11-02 語学部
うろたえている紬希の腕をぐいっと、彩生がいきなり引っ張った。
「え、えっ!?」
あたふたしている間に紬希はベルナルドの横に連れていかれ、棒のように立ち尽くした。
ベルナルドは黙って二人をにらみ上げた。
そんな彼に彩生はみじんもひるまず、親指を立ててぐっと自分の胸をさした。
「むいとぷらぜーる! とぅーどぅべん? えうそうあき」
そして強制的にベルナルドの手を握ってぶんぶんと上下に振り、また親指をビッと立てて、今度は紬希をさした。
「えすてあつむぎ」
気後れしそうなくらいガッチリとベルナルドを見ていた彩生の目が、そこで急に紬希に向けられて、気づけば紬希とベルナルドは握手をさせられていた。
二人が手を離すと彩生は満足げに親指を立て、そのままそれをベルナルドに向けて、首を傾げた。
その動きは、いささか挑発的にも思える。
ベルナルドは難しい顔のままだ。
その肩を、ニコニコと見守っていた柴崎が、再びぽんぽんとたたいた。
眉間のしわをいっそう濃くして、ベルナルドはのそりと立ち上がった。
「コンニチハ。ハジメマシテ。ボクノナマエハペレイラベルナルドデス。ヨロシク」
言い終わると同時に柴崎が大きく拍手をして、机に向かっている他の子たちも、彩生も、みんなベルナルドの自己紹介に拍手をおくった。
「Excelente! 高遠さん、久我さん、良かったらまた手伝ってくださいね」
柴崎は彩生と紬希にも大きな拍手を送って、ぽんぽんと肩をたたくと、身をひるがえしてベルナルドと何やら外国語で話し始めた。
長机の子たちも、また画面をなぞったりペンを動かしたりし始め、おそらく彩生が扉を開ける前の空気に戻った。
「紬希、こっち」
彩生に小声で促されたのは、長机のさらに奥。
そこには普段の教室にあるものと同じ机が四つくっつけられており、すでに優芽と虹呼が荷物をおろして座っていた。
虹呼が広げているのは、もちろんヒエログリフの本だ。
「いや~、さすがですな、アキ殿」
本から目を上げずに虹呼が言った。
「目指せトリリンガルだわ」
「そしたら私と同じだね~」
「あっ、萌た~ん」
萌たんが会話に加わって、ふっと彩生が声を落とした。
「ね、あの二人何話してるの?」
チラッと彩生の背後に目をやって、「あぁ……」と萌たんも声を落とした。
「早くブラジルに帰りたい。日本に来たせいで未来が閉ざされた。会話も勉強もできない。っていうようなことを言ってるみたい。無理もないよね、まだこっちに来たばかりだし、あっちでは普通に友達と遊んで授業を受けてってしてたのが急に思い通りできなくなっちゃったんだから」
「うう、キツいなぁ……」
言葉の壁の無情さに一同は口をつぐんだ。
自分が言葉も文化も違う異国に放り込まれたらどんなに困るかというのは想像にかたくなかった。
これまで積み上げてきたものが通じない世界では、自分の生きたいようには生きられない。
出来ていたことが出来なくなる屈辱、気持ちのままに動けない不自由さ、慣れない環境への不安から閉じこもりがちになり、社会から切り離されていく孤独。
人生に深刻なダメージを与えるのは間違いない。
自分の意思で飛び込むならまだしも、家庭の事情で致し方なく連れてこられただけならなおさらだ。
ベルナルドのぼやいていたとおり、彼がすぐに母国に戻れることになったとしても、今のままでは彼にとって日本で過ごした日々が人生の空白となるのは否めない。
かけはしでは、人と周りとの間にある困り事のことを障害と呼んでいた。
彼はまさに、言語の障壁にぶち当たっているのだ。
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