11-01 語学部

 壁に色画用紙を切り貼りした大きな世界地図が貼られ、その地図には金の色紙で星が印してあった。

 位置はブラジルと中国。

 地図の上部にはこれもお手製の、カラフルなフラッグガーランドが飾ってあり、見慣れない文字で何か書いてある。

 教室表札には「日本語教室」とあった。



 彩生あきはその戸を、まるで自分の家の玄関みたいに開けた。

 途端に中にいた大勢の視線が集まり、思わず紬希は彩生を盾にして隠れた。

「オイ!」

 しかし、彩生のその一声でガバッと顔を上げて、盾にした背中を凝視せざるをえなかった。

 紬希の戸惑いに反して、教室からは生返事みたいな声がバラバラと返ってきただけだ。


 チラッと彩生の背中越しに中をうかがうと、長机をくっつけたところに何人か生徒が座っていて、タブレットや本を広げていた。

 彼、彼女たちの顔には、外国風の特徴が見てとれる。

 さらに一番手前の子の耳についているものに気づいて、紬希は身がすくんだ。

 不良のたまり場!?

 その女の子の耳にはピアスが光っていたのだ。


 自分の目を疑う紬希をよそに、彩生はスルッと中へ入っていった。

「アキーニャ!」

「萌たん!」

 すると、すぐに大きな声がして、彩生も大声で応じながらそっちへ駆けていった。


 おそるおそる紬希も足を踏み入れると、そこは元は資料室か何かだったのだろうか。

 普通の教室より狭く、壁際はガラス扉付きのどっしりとした本棚で埋め尽くされていた。

 その本棚の中は、これまたびっしり、外国語の背表紙が詰まっている。


「来てたのー!?」

 彩生は萌たんと呼んだ女子生徒とハグを交わし、嬉しそうにしゃべり始めていた。

 萌たんもどことなく彫りの深い顔立ちをしている。

 だが、流れるように口から発される言葉はまぎれもない日本語だった。


「Cala a boca!」


 そんな盛り上がる二人を引き裂くかのように、ピリッと声が響いた。

 声の出所は、どうやら入り口から一番遠い席に座る男子生徒だった。

 足を組んでパイプ椅子に座り、怖い顔でふんぞり返っている。

 むき出しの耳にピアスはなかったが、紬希が縮み上がるにはそのガラの悪い態度だけで十分だった。


 嫌な沈黙の始まり。

 かと思いきや、場が張り詰めたことなど気にもとめず、ぽっと穏やかにしゃべり出す人がいた。

「あれ、見ない顔だね」

柴崎しばざき先生、こんにちは~」

「こんちゃ~」

 固まっている紬希を通り越して、優芽と虹呼にこが挨拶しながらその男性のいる奥へと進んでいった。

 ネックストラップをぶら下げた男性は、さっきの怖い男子のそばにいて、紬希のことを見つめていた。

「あ、こんにちは……」

 紬希は反射的に会釈した。

 男性は頷いて、改めてしっかり紬希の方に体を向けた。

「こんにちは。僕は日本語指導員の柴崎健一です。あなたは?」

「あっ、久我紬希です。高遠さんに語学部の見学に誘われて……」

 男性はうんうんと頷いた。

 聞いてますよ、という感じがして、なんだか頼もしい。

 一方、緊張している紬希は視線があちらこちらへと意味もなく泳いでいた。


『失礼なやつだな』

「ベルナルド!」

 先ほどの男子が異国の言葉で何かこぼすと、たしなめるように萌たんと呼ばれた子が短く叫んだ。

 にらみ合う二人を気にせず、いたってマイペースに柴崎はベルナルドの肩をぽんぽんとたたいた。

『ほら、実践のチャンスだ! 自己紹介してみたら?』

『こんないつまでいるかわからない国の言葉、覚える必要ない』


 紬希には二人が何を話しているのかわからなかった。

 英語ではない。

 壁に貼ってあった地図からしてブラジルで使われている言語だろうという見当はついたが、そもそも紬希にはブラジルの公用語がブラジル語なのか何なのか、そこからしてわからなかった。

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