた。金色のヘキサゴンが無数に奴の周囲を覆っており、それに阻まれてしまった様だ。

 ガチガチと氷継ひつぎは力を入れ、突き破ろうとするが、びくともしない。

 

「貴殿には破れぬ。この、失われた神術ロスト・スペルデウスWächter Gnade Schildヴェヒター・グナーデシルト】は。言ったであろう、力の差すらわからないのか、と」


「ッチ!」


 呆れた口調で氷継ひつぎを見下す。

 氷継ひつぎは舌打ちをし、バックステップで後ろに下がろうとするが、黒フードの男が追撃に走る。

 右手で拳を作り、まるで柄を持つようにし、心臓付近に置いた。剣を引き抜く様な動作をすると、黄金に輝くつるぎが現れる。上段から振り下ろすようにして彼へと刃が迫った。

 氷継ひつぎは剣を両手で持ち、光の刃をガードする。十字に重なった刃が金属音を鳴らして火花を散らす。だが、つばぜり合いにすらならずに力負けして、停車している黒い車に吹き飛ばされる。


「がはっ───」


 背中に走る激痛に声が漏れた。

 窓ガラスが割れ、ドア部分はぶつかった衝撃で凹んでいる。幸い、彼の骨は無事だったが、激痛のあまり右手に握った剣を手放してしまった。

 カランガランッと音を立てて剣は地面に落とされ、氷継ひつぎの意識は朦朧とし始めた。なんとか意識を保とうと力の抜けた左腕を上げ、奴へと向ける。


 ───まだ落ちたら駄目だ...耐えろ


「想いを司す不滅の誓いよ、汝、我を護る刃となれ───想継エーテル術式【剣舞エーティロンド】」


 想いを乗せた言葉を紡ぐ。

 空気中を漂う魔力とは違うもう一つの粒子、エーテル物質を可視化させて巨大な剣の形に模して七つ顕現させる。黒フードの男へ全ての剣先を向け射出した。

 半透明な七つの剣は土埃を立てながら迫る。氷継ひつぎは落とした剣を広って立ち上がり、七つの剣の後を追う。走りながら指先でルーン文字をなぞり、エーテルを込め技式を発動する。

 黒フードの男は光の剣を迫る刃一つ一つに振り払うように刃先を当てるだけで霧散させ、大気へと還していった。

 サァァンッと次々に消されていく剣を尻目に、最後の剣が消えた時、霧散していくエーテル粒子をスモーク代わりにして奴の目の前に迫る。

 急に現れた氷継ひつぎに少しだけ目を見開いた。


 ───今だッ......!


想継エーテル剣技式【三深エース・ゲラーデ】!!」


 ガァァァァンッと空気を振動させ、障壁とぶつかり合う。素早く三角形を描く業を使い、込めるエーテル量を増やして斬りつけた。


 ピシッ


 小さな亀裂が走る。

 余裕だった奴の表情は焦りへと移り変わった。いや、焦りというよりは単純な疑問を浮かべているようにも見える。

 黒フードの男は氷継ひつぎから距離を取り、障壁に生まれた亀裂を修復するのと同時に、空中にいる彼に対して地面から土属性の魔法を発動させた。回避行動も取れず、背中に激突しそのまま上空へと土壁は伸び続ける。


「ぐぉぉお!!............は?はぁぁぁぁぁぁあ!?」


 おおよそビル40階くらいだろうか。到達した瞬間、土魔法が解除され、氷継ひつぎの体は宙に放り出され、そのまま落下していく。


 ───くっそ、このままじゃ地面にぶつかって死んじまう!!


 彼には「空を飛ぶ」や「宙に浮く」なんて術はない。こんなことになるなら作っておけばよかったと後悔をした。そんな思いが過りつつ、無慈悲にも地面は近づいて行く。

 黒フードの男は左手を氷継ひつぎへと向け地面到達後の追撃の準備を完了させていた。金色の粒子が奴の左手を伝い、手の中心へと流れて小さな球体が出来上がる。


「我らが神は常に我らを見てくださっている。我らが神が産んだ救済は罪人ざいにんへと烙印を植え付けた───失われた神術ロスト・スペルデウスErlösung Stigmaエアレーズング・スティグマ】」


 放たれた球体はゆっくりと、だが正確に氷継ひつぎの着地点へと進んでいく。球体が発生させた空気の振動が次第に強くなっていき、周囲のアスファルトや木々を巻き込み、大きくなっていった。


 ───地面に業ぶつけりゃなんとか避けれるか...?いやそんな隙はねぇ......!!どうすれば


 彼の影がくっきりとアスファルトに生まれたその時だった。氷継ひつぎの体が何かに掴まれたように浮き、その場を連れていかれるようにして離れる。ぶつかるはずだった球体は強固な結界の様な物で封じ込まれ、そのまま消失していった。


「大丈夫だった?氷継ひつぎ君」


「あ、天宮あまみやさん!?なんでいるんだ?」


「それは後よ。今は一時離脱するわ」


 あの窮地から氷継ひつぎを救ったのは輝夜かぐやだった。


 ───ん?俺は今天宮あまみやさんに抱えられてるのか......お姫様抱っこで??


 女性に抱えられる経験などあるわけもなく、ましてや同級生など考えもしなかった相手にこうも軽々と、しかもお姫様抱っこで抱えられた氷継ひつぎの、男の気持ちほど複雑なものは無いだろう。

 彼女も彼女で何故彼がそんな絶望したような表情なのか疑問を浮かべる表情をしていた。


「言われて来てみれば、こいつ......何を使っている?」


 オールバックで黒いスーツの上に黒いロングコートを見に纏い、黒い手袋を填めたのは学院長、伊澤いざわ犬寺けんじだった。

 さすがにこれは想定外───神託外だったようで、奴の顔にも余裕がなかった。


「ほぉう。伊澤いざわ犬寺けんじ天宮あまみや...か。いやはや、これは神すらも予期せぬ自体......いやそれすら予期して私を派遣したのやもしれぬ」


 っふ、と笑みを浮かべ彼を見下した。

 犬寺けんじは左手を前に突き出し、魔法を発動させる。


「冬の妖精は悪戯をし、人を惑わした。冬の妖精は善行をし、人を助けた。冬の妖精は悪事をし、人を────殺した。氷魔法【冬の妖精は気紛れ《インヴェルノ・ファータ・カプリッチョ》】」


 中級魔法、属性氷。彼の後ろに四つの白い魔方陣が形成され、小さな妖精達が次々に陣をくぐり現れた。


「行け」


 その一言を合図に妖精達は一斉に宙に浮く黒フードの男へと向かって行く。


「そのような魔法ごときでどうにかなるとでも?」


 奴は右手に握る金色の剣で迫り来る妖精達を薙ぎ払っていく。無数の小さな悲鳴と共に魔力の粒子に変わって還っていった。だが、奴の死角から妖精達が障壁へと体当たりを繰り返し、再び亀裂を生じさせる。


「鬱陶しい奴らだ......っふ!」


 周囲にいた妖精達を剣を一振するだけで全てを還し、障壁を一瞬で修復した。


「まあ、そうだろうな」


 小さくぼやいて、次の一手へと走り出す。


 一方輝夜かぐやは地面に着地し氷継ひつぎを降ろし、少し離れた犬寺けんじらの方へ目を向ける。


「助かった。ありがとう」


「無事で良かったわ、早く行きましょう」


「...ああ」


 氷継ひつぎは頷き、彼女の少し後ろを走り追い掛けた。

 


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