17-01 鉛は押し込まれ

 部室、もとい日本語教室の中は盛り上がった声が飛びかい、賑やかだった。

 海外にルーツのある生徒たちの前には、学校で過去に配布された連絡プリントが置かれ、それを教材に話し合っている。


「水筒」

「す、い、と、う」

 プリントの文字を指差しながら言われ、ベルナルドは復唱しながら自分でルビを振った。

 かたわらに立って指導しているのは柴崎ではない。

 英語教師の今野こんのだ。



 学校外からのボランティアである柴崎は週に一、二度しか部室に来ない。

 日本語教室は元々そのタイミングでしか開かれていなかったのだが、部活化するにあたっては顧問が必要になった。

 そこで選ばれたのが今野だ。

 彩生あきのゴリ押しで発足した語学部なのだから、英語を学びたい彼女に英語教師があてがわれるのは当然の成り行きだった。


 そして、毎日日本語教室が開いているとなれば、海外ルーツの生徒たちも足繁く部室にやって来るのは自然な流れだった。

 たとえ柴崎がいなくても、彼、彼女たちは気分に応じて部室に足を運んだ。



 日本語教室はいわば、ガス抜き部屋だ。

 ここに来れば、自分と同じような境遇の生徒と交流でき、本棚には母語の本やマンガも詰まっている。

 さらにタブレット端末を使えば、遊びも自主学習も気楽に行うことができるし、語学部員たちは自分たちの味方になってくれることが約束されている。

 普段の教室で張りつめていたものをゆるめるには、なかなか具合のいい場所なのだ。



 今野はポルトガル語がわからない。

 しかし、海外ルーツの生徒たちから希望があれば指導を行なったし、今日のような持ち込み企画をすることもあった。

 日本語指導に外国語スキルは必ずしも必要というわけではなく、日本語だけで日本語を教えることもできるのだ。


「水かお茶を入れます。ジュースは入れません」

 今野は大きくジェスチャーを交えながら、ベルナルドに教えた。

 ベルナルドは頷いて、水筒の文字の横に何かをメモした。



 その様子を日本部員席から見ていた紬希は思わず目を丸くした。

「あんなことまで教えるの……!?」

 漢字を読めないというのはわかる。

 しかし、水筒の中身までわざわざ伝えるのはやり過ぎではないか。

 驚く紬希に、萌が笑って解説してくれた。

「ブラジルって学校でおやつが出されたり、自分で持っていったりするらしいよ」

「えっ!?」

「だから、日本の中学校ではお菓子もジュースも持ってきたらダメって知らなかったら持ってきちゃうよ。それが当たり前なんだもん」

 伝聞のかたちではあるが、紬希が納得するには十分だった。

 同時に、だから今野は今日のような企画を行なったのだと理解した。



 長机に広げてあるのは校外学習やプールについての連絡プリントで、今は持ち物についての部分に取り組んでいる。

 その行事を未経験の生徒は、今野の用意した写真やイラストの中から正解と思う必要物品を選び、すでに経験のある生徒はそれをチェックするのだ。

 例えば、選択肢にはスクール水着とビキニが並んでいるなど、ひっかけが存在するので油断ならない。

 そういうゲーム感覚に加え、思ったことや経験談を誰も彼もが語りだすため、教える側も教わる側も盛り上がる。


 さらに教え合いは、その物品がどこで購入できるか、という話にまで発展する。

 百均で十分だとか、それはどこどこの店で買うだとかいうことを話すうちに、生徒たちは自然と地域の情報を蓄えた。

 中には「案内するよ。一緒に買いに行こう」と約束し出す子もいる。


 この持ち物についての細かいチェックは、何も生徒たち本人のためだけではない。

 本人たちが承知していて、こんなやり取りは必要がない物品であっても、その保護者にとっては馴染みがないこともある。

 親に購入を頼むとき、どんなことに気をつけて説明すればいいのかを知るための取り組みでもあるのだ。


「日本人からしたら非常識と思うことが、外国では当たり前だったりするんだ……」

「ねー。逆に外国人からしたら日本ってなんて非常識なんだって思われてることもありそうだよね~」

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