27-10 透明

 そんな紬希を優芽はじとっと見ていたが、やがて顔をそらしてため息をついた。

「大丈夫なわけないでしょ」

 棘のある言い方だ。

 紬希は怯んだ。


 一方、モルモルは紬希の肩から飛び降りて、いつもの調子で率直に話しかけた。

「優芽、怒っているのか?」

 しかもその後に言い添えたのは「良かった」という言葉だ。

「虚ろから少し遠ざかることができたんだな。紬希に来てもらって正解だった。さすがドナドナーだ」


 怒っていることの何が良いのだろう。

 そう思ったが、紬希はすぐに考え直した。

 確かに、感情が生じているという点では、これは喜ばしいことなのかもしれない。

 今の優芽は少なくとも無気力ではないし、怒りというのは感情の中でもエネルギッシュな部類のように感じる。


 だが、その怒りがなぜ自分に向けられているのかわからない。

 紬希は震えおののいた。

 人をなるべく不快にさせまいと生きてきた彼女は、他人に怒りを向けられた経験があまりない。

 近くで誰かが不機嫌を振りまいているだけでも萎縮して、なぜか申し訳なくなってしまうくらい苦手だ。

 そんな耐性のない感情を、あろうことか優芽に向けられるなんて、紬希は思ってもみなかった。



 何か言わなければ、と焦るばかりで、気の利いた言葉はひとつも思い浮かばない。

 ならば、せめてこうなってしまった原因に見当をつけようと、紬希は自分がした優芽への声かけを思い返した。


 会いたい。

 話したい。

 助けたい。


 冷静さを欠いてかけた言葉は、すべてが自分勝手な願望だった。

 そう思うと、紬希の全身からサッと血の気が引いた。


 間違ってしまった。

 夢中になってかけた言葉のすべてが、間違いだった。


 愚かな自分に激しく後悔して、紬希は固まることしかできなかった。

 そんな彼女の様子をチラッと見て、優芽は明らかに嘲りとわかる笑いを漏らした。


「また大袈裟に考え込んでるの? 紬希っていつもそうだよね」

 意図的に吐き捨てられた言葉は、ナイフのように紬希を傷つけた。

 優芽には心の柔らかい部分を許していただけに、ダメージは相当に大きい。

 近ければ近いほどに深い傷を負わせることは容易で、積み上げてきたものが高ければ高いほど、ほんのひと押しでも大きくぐらつく。


 紬希は優芽のことを心底怖いと思った。

 彼女は自分の最大の理解者で、だからこそ、どんな言葉をかければ紬希を効果的にいたぶることができるか知っている。

 そのことを恐怖する一方で、紬希は彼女を強く信じてもいた。

 いつもの優芽ならこんなことはしない。

 虚ろが彼女を狂わせているのだ、と。


 今の彼女にあるのは怒りや嘲りといった、ネガティブな衝動だ。

 紬希を傷つけたい、否定したい、感情をぶつけたいという意欲に支配されている。

 これをポジティブな意欲に昇華させることができれば、彼女はきっと元の優芽に戻る。

 きっとそれが、紬希の役目だ。



 でも、元の優芽とは何だろうか。



 いつもの癖で紬希の思考は広がっていく。

 元の優芽とは、実際は表面的なものである上に、自分の望む優芽でしかないのではないか。

 ――本当の自分なんて誰も知らない。

 ドリームランドで自分自身が叫んだその言葉を、紬希は不意に思い出した。





 スッと心が静まった。

 今紬希がすべきなのは、優芽の気持ちを自分の理想に転換させることではない。

 彼女の気が済むまでサンドバッグになり、ゴミ箱となることだ。


 今まで優芽ちゃんにはたくさんのものをもらったんだから、今度は私があげる番だよね。


 病んで片寄った考えだと紬希は内心苦笑した。

 だが、そうと思ったら、もうそれ以外の方法は考えられなくなった。

 覚悟ができていれば、それは意味のある痛みとなる。

 意味のある痛みならば、耐えられる。




 紬希の顔から泣きそうな表情が消えた。

 まっすぐな眼差しを向けられたのが気にくわなかったのか、優芽は不快そうに顔を歪めた。

「ズルいのは紬希でしょ」

 そして、吐き捨てるように言った。

「頭が良くて、ドリームランドもすごくて、空っぽのあたしとは大違い」

 紬希を睨む優芽の顔に笑いの表情はなかったが、それは明らかに自嘲だった。

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