17-02 鉛は押し込まれ
萌はクスッと笑って、手元の本に視線を戻した。
恐らくポルトガル語の本だ。
紬希には何が書いてあるのかサッパリで、娯楽として読んでいるのか、勉強で読んでいるのかすらわからない。
それを邪魔していいものか迷ったが、紬希はためらいながらまた口を開いた。
「萌ちゃんは、やっぱポルトガル語がしゃべれるからボランティアで日本語教室に来てるの?」
日本語、ポルトガル語、加えて英語まで話せる萌には、日本語教室に来る必要なんてないように思えた。
あるとすれば、自分とルーツの似た生徒たちを気にかける気持ちではないだろうか。
でも、かと言って、萌が積極的に支援を行なっている様子はなかった。
ある日は海外ルーツの子たちとポルトガル語でペラペラ会話し、ある日はヘルプに応じ、またある日は静かに読書などをして過ごす。
部室に姿を見せない日もたびたびある。
快活でフレンドリーな萌だったが、そんなふうだったから紬希は彼女のことをなんとなくつかみきれずにいた。
「あ~、まあね」
考えるように視線を泳がせて、萌は少しずつ言葉にしていった。
「それもあるけど、一番の目的はポルトガル語の勉強?」
「えっ、もうしゃべれてるのに?」
意外な答えに、紬希はさらに萌がわからなくなった。
「うちの親、日本語得意じゃないからさ。家ではポルトガル語でしゃべるんだけど、やっぱ細かいことって伝えるの難しくて」
親子なのに言葉が通じないってこと?
そう言いかけて、紬希は口をつぐんだ。
自分はとんでもない地雷を踏んでしまったようだ。
「日本語ばかりの生活してるといつの間にか忘れちゃってる言葉とかもあって、もう上達とかじゃなくて、せめて今の状態を保たないとな~って」
そう言って笑う萌に、紬希は何と言葉を返したら良いのかわからなかった。
沈黙になるのは気まずい。
その焦りを知ってか知らずか、話が聞こえていたらしい彩生と
「苦労人やなぁ、萌たんは」
「トリリンガルの裏には努力ありやにゃあ」
口をはさんでくれたのはありがたいが、そんな茶化していい話題では……。
と紬希は一瞬青ざめたが、萌は笑って「せやでぇ~」とおどけた。
「聞いてるだけで言葉を自然と覚えられるのなんてちっちゃい子だけだからね。オバチャンは一生懸命勉強するしかないわけよ」
萌はペシペシと読みかけの本を叩いて見せた。
「はあ~さすが萌たん。私の憧れの人! 好き!」
紬希の懸念をよそに、萌は普段と変わらない様子だ。
そのことにひとまず安堵しつつも、紬希の胸はまだドキドキとしていた。
「本当、爪の垢でも煎じて飲みたいわ。ね、マミさん?」
自分の名前が聞こえて、優芽はハッと目を開いた。
彼女の前には数学の宿題が開かれていたが、船を漕ぐばかりでさっきからひとつも進んでいない。
当然、彩生に何を言われたか把握しているはずもなく、彼女はぼんやりとみんなの顔を見回すだけだった。
「おはよ~、マミさん」
「オハヨウゴザイマス……」
居眠りしている優芽がみんなに起こされるのは、今や紬希にとってもお馴染みの光景となっていた。
何の話をしていたのか彩生に解説されて、優芽は「なるほど」と頷いた。
「でも、萌たんにあやかってもあたしはダメだと思う。あたしにないのは努力じゃなくて、ココだからね」
大真面目な顔で優芽は自分の頭をつついた。
「そこも込みでの爪の垢でしょ?」
「いやいや。そんなこと言ったら爪の垢と言わず、腕一本、なんなら丸ごと全部いただかないとダメだから」
「怖っ!」
全員でカラカラ笑っていると、海外ルーツの子たちが起立して「ありがとうございました」と礼をした。
取り組みが終わったらしい。
それを待ってましたとばかりに萌は立ち上がって、ベルナルドの元へと駆けていった。
彼女がベルナルドとポルトガル語で話し始めたのを見届けて、彩生はつまらなそうに言った。
「知ってる? 萌たん、最近ベルナルドのことベルって呼ぶんだよ?」
「爪の垢と言えば、ベルナルドの日本語の上達も目覚ましいにゃ」
「無視しないでよ~」
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