植物少女と木の墓標

冬休眠

第一話 世界の今際

 植物でできかけている自分の右腕をじっと眺める。念じると、それは緑の塊根になっていく。まもなく自立し飛び出していったそれは、震える私の父を、ただぎゅっと抱きしめた。

 腕が父の体に。父の悲鳴が地下駅のホームに響き渡る。一心不乱に父は抵抗するが、両腕を丸ごと抱きしめられて動けない。

「お願い。抵抗しないで」

 父が私の腕に持ち上げられる。足をバタバタさせるが、完全な植物と化した私の腕は、微動だにしない。もがく父の姿は、まるで頑張って空中を走ろうとしてるみたいだ。


 やがて父の皮膚が、私の腕と同じ緑色に変化していく。顔に浮かんでいる必死の血管は、植物を構成する葉脈に変身していく。見苦しい。けれど、見届けなければいけない。ゆっくりと父が植物に生まれ変わる。顔や髪の毛は葉に。胴体は茎へ。足は根っこになっていく。そして全てが終わって、ただ父の成れの果てが残る。

 腕を離すとぽとっと落ちた父は、ひとりでに駅のホームに根を張り、そこに終の住処を築いた。



 ※※※※



 駅の地上口を出ると、植物に覆われた巨大なビルが、視界に飛び込んできた。

 辺りの建物を見回すと、同じような風景が続いている。窓すら見えないほどコンクリート部分が覆われていたり、足元のみが侵食されているものだったり。中には元のシルエットすら分からないほど木と同一化してしまい、巨大樹として葉を大きく広げているものもあった。

 程度の差はあれど、例外なくほぼ全ての建物が植物で覆われている。それはむろん、建物だけではなかった。例えば乗り捨てられた車。機能しなくなった街灯。役目を終えた道路交通標識。自転車。誰のものか分からないかばんや靴。人がいた形跡が、全て自然的なものに置き換わっている。

 まるですっかり現実離れした景色。今となっては、それこそが現実だ。


 歩いていると、スクランブル交差点に到着した。一週間前までこの街で一番賑やかだったこの場所には、今は見渡す限り誰もいない。もうめっきり人を見かけることも少なくなった。見かけても逃げられてしまったり、そうでなければ、植物に覆われていたり。植物は人にも侵食する。

 要するに、人類が滅んでいるのだ。まだ植物に侵食されていない部分もあるだろうだがこのままだと植物は全てを覆い、やがてこの世界を滅ぼすだろう。世界の今際。つまり終わり。いま人類が直面しているのは、そういう問題なのだ。


 そんなことを考えていると基地に到着した。基地といっても、大層な場所ではない。少し暮らせればいい程度の、仮の住まいだ。

 いま住んでいる基地は、ほそい路地にある。急な階段を降りた先に広がる、昭和レトロを模した地下の喫茶店だ。

 色々な場所を転々としたが、街はどんどん朽ちていた。ここもそろそろ移動しないといけないけれど、中々に居心地がいい。

 それに、広いところは落ち着かない。ひらけた場所にいると、どうしても人の気配を探してしまうから。

 

 この喫茶店は店内を大きく見せようという造りなのか、壁の一部が鏡張りになっている。鏡を見ると、当たり前だがそこには私が映っていた。

 ツインテールに縛った髪はとても傷んでいた。侵食が始まった日から、ずっと洗っていない。着ている高校の制服は、校章も識別できないほどひどく汚れていた。お気に入りの白いスニーカーは、靴底がすり減って薄くなっている。

 そして、一番目を引くのが、顔につけた大きなガスマスクだろう。とても不似合いだけど(そもそもガスマスクが似合う女子高生などいない訳だが)つけないわけにはいけない。顔を出すわけにはいかない。

 まあ、たとえ人に会っても変に思われはしないだろう。植物のへの侵食は、主に飛沫感染で起こることが知られている。今まで会った人たちも、マスクをしていたり口元をマフラーで隠していたりしていた。

 植物の感染力は決して高くないが、万が一感染したら最後。感染者は感染から二十四時間で徐々に植物になり、生涯を終える。


 なぜ植物の侵食は起こり始めたのか。それは誰にも分からない。ただ分かるのは、それで世界が滅んでいくということだ。

 私がはじめて植物の侵食を知ったのは、テレビの向こう側だった。その頃にはもう世界中で侵食が起きていて、私にはどうすることもできなかった。現実離れした悪夢は、世界の端っこで生きる私すらも飲み込んでいった。雨が窓わくの底まで濡らすみたいに。



※※※※



 私は鏡張りにうつる自分の姿を眺めていた。そこには、少し前まではただの女子高生だったものが映っていた。何も知らず、けれど何かを知った気になってる、いつだって社会の流行の一部を担っていた者たち。それが私たち女子高生だった。この世界では、何者もない。あるのは生きた人間が死んだ人間か。それだけだ。


 私は無意識に腕を掻きむしっていた。世界が崩壊し始めてから、私にはときどき自分の腕を掻きむしる癖がついた。知らないあいだにストレスが溜まっているのだろう。のせいもあるが、こんなことになったのだからまあ当然だ。

 いつ情緒がおかしくなるか分からない。だから私は、毎日レコーダーに音声を吹き込んでいる。自我を保てるように。正常でいられるように(もう正常じゃないかもしれないけれど)。

 人間が人間でいる為の、何者かである為の、その為の音声日記だ。



※※※※


「推定、◯月◯日。

今日は、やっと父を見つけた。私のことを見ても誰だか分からなかったみたい。そうだよね。顔、隠してるし。

あんまり心は痛まなかった。もうちょっと上手くやれたかも。ただそれだけ。

なんでこんなことになってるんだろうね。分かんないや、自分でも。

まあとりあえずまた明日、ただそれだけ。

……はあ。

……あーあ、どこか行きたいなあ」 

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