17-05 鉛は押し込まれ
「とりあえず、今の二人の実力を見てみよう。特別なことはしようとしなくて大丈夫だから、まずは原稿を読んでみて。どちらから読む? 」
「はいっ! 私が読む! 良いよね?」
間髪入れずに彩生が手を挙げて、ぐるっと紬希の方を振り返った。
紬希がこくりと頷くと、彩生は原稿を胸の前で持って、自信満々に読み上げ始めた。
「うん。いいね」
「上手ーい!」
スピーチが終わると今野は頷き、なんとなく聞いていた優芽たちからも拍手が起こった。
発音は滑らかで、声にも抑揚がついていて、文句なしに彩生のスピーチは上手かった。
紬希は自分が先に読まなかったことを少し後悔した。
この後に自分の下手なスピーチを披露するだなんて、ただの罰ゲームだ。
きっと出来ていないところが余計に目について、ボロボロに見られる。
「じゃあ、久我さん」
今野に促されて、紬希は自信なさげにつっかえつっかえ原稿を読んだ。
緊張で舌がこわばって、まったく言うことを聞いてくれない。
「うん。上出来」
「お~!」
でも今野は同じように頷いて、みんなも同じように拍手をくれた。
特に彩生は、嬉しそうな笑顔でひときわ強く手をたたき合わせた。
「二人ともありがとう。ここからさらにレベルアップするなんて先生楽しみだよ」
今野は心からそう思っている様子でニコニコと笑った。
彼もみんなも、彩生と紬希を対等だと思っているらしい。
紬希にはそのことが信じられなかった。
明らかに彩生の方が上で、自分は下だ。
そんな思いが心身をむしばんで、人前で発表したことはもちろん、その内容がお粗末であったことがとにかく恥ずかしかった。
でも今野は二人に同じアドバイスをし始めた。
「さて、二人には身体が覚えてしまうくらい、原稿を何度も読んでほしいと思います。これは頑張って暗記するということではなくて、こんにちはとかありがとうみたいに、自然と口から出てくるくらいに身につけてほしいということね」
彩生は具体的な指導が始まったことでますます意気に燃えて、何度も頷いた。
「次に、大事なのは伝えようという気持ちです。正しい英語であることはもちろんだけど、この気持ちがあれば、声の感じや表情、ジェスチャーなんかも自分で自然と工夫できるからね」
熱心な彩生の横で、紬希はどんどん憂鬱になった。
紬希には他人に伝えたいことなんてないし、そもそも人前に立つことから逃げ出したい。
二人の意欲には天と地ほどの差があった。
「表情や身振りを工夫するためには、練習のときに鏡を見るか、友達に見てもらうかするといいです。正直、これをやらなきゃ練習とは言えないよ」
友達に見てもらわなきゃ練習とは言えない。
その言葉に紬希は奈落に突き落とされた。
さらに、今野は能動的に取り組むことまで促してくる。
「僕は基本的な指導や質問されたことへのアドバイスはするけど、こうしなさいと正解を提示することはしません。自分の表現したいもののために、自分で積極的にアイディアを出してね」
前途多難だとは思っていたが、ここまで苦手要素の塊となると、紬希はもはや思考停止の状態だった。
やりたくない、逃げたいを通り越して、考えたくない。
もしモルモルと共生しているのが自分で、ヘッブが使えたとしたら。
紬希はそんなことを想像した。
自分はヘッブの力でスピーチから逃げようとしたに違いない。
「ヘッブで楽をしても、絶対に幸せにはなれない」
あの時はそうやって偉そうに優芽のことを諭したが、今となっては優芽の気持ちがわかる気がした。
幸せになれるとか虚しいとか、何もかもが関係なく、とにかく苦手なことから逃げられれば良いのだ。
あの時、優芽ちゃんはこんな気持ちだったのかな……。
後悔や情けなさで体が重たくなっていく中、紬希は優芽への共感を噛みしめた。
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