08-03 かけはし

 二人はひたすら牛乳パックの底を切り取っていた。

 牛乳パックは意外と固くて、何個も切っていると疲れで段々握力がなくなってくる。

 ハサミの持ち手も手に食い込んできて痛い。

 地味なくせに、とんでもない重労働だ。

 形状記憶みたいになってしまった手からハサミを引き剥がしてぷるぷる振りながら、紬希はちらりと優芽を見た。

 机の上には、紬希よりもたくさんのパックの底が積み上がり、なのに、疲れた素振りも見せず黙々と作業を続けている。

 自分の手についたハサミの型を意味もなく見下ろしながら、紬希は隣の部屋から聞こえてくる音に耳をそばだてた。


 明るいトーンの女の人の声、ときどき子どもの声。

 対して、二人のいる部屋はしーんとしている。

 小ぶりな教室のようなその部屋は、壁際に机や棚が置かれ、奥にはトイレもあった。

 棚の上にはいくつかカゴが置かれていて、それぞれにラミネート加工のカードが貼ってある。

 水筒のカードの貼られたカゴには水筒、というように、カードと物が対応するようになっているようだ。

 よく見ると部屋のいろんなところにカードが貼られていて、なぜだか小さな箱もぽつりぽつりと貼ってある。


 壁にはカードによる一日のスケジュール表も貼ってあって、壁とカードはマジックテープでくっつくようになっているようだ。

 スケジュール表はいくつかあって、それぞれ微妙に内容が異なっている。

 共通しているのは、どれも上の方のカードが外されたのか、マジックテープがむき出しになっているということだ。





 バスから降りて、少し歩いた先にあったのは、一軒の平屋だった。

 周りの普通の住宅街にとけ込むようにして建っており、遠く後ろには二人がさっきまでいたビル群が見える。

 平屋の壁には「児童発達支援施設かけはし」という看板がつけられていた。


「ここ……なの?」

「うん。頑張ろうね!」

 保育施設、じゃない。

 紬希はそのことに少し驚きつつも、電車の中で聞いた「とにかくスタッフは忙しくて、細々とした雑用をしてくれる人がいるとすごい助かるんだって!」という優芽の言葉のわけがわかった気がした。



 優芽は慣れた様子で平屋の裏にまわり、インターホンを押した。

 ややあって戸が開き、現れたのはどことなく佐藤先生と似た雰囲気の女性だった。

 ポロシャツ、チノパンに無地のエプロンを着ていて、後ろで髪の毛をひとつに結んでいる。

 背を向けて二人を迎え入れたときに、揺れる髪をまとめているのは何の飾りもないただのゴムなのが見えた。


「いつもありがとうね。そっちが久我紬希さん? 今日はよろしくね。スタッフの須藤です」

「いえ、こちらこそよろしくお願いしますっ!」


 新しいことを同時にふたつ頼むのは見込みが薄い。

 そう考えた優芽は今回、紬希を連れてくる許可をとっただけで、子どもと関わりたいということはまだ言っていないらしい。

 須藤に紬希の人柄が伝わった頃を見計らって頼んでみよう、というのが彼女の作戦だ。

「今日は二人いるからいつもの二倍働けますよ! 何すればいいですか?」



 中に案内されながら、紬希は「もし小さな子たちと関われることになったらどうしよう」と急激に不安になった。

 それが目的のはずなのに、彼女はそれがとても怖かった。

 自分には幼児との接し方なんてわからない。


 しかし、案内された部屋には子どもの姿すら見当たらなかった。 

「今日はまず牛乳パックの底を切り取ってもらっていい? 今度工作で使うの」

 指し示されたそこには、子ども用のちっちゃな机が四つくっつけられ、床置きされた段ボールの中には牛乳パックがぎっしり詰まっていた。

「任せてください!」

「机の上にハサミがあるからそれを使ってね。切った底はその箱の中に入れてもらって、余った側面はそっちの箱に入れといてもらえる? 荷物はあの辺に置いて」

 指示されてすぐに優芽がテキパキと動き出し、紬希もワンテンポ遅れてそれに続いた。

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