第二話 サトウさん
一人でいると、私は孤独に襲われる。この世界は私を絶望に追いやる。
私には味方がいない。私の体は、もうとっくに植物に侵されていた。だけどその侵食はある段階で止まってしまい、出来上がったのは植物でも人間でもない、いわば中途半端な存在だった。なぜだかは分からない。けれどそれ以来、私はこの身体に植物を住まわせている。
※※※※
私は夜の浜辺に来ていた。いつも通り日課をこなしたあと、ふと風にあたりたくなったのだ。
ここ最近、人の見つからない日々が続いていた。いよいよ目に見えて人がいなくなり、私はより懸命に人を探した。そのせいか気が張り詰めていたようで、今日はつい吐いてしまった。そろそろ世界が終わる。
あまり、のんびりはしていられなかった。
まちの明かりがないせいか、夜空には星がよく見えた。
小さい頃は家族と一緒に、よく海に出かけていた。海に近い家に住んでいたせいか、風の日には潮の匂いがしばしば家まで届いてきてた。雨の日にはせめて海だけでも見ようと、窓わくから乗り出して外を見ていたくらいだ。危ないからって、両親にはすごく怒られたけど。
私が一人っ子だったせいか、両親は私のことをとても可愛がってくれた。
夜空を眺めながら浜辺を歩く。ときどき思い出したかのように、世界が崩壊する前に流行っていた音楽を口ずさむ。流行に疎い私でも知っているメジャーソングは、いなくなった人類の残滓を、少し感じさせた。
ふと見ると、浜辺には貝がらが沢山おちていた。手に取ってすこし耳に当ててみる。耳に当てると、波の音がすると聞いたことがあった。少し期待したけど聞こえたのは、ただ頭上を飛んでいたヒバリの鳴き声だった。
空を確かめても、見えたのは星だけだった。小さい頃は、よくお母さんに星座を教えてもらった気がする。しし座。うしかい座。……あれは何の星座だっけ。そのお母さんは私が小さいころ、家を出ていったきり戻ってこなかった。なんでかは知らない。それ以来、父は私にひどく当たるようになった。海辺の町から離れ、お母さんから逃げるように都会のなかに引っ込んだ。まるで街の喧騒が、自分を守ってくれると思い込むかのように。
嫌な記憶だった。
海の向こうをじっと眺める。夜の闇が辺りを覆い尽くしており、水平線には何も見えない。暗闇は私をひとりぼっちにしていた。
なんだか感傷的になっているらしい。昔の記憶ばかり思いだす。現実からの逃避なのか。自分が行なっている日課への忌避感なのか。
そのまま海の向こうを眺めていると何かが見えた。それはかつて私が思い描いた未来の姿だった。高校を卒業して大学に行って、就職して結婚する。ありふれたものだけど、それが私の未来の全てだった。
そんなことを考えていると、突然体がぐらついた。視界が眩み浜辺に膝をつく。頭がクラクラした。倒れないように手で地面を支えようとするけども、砂を掴むだけでなんだか上手くいかなかった。
死にたい。ふと、そう思ってしまった。
気がつくと、海へと歩いていた。自分が何をしようとしているのか分からなかった。ただ分かったことが一つ。人は急に死にたいと思い、死ぬための行動を起こすことがある。それだけだった。
「ねえ、危ないよ。そんなことしちゃ」
声が聞こえた。空を飛んでいるヒバリの声でも、ましてや貝がらから聞こえる波の音でもなかった。それは、確かに人の声だった。
振り向くと男の人が立っていた。多分、二十代前半くらい。髪は短く切り揃えられていて、こんな朽ち果てた世界の中でさえ、なんだか清々しく見えた。それと比べて目には影が落ちていて(夜のせいか知らないけど)、この人は今までに人を愛したことがないんだろうなとか、勝手にそんなことを思った。顔に不釣り合いな大きめの黒いマスクのせいで、なんだか色相が暗いのも原因だと思う。
「ねえ、危ないよ。そんなことしちゃ」
一言一句同じことを男の人は言った。ただ、マスクに声がくぐもっているのもあって感情が読み取れず、本当に止める気があるのかなとか思った。
「ほら、手出して」
手を差し出してきたけど、自分で死のうとした手前どう反応すればいいか分からないのを見かねてか、その男の人はなぜか優しげにこう言った。
「本当に死にたい? それなら僕は止めないけど」
優しげに言うことじゃないと思った。私は訊いた。
「止めないの?」
「うん、止めない」
「どうして?」
男の人はばか真面目に答えた。
「だって、それはその人の自由だもん」
この人は変な人だった。ただ、どこか現実に生きていない変な感じが、私を救ってくれたのも事実だった。
「名前、なんていうんですか」
男の人は笑って目をすぼめ、こう言った。
「サトウさんって、呼んでくれると嬉しいな」
※※※※
私は今日も、ボイスレコーダーに音声を吹き込む。
「推定◯月◯日。
変な男の人に会った。名前はサトウさん。そう呼ばれると嬉しんだって。下の名前を聞いても、教えてくれなかったから、その通りに呼ぶことにする。
出会いが突然すぎて、日課をこなせなかった。それどころか、また明日会うことになっちゃった。人に会うのは珍しいだろうし、しょうがないとは思う。
……久しぶりに人の温かさに触れたような気がする。ずっと忘れてた、そんなこと。
……ねえ、仲良くなっちゃったらどうしよう。前向きに生きる理由が見つかったらどうしよう。このままの私でいられなくなるのかな。分からないよ。
ねえ、誰か……。
今の私はどうなっちゃうんだろう」
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