28-01 エピローグ

「――少しでも興味があったら、ぜひ! 日本語教室に遊びに来てください!」

 紬希のセリフが終わって、彩生あきが号令をかける。

「気をつけ。ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

 舞台に立っている海外ルーツの生徒たち、そして語学部員が一礼し、体育館に拍手が響いた。

 頭を下げたまま、一同はほっと胸をなで下ろした。

 国際交流会は無事終了だ。



「お疲れ~! 交流会、面白かったよ!」

 片付けを終えた彩生、紬希、優芽、虹呼にこの語学部員四人が教室に戻ると、笑顔の古瀬がそんな言葉で迎えてくれた。

「本当? じゃ、来てね。部活見学とやさしい日本語体験会」

「入部! 入部!」

「いや、私はバレー部あるから……」

 わかっていてわざと言った彩生と虹呼の二人は、古瀬に向かって大げさに顔をしかめた。

「うっわ、いつもそうだよね、古瀬は」

「薄情者!」

「薄情者~」

「なんでのろにまで言われなきゃならな――ちょっ、暴力反対!」

 虹呼とのろから身体中を人差し指でつつかれる攻撃を受け、古瀬がガードの姿勢をとった。


 そんな三人を放置して、彩生はほくほくと笑顔を浮かべた。

「あーあ。見学と体験が終わるまではいつもより英語の勉強時間減っちゃうな~」

 言っていることとは裏腹に、ちっとも残念そうではない。

 部員の募集を渋っていた彩生は、今や誰よりもこの一大イベントを楽しみにしているのだった。


「紬希、体験会のときも頼りにしてるからね!」

 彩生に満面の笑みを向けられ、紬希はぎこちなく頷いた。

 他の部員は交流会が終わった解放感でテンションが上がっている。

 だが、紬希は人知れず悶々としていた。



 舞台に立った自分は、全校生徒から変だと思われたのではないか。

 少し噛んでしまったセリフもあった。

 笑われただろうな。

 日本語教室のイメージを悪くしてしまっていたらどうしよう。



 紬希はあらとも言えないような粗をわざわざ探しては、根拠もなく痛めつけるのをやめられなかった。

 英語スピーチコンテストの時のように、緊張のあまり本番の記憶がないということはない。

 そのことが余計に紬希の「反省会」を促した。


 自分をえぐるだけで何の生産性もない行為。

 一方で、紬希は自身の片隅に、小さな小さな肯定が芽生えているのにも気づいていた。



 自分はスピーチコンテストの時よりは上手くやった。

 頭の中は真っ白にならなかったし、ド忘れもしなかった。

 記憶もある。

 心も壊れていない。



 周りからいくら「良かったよ」と声をかけられても、自分では良かったとは思えない。

 色眼鏡は外せない。

 でも、ドリームランドに閉じこもってしまったあの時よりは、ずっと状況はいい。





 二つの騒動からひと月以上が経過し、ドリームランドでの出来事を、紬希と優芽はもう覚えていない。

 それは夢を見たときと似ている。

 起きたときは内容を覚えていても、時間と共にいつの間にか薄らいでいって、忘れてしまう。

 夢を見たということは覚えているのに、失ってしまった記憶は思い出せそうで思い出せない。

 掴もうとしても、煙のようにすり抜けてしまう。



 お互いのドリームランドに行った、ということは二人とも今も覚えている。

 そこで見たもの、あったことはもう忘却のかなたで、かろうじて残っているのは断片的なひとつ、ふたつ程度だ。

 しかし、自分たちは何か大切なやり取りをした。

 その感覚は二人の中にしっかりと刻まれている。




「やさしい日本語体験会、あたしは受付とかの、教える以外の業務でみんなをサポートするね!」

 意欲に燃える彩生に優芽が苦笑いしながら言った。


 部活の時間に練習して、優芽もやさしい日本語が身についていないわけではなかった。

 でも他人に教えるとなると自信がない。


 教えるというのは、自分が教える事柄についてしっかり理解しているからこそできるものだ。

 それこそ、言い換えだ。

 理解していればいるほど、専門用語を相手の知っている言葉に言い換えて説明することができる。

 すると、相手は理解しやすいし、自分の理解もさらに深まる。

 優芽はそこまで考えて自信を持てないでいるわけではなかったが、どうしてもやさしい日本語を他人に教えている自分を想像できなかった。


「えー、マミさんも一緒にやろうよ」

「いやぁ、あたし誰かに何か教えるって向いてないし、受付業務だって大事な仕事だし」

 そう言って優芽は紬希に目配せした。

 かけはしの工作ブースで受付を務めた紬希なら、この仕事がどんなに大変で重要かわかってくれるはずだ。

 でも紬希は物言いたげに優芽を見つめ返した。

 その口が開かれようかという、まさにその時。

 廊下から田沼の声が飛んできた。

「宇津井ィー! ちょっと!」

 振り向けば、田沼が人差し指でちょいちょいと手招きしている。

 優芽は返事をして廊下に向かいかけ、ちょっとだけ振り返って紬希と彩生に言った。

「それに、全員が体験会にかかりっきりになっちゃったら、日本語教室の子たちを手伝う人がいなくなっちゃうでしょ?」

 そしてニコッと笑うと、颯爽と田沼の元へ駆けていった。

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