26-02 反転の里

 それに紬希は今も、何らかのつらい気持ちでいるのではないか。

 ひとりきりになることでそれが癒されるならいい。

 でも、助けてほしいときに誰もそばにいなかったら、きっと深みにはまってしまう。



 紬希と話さなくては。

 話をして、どうしたら彼女の助けになれるのか、聞かなくては。

 自分にはその責任があるし、人を助けようと思った結果身を滅ぼすのなら、本望だ。



「……優芽はムーのドナーだ。ムーが生きるには、優芽も生きていてくれなくては」

 しかしその言葉に、感情的になっていた優芽は、すっと冷たい刃を当てられたようになった。

 モルモルの言い分はもっともだ。

 優芽はモルモルを助けるためにドナーになった。

 身勝手にドリームランドに飛び込んで、紬希のこともモルモルのことも助けられなかったら、自分はただの迷惑な役立たずだ。



 モルモルをとるか、紬希をとるか。

 優芽は葛藤した。

 確実に助けられるモルモルをとるべきなのだろうが、紬希のことも諦めきれない。

 どちらも助けたい。




 悩んだ挙げ句、優芽は震える声で告げた。

「ごめん、モルモル。あたしは紬希を見捨てられない」


 沈黙が重い。


 役立たずだとか、どっちをとるかとか、そういうことではないのだ。

 紬希を助けたい。

 ただその一心だ。

 自分のその気持ちを無視することはできない。


「……わかった。まあ、運命共同体というやつだな。死ぬときは一緒だ」

 言いながら、肩の上にふっとモルモルが姿を現した。

「……モルモル!」

 たまらず、優芽はモルモルを取り上げて、ギュッと抱きしめた。

「ごめんね。ありがとう……」

 モルモルはこくりと頷いた。




「じゃあ、入るぞ。後戻りはできないが、本当にいいんだな?」

「……よろしくお願いします」

 ヘッブを身にまとった優芽は、胸に抱えているモルモルの指示どおり、指先をしゃぼん玉に伸ばした。

 行き交う通行人は誰もそんな二人を気にしていない。

 ヘッブの効果で周りからは見えていないのだ。


 指先が虹色の膜に触れそうな瞬間、優芽はためらった。

 パチンと消えてしまったらどうしよう。

 そんな恐怖を振り切って、彼女は思いきって指を差し入れた。


 何の感触も抵抗もない。

 少しずつ前進して、肩まで入り、目をつぶって顔も入り。

 もういいかな、というところで恐る恐る目を開いてみて、優芽は唖然とした。



 視界に飛び込んできたのは緑色だ。

 優芽はまっすぐ続くあぜ道に立っていた。

 辺りは一面苗色の田んぼで、それが万緑の山の斜面に突き当たるまでずっと広がっている。

 田んぼを貫くあぜ道も遠くで木下闇こしたやみに呑み込まれ、その先は知れない。

 山は壁のようにそびえており、鬱蒼と茂る樹木と相まって、まるでこちらに迫ってくるかのようだ。

 緑に濃淡のある斜面は美しい。

 圧倒されるその景色に、優芽は自然に対して畏敬の念を抱くとはこういうことか、と思った。


 さわやかな風が吹き抜け、優芽の髪が揺れた。

 青田の稲もサーッと波打って、まるで風の形が見えるみたいだ。

 その波を追うように優芽が体をひるがえすと、遠く盛り上がった緑を背にして、真っ赤な鳥居が建っているのが目に付いた。

 心地よい風に吹かれながら、優芽はその光景をしばらく見つめた。



「ここが……紬希のドリームランドなの?」

 この空間に入ってから、初めて言葉を発することができた。

 その言葉に、優芽の胸で抱かれているモルモルは、いつもの平坦な声で答えた。

「そうだ。ここが紬希のドリームランドだ」

「……あたしのと、全然違う」


 ドリームランドとは真っ暗で何もないものだと思い込んでいた優芽は、こんな空間が広がっているだなんて想像もしていなかった。

「ヒトがひとりひとり違うように、ドリームランドもひとつずつ違う。精神世界だからな」

「そっか……」

 モルモルの説明に、なんとなく優芽は納得した。



 ここからどうしよう。

 改めて、優芽はその場でぐるっと一周した。

 周りを山の壁に囲まれていて、まるですり鉢の底に立っているみたいだ。

 人影はない。

 それなら紬希を探すため、歩き回ってみなくては。

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