26-15 反転の里

 紬希がどちらの世界で生きていくか葛藤しているというのなら、優芽は元の世界で彼女と一緒に生きていきたかった。

 でも、それで彼女は幸せになれるのだろうか。

 引き戻した世界で、自分は彼女の役に立てるのだろうか。


 良かれと思ってやったことで他人を不幸にしてはいけない。

 それはただの自己満足であり、人の役に立つのとは正反対の行為だ。


 優芽もまた、自分の信条と願望との間で揺れ動いた。




「……だけど、あたしは紬希に元の世界に帰ってきてほしい。一緒の世界にいてほしい!」

 葛藤の末、優芽が叫んだのは、自分の純粋な気持ちだった。


 役に立ちたいとか、助けたいとか、そういうことではないのだ。

 紬希と一緒に帰りたい。

 その気持ちを無視することはできない。

 自分のポリシーなんてどうでもいい。

 たとえ、元の世界に戻ることで紬希がまた苦しむとしても、優芽は紬希に戻ってきてほしかった。



 丸まって浮かぶ紬希のまわりには、ガラスの粒みたいな涙がたくさん漂っていた。

 透き通ったそれは時折キラッと輝いて、星のようにも見える。

 そんな星々に取り巻かれながら、紬希のずっと閉じられていた目は、ゆっくりと開かれた。


 その目尻に涙はもう見当たらない。

 彼女は寝起きみたいにしばらくぼんやりとしていたが、やがて口を開いた。


「私は色眼鏡をかけている」

「え……?」

「世界が暗くて歪んで見える、度の合わないサングラスみたいなもの。それを通して世界を見ているから、明るいものも暗く見えるし、何でもないこともねじ曲げられて、自分にとって苦しいものに見える。そういうものの見方をするから、不必要に自分で自分を困らせているの」


 紬希はなおもぼうっとしている。

 目は開いたものの、どこを見ているのか、ちゃんと目覚めているのかもわからない。


「世界は自分が思うより優しくて、いいものに溢れているんだろう、とは思う。頭ではわかってる。でもそれがわかったところで、自分ではどうしようもない。色眼鏡をかけていることに気づいたところで、自分では外すことができない」

「……どうして?」

「わからない」


 紬希は悲しそうな顔をした。

 でもその表情が、ふっと少しだけやわらいだ。


「だけど、優芽ちゃんはすごいね。自分ではどう頑張っても外せない色眼鏡を、簡単に、何度も外してくれた。私に見えていたのと違う、鮮やかな色を見せてくれて、世界のいい方へと私を引っ張ってくれた」

「え!? あたし、そんなことした!?」

 優芽はいきなり身に覚えのないことを言われて、驚いた。

 紬希は伏し目のまま笑んだ。

「優芽ちゃんはいつも自然とそれをやってくれた。優芽ちゃんだけじゃなくて、クラスのみんなや語学部、かけはしだって私のことを受け入れて、安心させてくれた。新しい世界に引っ張ってくれた。全員、私にとっては大切で、尊敬できる存在で、すごく感謝してる」


 それを聞いて、優芽は泣きそうなくらいに安心した。

 自分やクラスのみんなは、紬希をつらくさせるだけの存在ではなかったのだ。

 大切に思っているのは、一方通行なんかじゃなかった。


「私はみんなが当たり前に持っているものを持っていなくて、どんなに努力したところで、みんなみたく上手に生きていくことはできないんだと思う。でも上手くできなくても、私を受け入れて、引っ張ってくれるみんながいれば……もしかしたら外の世界でもやっていけるのかもしれない」

 深刻そうな表情で、紬希はまた黙りこくった。

 優芽はそんな紬希に、心の中で一生懸命エールを送った。


 きっと紬希の言葉はまだ続いている。

 思い詰めたような顔をした彼女は今、必死になって言葉を紡ごうとしている。


 いくらでも待つよ。

 優芽は心の中で語りかけた。

 紬希の考えがまとまって言葉にできるまで、あたしはいくらでも待つ。

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