09-03 息をするように

 しかし、そうやって練り上げたものが優芽と紬希という、ささいな要素で成り立たなくなるということはもちろんない。

 須藤が頼みを断ったのは単純に、二人のような立場の療育ボランティアを受け入れていないからだった。


「てか、優芽ちゃん、須藤さんが私にしてくれてた説明聞いてたんだ?」

 紬希にはそれが意外だった。

 会話の終わった頃合いを見計らうように優芽が顔を出してきたのは、彼女のことだからまた難しい話を避けたのだろうと思っていたのだ。

「うん。言ってることもなんとなくわかった」

 三つ目のドーナツに取り掛かりながら、優芽は何気ない感じで言った。

 紬希もやっとひとつ目を食べ終えて、コーヒーを口に含んだ。


「思ったんだけど……」

 コップを置きながら、紬希は思い至ったことを口にした。

「須藤さんの話し方を身に付けれたら、それがモルモルにとって一番いいんじゃない?」


 優芽に理解できて、会ったばかりの紬希に信頼感を抱かせる。

 須藤はモルモルのお手本にぴったりに思えた。

 そっくりそのままとまではいかなくても、コピーしようと努力することが、きっと成果に繋がる。

 紬希の提案に、優芽も目を輝かせた。


「モルモルって今も優芽ちゃんと一緒にいるんだよね? モルモルに聞くけど、正直なところ、どう? できそう?」

「難しい。しかし不可能とは言い切れない。やってみる価値はある」

 姿は見えないが、すぐに優芽の方からモルモルの声だけが聞こえてきた。

 優芽はヒエッと気持ち悪そうな顔になって、蚊でも潰すみたいにうなじに手をやった。

 どうやらそのあたりから突然声が発せられたらしい。

 しかし手のひらはモルモルをとらえず、ピシャンと肌に触れた。

 優芽は一層気持ち悪そうな顔になった。


「モルモルは日本に来てから日本語を覚えたんでしょ? なら、頭は良いんだろうと思う。言葉の意味を理解したのと同じように、須藤さんの言葉選びの法則みたいなものを理解できれば、近づけるんじゃないかな」

「善処する」

 やや前向きな答えだ。

 そもそも頭が良いのになぜしゃべり方に融通がきかないんだろうとも思ったが、モデルを決めてしまえば意外と事は簡単に進むのかもしれない。

 しゃべり方に正解を設定してしまえば、目指すところが明らかになるからだ。


「じゃあ須藤さんとなるべく会えるように、今度ボランティアの回数を増やせないか相談してみようかな。ねえ、紬希もまたかけはしに来てくれる? あたしひとりじゃモルモルにアドバイスとかできないよ」

「うん。行きたい!」

 今度は紬希が目を輝かせた。


 願ったり叶ったりだ。

 実は紬希は、優芽がまたかけはしに誘ってくれるのを待っていた。

 須藤を目指すという提案に、それを誘導する下心が少しもなかったかと言えば嘘になる。

 須藤はすっかり紬希にとって憧れの人になっていた。

 須藤も優芽と同じように、自分を世界の良い方へ導いてくれる、そんな予感がするのだ。


 二人に会ったことで、少しずつ自分の抱えている課題が明らかになっていく。

 そうして、目指すべき方向が定まるような、そんな期待があるのだ。



---



 両側をショーケースにはさまれた細い通路は、ほとんど隙間がないくらいの人で賑わっていた。

 あちこちから聞こえてくる呼び込みに、その後ろで鳴っている館内放送。

 人が入り乱れ、音が雑多に入り交じり、さらにはおいしそうな匂いがただよってくる。

 ピーク前からこんなにごった返しているなら、一時間後、二時間後には辺りは戦場になっているのではないか。

 壁に寄りかかって全体を見回しながら、紬希はそう思った。



 ランチ後に街をぶらぶらとして、夕方より少し前。

 二人はデパ地下に来ていた。

 紬希の横では優芽も同じように壁にもたれかかり、フロアガイドを機嫌良く眺めていた。

 あれもいいなぁ、これもいいなぁ、としきりに迷っていて、出陣にはまだかかりそうだ。

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