08-04 かけはし

 いきなり子どもと対面することにならなくて、紬希はほっと胸をなで下ろした。

 でも、ここがどういう場所なのか把握するにはまだ情報が足りない。

 すぐにソワソワしてきた。

 ここに来て新たにわかったのは、施設の名前と、須藤というスタッフと、今から何をやるのかということだけだ。


「じゃあ私はあっちの部屋にいるから、何かあったら遠慮なく言いにきてね」

 そう言うと須藤はにこりとして立ち去った。

 優芽にいろいろ聞こうかとも思ったが、彼女はもう椅子に座って、作業を始めてしまっている。

 かなり集中している様子に、和気あいあいとしゃべりながら作業するわけではないんだな、と察せた。

 紬希は用意されていた幼児用のちっちゃな椅子を引いて、おそるおそる腰をおろした。

 おもちゃみたいな椅子は、軋むこともなく紬希の体重を受け止めてくれた。

 ふうっと息を吐き出して、紬希も作業に取りかかった。



---



 どやどやっと声がして、二人の作業している部屋に子どもたちが現れた。

 おそらく一人ずつにスケジュール表があるのだろう。

 子どもたちは優芽と紬希には一瞥もくれず、それぞれのスケジュール表に吸い込まれるように寄っていった。

 紬希が自分に一番近いスケジュール表の子を見ていると、その子は表の一番上のカードをべりっと剥がし、それを持ったままとことこと歩き始めた。

 どこへ行くのかと思ったら奥のトイレに向かい、壁に貼ってあるカードをとんとんと指差して、同じくその下に貼ってある箱の中に剥ぎ取ってきたカードをカタンと入れた。



「うわー、もうこんなに進んだの? ありがとうね」

 子どもたちと共に帰ってきた須藤が、二人の進捗ににこにこと微笑んだ。

「あの、あれは何なんですか?」

 思わず、紬希はトイレに行った子の方を指差し、質問していた。

「ああ、初めて見るよね。ここではカードを使って一日の流れを目で見て把握できるようにしているの。あの子がスケジュール表から外したのは、一番上に貼ってあったトイレのカードで、あの箱に入れてからトイレを済ませて、またスケジュール表の前に戻るの。そしたら次にやることはまた表の一番上のカードになるでしょ? そうするとあの子は次に何をすれば良いか迷わないですむの」


 言ったとおり、トイレに行った子は表の前に戻ってきて、また一番上のカードを剥がした。

「あの、あの子たちってADHDとか自閉症とかなんですか?」


 須藤はぱちぱちと目をしばたたかせた。

 紬希が口にした名称は、どちらも発達障害に含まれるものだ。

 前者は気が散りやすい、後者はコミュニケーションが苦手。

 というような、いくつかの典型的な特性を持っている生まれつきの障害、というのが紬希のイメージするところだった。


 首を傾けて少し考えるような素振りを見せてから、須藤は言葉を選ぶように話し始めた。

「そうだなあ、発達にデコボコがある子たち、って答えでもいいかな?」

 今度は紬希が目をしばたたかせた。


「人間って、誰でも得意不得意、できるできないってあるでしょ? それが極端だと暮らしていて困り事が出てくる。そういう本人と周りとの間にある困り事を、障害って呼ぶのね」


 紬希は衝撃を受けた。

 障害とはその人自身が抱えている問題だとしか思っていなかったが、須藤は、人とその人を取り巻く環境との間にある障壁のことも障害だと言ったのだ。


「ここのスタッフは、その困り事をひとりひとり、ひとつずつ知っていって、その子に合った関わりをすることで、少しでも困り事が減るようにってサポートしてるの。そのためには、診断名よりも、実際のその子をよく見る必要があって」


 そこまで聞くと、紬希にはもう須藤の言わんとしていることがわかった気がした。

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