23-05 英語スピーチコンテスト <彩生>

 ホールに足を踏み入れると、ずらっと何列にも並んだ背もたれが視界の端から端までを埋め尽くした。

 その奥には、大きな舞台が暗く静かにたたずんでいる。


 座席にはすでに他校の生徒たちが学校ごとに固まって座っており、たくさんの後頭部が揺れていた。

 彩生たちが足を止めてホールを見渡している間にも、複数ある入り口からは続々と他校のグループが入ってきて、席についていく。

 広い空間に満ちている生徒同士のおしゃべりや引率教員の声だけを聞く分には、そのざわめきは学校の教室と似ている気もした。

 でも、客席が明るく騒がしい一方で、照明が落とされ闇に沈んでいる舞台は、まるで別世界のように感じる。



 座席は一体いくつあるのだろうか。

 そしてどのくらい埋まるのだろうか。



 彩生と紬希は思わず、舞台に立ったときの光景を思い浮かべた。

 たとえ満席でなくても、視界いっぱいに座席が広がっているというのは相当なプレッシャーだろう。

 そもそも、ひとりで立つには舞台が広すぎる。



 あんなところからこの客席まで、本当に自分の声なんて届くのだろうか。

 会場に飲み込まれてしまうのではないか。



 今まで、教室での練習は繰り返し行なってきた二人だったが、ホールに入るのは今日が初めてだ。

 聞き手の人数が桁違いなのは覚悟していたが、実際にホールの広さや独特の雰囲気を体感してみると、自分のイメージが甘かったことを思い知らされた。




「この辺りがうちの席。今からは少し休憩して、その後高遠さんと久我さんは僕についてきて。荷物は休憩の間は僕が見張るけど、その後は残った二人に任せるね」


 開会式まではまだ余裕がある。

 休憩をして、優芽と虹呼に「頑張って!」と送り出された後、今野たちはロビーへと移動した。

 その片隅で、彩生は正真正銘最後の練習をした。

 人目があるから声も身振りも小さめの、確認程度のものだ。


「うん。登校日に言ったポイントもしっかりクリアできてる!」


 今野はもう新しい注文をつけない。

 その様子を見ていた紬希もコクコクと頷いて、音のない拍手をおくった。


「じゃあ、舞台袖に移動しよう」

 サラッと言われて、彩生と紬希は二人して縮み上がった。

 そういうことは心の準備ができるよう段階的に言ってほしい。



 今野の後について、二人は初めて舞台裏というものに足を踏み入れた。

 ロビーの柔らかな雰囲気とは対称的に薄暗いし、壁はコンクリートやダクトのようなものがむき出しで無機質だし、いろいろな綱や配線もビロビロしているし、とにかく恐ろしい。

 突然手の平を返されたかのような心細さを感じる。



 下手側の舞台袖にはイスが用意してあり、他校の生徒がすでに何人か座っていた。

 みんな顔をこわばらせ、口の中でスピーチを反復したり、そわそわと体を揺らしたりしている。

 出演者はある程度自分の番が近づいてきたらここに来て待機するのだ。


 彩生は開会式前からの待機組に含まれている。

 ここでイスに座って、今野と紬希と別れたら、あとは本番が終わるまでひとりきりだ。


「久我さんの出るコンテストも同じ動きだから、しっかり見ておくといいよ」

 紬希は今野の言葉にぎこちなく頷いた。

 彼は紬希に見通しを持たせるために、わざわざここまで同行させたのだろう。

 その計らいを紬希は心底ありがたく思った。

 もし自分の本番が今日だったら、初めてのホールに圧倒されすぎて、出番を迎える前に心臓発作で死んでいただろう。


「舞台袖から舞台と客席を見させてもらっておいで」

 今野に促されて、彩生と紬希は他校生の前を横切り、脇幕の間からそっと舞台を覗き込んだ。

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