27-06 透明

 もしかして、餓えて痩せこけてしまったのだろうか。

 モルモルはもう仮死状態に入る寸前なのだろうか。

 それとも、毛が体を大きく見せているだけで、実際は華奢な生き物なのだろうか。

 普段ふわふわな動物も、水に濡れると予想外に体が細かったりする。


 後者だと良いなと思いながら、紬希はベッドの上で立ち上がって、裂け目に両手をかけた。

 左右に引っ張ってみると、楕円はいとも簡単に変形する。



 ふと差し込んでいる自分の指先を見て、紬希はギョッとした。

 思わず手を引っ込めて、まじまじと両手を見下ろす。

 何も異常はない。

 心臓がバクバクいって、髪の毛が逆立っていた。

 黒い空間に入ったところから、急に自分の指がなくなっているように見えたのだ。


 恐る恐るまっすぐ片手を伸ばしてみると、紬希の前腕はずぶずぶと黒に呑み込まれ、切断されたかのごとく肘から先が見えなくなった。

 そのままグーパーと動かしてみたが、本当に手が言うことを聞いてくれているのか自信がない。

 闇から引き抜くと、やはり手はきちんと存在していた。

 多分、塗りつぶされたようになっているだけだ。


 少し怖じ気づいたが、すぐに気を取り直して紬希は裂け目に手をかけた。

 自分は優芽を助けたい。

 助けるためには、会いに行かなくては。



 優芽はどうして自分のドリームランドを見たかったのだろう。

 そして、どうしてそれをきっかけに虚ろへと転がり落ちたのだろう。

 なぜみんなから忘れられることを願ったのだろう。


 一体何を考えているのか。

 会って聞かなくては。



 黒の空間に踏み入れた片足には、感覚がない。

 バランスを崩して体が落ちていくということもなければ、地面を踏んでいる感じもない。


 紬希はひと思いに裂け目を跨ぎ、とぷんと闇に吸い込まれていった。






 辺りは完全なる闇だ。

 針先ほどの光もないそこはすべてが真っ黒に塗りつぶされ、自分の体も何も見えない。

 視界一面には圧倒的な黒を背景に、ありもしないざらざらとした白い砂粒のようなノイズがかかって見えた。

 恐らく眼閃というやつだ。


 両手を見下ろしたはずなのにそこに手の平は見えず、立っているはずなのに、本当に頭が上で足が下になっているのかすら確信が持てない。

 紬希は光を求めて後ろを振り向いた。

 しかし、たった今跨いだはずの裂け目はそこにない。

 パニックになって、必死で両手を伸ばして周囲を探った。

 指先には何も触れない。


 そもそも、自分は本当に両手を伸ばしているのだろうか。

 自分の体は本当に存在しているのだろうか。


 目がまったく役に立たず、紬希は自分の輪郭がぼやけて、暗闇に失われていく感覚に陥った。

「モルモル? モルモル、いる!?」

「いる」

 すがるように地球外生命体の名前を呼ぶと、耳のすぐそばから返事があった。

 肩にのせたモルモルは、今もきちんとそこにいるらしい。

 闇の中でもシロクマの白い顔ならば浮かび上がって見えるのではないか。

 そう期待して紬希は顔を横に向けてみたが、やはり視界は黒く塗りつぶされ、何も見えない。

 モルモルに体重がないことを残念に思った。

 もっとずっしりとして存在感があったら、心のよりどころにできたのに。


 会話が切れると途端に心細くなる。

 沈黙に包まれ、紬希は平衡感覚すらわからなくなってきて足元がふらついた。

 再び両手を広げてみたが、やはり指先に触れるものはない。

 せめて何かが触れれば、それを頼りに進もうと思えるのだが。


「優芽ちゃん?」

 少しでも手がかりが欲しくて、紬希は優芽の名を呼んでみた。

 しかし返事はない。

 こんな周囲も足元も見えない空間を闇雲に進むのは危険だ。

 危険以前に、行こうと思った方向にきちんと進めるかも怪しい。

 何しろ何も見えないから、まっすぐ進んでいることを確認する術すらないのだ。

 まっすぐ進めたとしても、探したところとまだ探していないところの区別をつけることもできない。

 八方塞がりだ。

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