09-06 息をするように

 再び、今度は三人で人海に飛び込んだ。

 人はますます増えていたが、前を行く優芽はゆっくり振り返りながら歩いてくれたし、小さい子がいると心なしかみんな道を譲ってくれるようで、もみくちゃになるようなことはなかった。

 優芽が壁際で、かつ人の比較的少なそうな道を選んだおかげもあったのかもしれない。

 加えて、スイーツコーナーに近づくにつれて混み具合が多少ましになり、惣菜コーナーの混雑で鍛えられた三人には大したことなく見えたというのもある。


 優芽と紬希は館内放送にもできるだけ耳を傾けていた。

 今のところ、迷子のお知らせは流れていないようだ。

 ならば、マサトのパパはまだスイーツのエリアにいて、自力でマサトを見つけようとしているかもしれない。



 スイーツエリアに着いて、三人はまず手前で立ち止まって全体を見渡した。

「さあどうしようかな。むやみに歩き回ってもすれ違うだけかもしれないし。もし見つけるのを諦めて上の階に行くとしたら、そこのエスカレーターから上がっていくと思うんだけど」


 マサトの妹であるミクちゃんが、ベビーカーに乗っていないことはすでに把握済みだ。

 だから、小さい子と一緒にひとつ上の階に行くなら、エレベーターでも階段でもなく、エスカレーターを使うだろうと優芽は予測したのだ。


「あっ、優芽ちゃん」

 紬希が何かを見つけて指差した。

 その先には小さな女の子を抱っこして、キョロキョロと辺りを見回しながら歩く男性がいた。

 腕にはケーキの箱に見えるものをぶら下げている。

 男性はスイーツの並ぶショーケースの通りから抜けると、くるりと向きを変えて、一本ずつの通りを大きく覗き込むような動作をした。

 明らかに何かを探している。


「マサトくん、あれってパパとミクちゃん?」

 優芽が指差して聞いてみると、マサトの顔がパアッと一瞬で輝いた。

 その表情が何よりの答えだ。


 マサトは父親と妹のことしか見えなくなって、パッと紬希の手を振り払って走り出した。

 また迷子にならないかとちょっとヒヤッとしたが、幸いマサトは一直線に走っていって、男性の足に抱きついた。

「将人!」

 多分、男性の口はそう動いた。

 すぐにしゃがんでマサトの頭をなで、続けて何か声をかけている様子だった。


「良かった良かった。じゃ、帰ろっか」

「えっ」

 あまりにもあっさりとした優芽の態度に、思わず紬希は声が出た。

「五時過ぎると電車が一気に混むんだよね」

 腕時計を見ながら言う優芽からは、マサトに対する名残惜しさは微塵も感じられない。


 紬希には、マサトに「バイバイ」と言ってきちんとお別れしたい気持ちがあった。

 でも、今あの子にとってのすべてはパパとミクちゃんだ。

 わざわざ追いかけていって声をかけるのはただの自己満足だし、再会の喜びに水を差すことになる。

 そうやって自分の気持ちに区切りをつけて、紬希は心の中で祈った。

 どうか、マサト君がもう迷子になりませんように。 



 帰りの電車の中、優芽はヘルプマークの人に気づいてサッと席を譲った。

 息をするように、そういう存在に気づける優芽に、紬希は感心した。

 紬希もマタニティマークの女性に席を譲った。

 二人ともつり革をつかんで立つことになって、なんとなく顔を見合わせて、ふふっと笑った。

 充実感とも言える心地よい疲労に包まれながら、二人は穏やかな気持ちで電車に揺られた。

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