11-05 語学部
でも、これだけ聞いても紬希の不安は消えなかった。
悪い子じゃない、一人ずつに合った関わり方をすればいいと言われても、まだ具体的な接し方はわからない。
これは実際に関わることで身に付いていく類いのものであって、不安をなくすにはまず不安に飛び込んでみなくてはならないのだ。
なんだか
普通の人は思い浮かべないであろう、そんなことを紬希は考えた。
出掛けるときに鍵を閉めたか不安になったり、特別汚いものに触れてしまった後、しっかり綺麗にしたのにまだ汚い気がしたり。
そういう経験がある人は珍しくないだろう。
それが、何度確認しても不安で出掛けること自体ができなくなったり、他の生活を圧迫するほど常に手を洗い続けたりするようなら、その人は強迫性障害ということになる。
そういった確認する、手を洗うといった強迫行為をあえて我慢し、不安に
鍵を閉めたか不安なまま出掛けるのはとんでもない苦痛だろう。
だが、帰ってきたときにちゃんと鍵が閉まっていた、大丈夫だったという経験は、不安を徐々に薄らがせるのを助ける。
不安だからといって病的な現状を維持することは、変化を諦めるうえに、成功体験のチャンスまでも放棄してしまっているのだ。
まるでスイッチが切り替わるみたいに、紬希の中からためらいが消えた。
「入部……してみよっかな」
ぽつりと言った瞬間、彩生が歓声を上げて、舞うようにどこかへ駆けていった。
そして戻ってきた彼女の手には入部届が握られていた。
「早っ!」
「善は急げ! はいっ、紬希、書くよ!」
あきれる萌を押しのけて、彩生はあれよあれよと言う間に紬希を椅子に座らせ、ペンを握らせた。
ペン先が紙に触れる前から「今日の日付は」とか「部活動名は語学部!」とかまくしたててきて、圧がさらに強い。
おかげで紬希は、普段何も意識せずに書いているはずの自分の氏名を間違えそうになった。
「はいっ、あとは家に帰って保護者の名前とハンコをもらって提出するだけ! やった! これで紬希も語学部員!」
にっこにこで彩生が拍手すると、それは教室中に伝播して、気づけば柴崎や長机の生徒たちも含めた全員の注目が紬希に集まっていた。
「久我氏、おめでとうございます。何かひと言!」
今まで黙々と本を読んでいたはずの虹呼が、いつの間にか筒状に丸めたノートを紬希に向かって付き出してきた。
それでハッとして、紬希は弾かれたように立ち上がった。
「よ、よろしくお願いします……」
長机の方に身体を向けて、深々頭を下げた。
後悔は、ある。
不安の種は消えたわけではないし、語学への興味もない。
なによりも、長机の生徒たちが怖い。
でもそれは知らないからだ。
怖さを克服するため、わからないものを知るために、紬希は語学部に入るのだ。
彩生に失望されないため。
クラスでのグループの関係を強化するため。
それらの理由よりも、彼女は彼女自身のために入部するのだと思うと、自分の選択に強く納得できた。
「じゃ、スピーチコンテスト一緒に出ようねっ!」
「へっ!?」
もう後戻りはできない。
そのタイミングで、まるで確定事項かのように彩生が言い放った。
思いどおりに事が進んでご満悦の彼女は、間違いなく確信犯だ。
そんな彼女に何も言い返せず、紬希は自分の前途多難なこれからに思いを馳せた。
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