27-03 透明

 優芽が大病を患ったというのなら、田沼はプライバシーもへったくれもなく、クラスにそのことを言いふらすのではないか。

 スマホを握ることすら出来ない、何日も体調不良の優芽をひとり残して、両親が共に留守というのも変ではないか。

 そして、寝込んでいないというのなら、優芽が紬希たちの送ったメッセージにいまだ何の反応もしないのは、あり得ない。



 紬希はぐっと唇を結んだ。

 優芽はそんな人間ではない。

 それに、彼女はボランティアの日の別れ際、「また新学期に会おう」と言っていた。

 その言葉を裏切って、誰にも何も言わず無視を決め込むなんて、あり得ない。



 これは願望ではない。

 事実だ。

 今まで隣から優芽をずっと見てきた。

 優芽はヘッブが暴走したときも、ドリームランドの中に入ってまで、一緒に帰ろうと言いに来てくれた。

 だから、わかる。

 たとえメンタルが壊れている時でも、紬希の優芽に対する信頼は曇らない。

 色眼鏡が外せなくても、歪んだ思考で苦しくても、それだけはもう間違えない。



 また日曜日に来よう。

 紬希はそう決心して、二日後に再びひとりで宇津井家を訪れた。



 今度は車がちゃんとある。

 紬希は優芽が出てこられなくても、両親が玄関を開けてくれることを期待して、長くインターホンを押した。

 少しの沈黙の後に聞こえてきたのは女性の声だ。

「……はい?」

 紬希の目がキラッと輝いた。

「あの、クラスメートの久我といいます。優芽ちゃんに学校で配られたプリントを持ってきました」

「ああ……」


 そこで声は途切れて、ややあって玄関が半分開いた。

 現れたのは優芽の母親だった。

「わざわざありがとうね」

「あの、優芽ちゃんの具合はどうですか?」

 封筒を差し出しながら、紬希はすかさず聞いた。

「どうって……べつに」

 しかし、母親の反応は薄い。

 紬希はまた違和感を覚えた。


 体調の問いかけ以前に、母親はそもそも、紬希がプリントを届けに来たこと自体に戸惑っているようだ。

 感謝でも、恐縮でも、拒否でもない。

 それは無関心というのが近かった。

 関心のない事柄について、相手から熱っぽく聞かれたときの戸惑いだ。

 紬希は全身が粟立った。


 気づけば、渡しかけた封筒を引っ込めていた。

「あの、良かったら直接優芽ちゃんに渡させてもらえませんか? 具合が悪いなら、部屋の外から声をかけるだけでも……!」


 母親は「何でこの子はこんな熱心なんだろう?」という顔をしていた。

 でも、「いいよ。あがって」と言うと、紬希が通りやすいように扉を全開にしてくれた。



 優芽の部屋の前に着くと、母親は「下にいるね」と言って階段をおりていった。

 その足音が遠ざかるのを待って、紬希は優芽の部屋の扉をノックした。

「優芽ちゃん? 大丈夫? 学校のプリントを持ってきたよ」

 返事はない。


 紬希は少し迷ってから、細く扉を開けてみた。

 物音もしなければ、気配もない。

 もう少し中を確認してみようと、そーっと隙間を広げていく。

 そしてべッドが見えた瞬間、彼女は驚愕した。



 それは空間にできた黒い裂け目のようだった。

 優芽のベッドの上には、明らかにこの世の理から外れたものが出現していた。


「優芽ちゃん……!?」

 小さく悲鳴をあげて身動きできずにいると、少ししてその裂け目から弱々しい声が聞こえてきた。

「……紬希か?」

「モルモル!?」

 また少しして、裂け目の奥で何か白いものがチラついたかと思うと、そこからぽろりとモルモルがこぼれ落ちてきた。

 途端に金縛りが解けて、紬希はモルモルに駆け寄った。

「モルモル! 優芽ちゃんは? 一体何があったの!?」

「……虚ろだ。優芽は虚ろになってしまった」


 やっぱり――


 紬希は事態が自分の予期していたとおりであることを悟った。

 宇津井家を訪れてから不自然に豹変してしまったみんなの態度。

 実の娘が何日も床に伏せっているというのに気にかける素振りのない母親。

 優芽を中心に魔法や見えない力のようなものが働いているというのなら、それはモルモルに関係することだ。

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