23-06 英語スピーチコンテスト <彩生>

 中央の演台までが果てしなく遠く見える。

 あそこにたどり着くまでに足がもつれて、何もないところでつまずいてしまいそうだ。


 恐々、二人は客席にも目をやった。

 袖幕に遮られて全体は見えないが、思った通り、トウモロコシの粒みたいにいくつもの座席が並び、見ているだけでくらくらしてくる。


 照明の具合なのか、客席の人々の顔は輪郭がぼやけがちで、ハッキリこれが誰とは判別できない。

 でも二人はなんとなく、席に残っている優芽と虹呼の姿を探した。

 多分あれかな、という人物に見当をつけて、だからといって何というわけでもなく、視線は再び舞台と客席をさまよった。



「紬希……」

 彩生が背中に軽く触れてきて、紬希は緊張でガチガチの体をなんとかして彼女の方にひねった。

 彩生は真剣な眼差しで紬希を見ていた。


「私のスピーチ、よく見ててね」


 いろんな気持ちを凝縮したような言い方だ。

 紬希は無言で頷いた。

 なんだか喉が張りついたようになって、声が出てこない。


 自分の本番のときにもこんな状態で、舞台で口を開いても声が出てこなかったらどうしよう。


 そんなあらぬ想像を一瞬して、全身の神経が逆立った。

 今から本番なのは彩生だというのに、情けない。


 当の彼女はここから舞台を窺ううちに腹を決めたみたいだ。

 どこか顔つきがしっかりとして、目ももう心もとなげにキョロキョロしていない。


 そんな彼女が片手を差し出した。

「紬希の頭の良さと冷静なとこにあやかりたいから、握って」


 全然落ち着いてないんだけど……。


 内心はそう思ったが、ここはそんなこと言わずに黙って手を握るべき場面だ。

 紬希は差し出された手をおずおずと両手で包み込み、ハッとした。

 彩生の手が冷たい。

 思わず彩生の顔を見ると、彼女はちょっと恥ずかしそうに笑って、小さく呟いた。

「めっちゃ緊張する……」


 紬希は目を見開いた。

 練習のときも、会場に向かう車の中でも、そして手を差し出してきた今も。

 紬希には彩生のことが自信に満ちて見えていた。


 きっと彩生は本番でも緊張しない。

 ミスだってするわけない。


 そう思い込んでいた。

 でも違うのだ。

 彩生だって緊張するし、弱気にもなる。

 もしかしたら今までも不安や緊張を感じることはあったのかもしれない。

 でも、彩生は本番前の、舞台袖で紬希と二人きりになるこの時まで、一切後ろ向きなところを見せなかった。


 それに気づいて、紬希はすっかり緊張が吹き飛び、代わりにうろたえた。

 彩生は自分に勇気づけてほしいと思っている。

 気の利いた言葉が思い浮かばず、紬希は繋いだままの手に視線を落とした。


 こんなとき萌なら、優芽や虹呼なら、どうするだろう。

 自分なんかじゃなくて、舞台袖に付き添ったのが他の誰かなら良かったのに。


 慌てれば慌てるほど余計に何も思い浮かばず、紬希は彩生の手をキュッと握った。

 その拍子に、あっと自分にできることを思いついた。



 彩生の手を少しさすって温めた後、紬希は彼女の手を少し自分側に引き寄せて、ある一点に親指で圧をかけ始めた。

 彩生は黙って目を丸くした。


「痛くない……?」

「うん。痛気持ちいい感じ」


 圧をかけている一点を見つめたまま、紬希はたどたどしく話し始めた。

「ここは合谷ごうこくっていうツボで、緊張に効くんだって」

「えっ、そうなの!?」

 紬希が何をやり出したのかわかって、彩生は改めてマッサージされている手をまじまじと見つめた。

 押されているのは、親指と人差し指の股のあたりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る