22-08 納涼祭
須藤に話を聞いてから、紬希は自分でも介護について少し調べてみた。
デイというのはデイサービス、またはデイケアのことで、つまり須藤が言うところの、かけはしみたいな通いの施設だ。
そこは必要な支援を受けるだけでなく、同年代同士の交流の場にもなっている。
そして、その利用には要介護認定が必要だ。
それに気づいて、紬希の中にパッと明るい気持ちが咲いた。
ということは、フミ子さんは介護保険のサービスを使い始めたのだ。
「……良かったです!」
その一言に、どれだけの気持ちや思考が凝縮されているのか、渡辺は知らない。
でも彼は笑って頷いた。
グラウンドでは炭坑節が終わって、今度はポップスが流れ始めた。
やぐらでマイクを握っている男性の、一段とハイテンションな声が飛んでくる。
フィナーレの花火に向けて、場を盛り上げているのだろう。
そんな若者のノリに変わっても、フミ子さんの目は踊っている人々に釘付けだった。
「あの……フミ子さん、盆踊り好きなんですか?」
あまりにもやぐらから目を離さないので、紬希は思わずそう聞いていた。
そもそもこの時間まで納涼祭にいること自体がその証のようにも思える。
でも、渡辺から返ってきたのは少し違う答えだった。
「そうだなあ。盆踊りもだけど、ばーさんは祭りを楽しむ子どもが好きなんだ」
あっと思うと同時に、紬希はその言葉に、フミ子さんが昔どんなだったかを垣間見た気がした。
当たり前だが、フミ子さんにも若くて元気なときがあって、そのときは様々な人と関わりあって暮らしていたはずだ。
紬希から見たらフミ子さんは認知症のお婆さんでしかない。
でも渡辺から見たら、昔と変わってしまった、だけど所々にらしさを残しているフミ子さんなのだ。
「知る」ということはすごい。
初めてフミ子さんに出会ったときは、何を考えているかわからない、得体の知れない存在だと思った。
認知症という言葉を知らなかったら、紬希はせっかく見つけたフミ子さんを理解不能で危険な存在だと怖がって、関わることから逃げていたかもしれない。
関わらなければ、フミ子さんの記憶からさっき言ったばかりのことが本当に消えてしまうことや家の中がぐちゃぐちゃなこと、だけど、その中でフミ子さんはフミ子さんなりに生活していることも知らずにいただろう。
知っていたから逃げずに済んだ。
知ったから親しみを感じるようになった。
そして、認知症のフミ子さんから、ひとりの人間としてのフミ子さんだと思えるようになった。
そう考えると、以前須藤に言われた「診断名を知るとどうしてもこの人はこうなんだという決めつけが入る」という言葉に、紬希は少しだけ疑問を覚えた。
それは決して悪いことばかりではないんじゃないか、と紬希は思う。
外見も中身も、ヒトがひとりひとり違うのは当たり前のことで、だけど、その違いには呆れるほどひとつひとつ、名前がつけられている。
きっと名前は今も増え続けていて、その中には「理解してほしい」と声をあげるようなものも含まれている。
でも、紬希には名付けられた全ての差異を把握するのは無理だし、どうやって配慮したらいいのかを網羅することも出来ない。
誰にだって出来ない。
それを解決するのは、須藤の言うとおり、先入観なくその人自身を見るという姿勢なのだろう。
それは認知症とか、明らかな差異を持つ人に限った話ではない。
普段の他人との関わりだって、同じことだ。
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