08-01 かけはし

 電車のドアが開くと、乗客たちは押し出されるようにホームへ流れ出た。

 優芽と紬希も流れに任せて駅に降り立ち、そこからはそそくさと脇に逃れて、ほっと息をついた。

 立ち止まった状態で落ち着いて顔を上げると、辺りは普段目にしないものであふれている。

 忙しく行き交う人々やひしめく背の高い建物。

 都会に来た実感がわき上がってきて、二人の胸は踊った。

「行こっか!」

 人の流れがエスカレーターやら階段やらに吸い込まれていったのを見計らって、二人も改札階を目指した。


 優芽の足取りには迷いがない。

 紬希は改札内の売店に目移りしつつ、迷子にならないよう懸命に後をついていった。

 ギリギリのラインでそれを両立させているというのに、若者やスーツ姿の社会人は無情にも優芽と紬希とのわずかな隙間を縫って歩こうとしてくる。

 それを阻止しようと、紬希は知らず知らず優芽との距離を縮めた。


 改札をくぐっても、優芽は歩き慣れた様子でどんどん進んでいった。

「どこに向かってるの?」

「バス乗り場!」

「えっ、駅周辺が目的地じゃないの!?」

 いまだに構内の売店に引き寄せられていた興味が、一気に吹き飛んだ。

「うん。ちょっと離れてる」

 そういうことは前もって言ってよ!

 心の中で慌てふためくと同時に、紬希は自分の浮かれ具合が恥ずかしくなった。

 完全に街に遊びに来た気分になっていたのだ。



 モルモルが易しい説明の仕方を覚えるには、例えば、小さい子と話す機会があったらいいかも。

 馬鹿げた提案に思われたが、それを聞いた優芽はすぐさま、この都会行きの用事に紬希を誘った。

 彼女は数学の佐藤先生の紹介で、先生の知り合いの元に月一でお手伝いに通っているらしい。

 そこには小さい子どもがいるのだと言う。

 ただし、任されているのは細々とした雑用で、子どもとしゃべれる保証はないらしかった。


 そこまで説明して、「一緒にボランティアやってもらうことになっちゃうけど、大丈夫?」と気づかうように優芽は聞いた。

「うん。行ってみる」

 紬希にはその返事しかできなかった。

 自分の提案から始まった誘いを、断ることなんてできないと思ったのだ。


 優芽はパッと顔を輝かせて、弾んだ口調で待ち合わせの時間と場所や、目指す駅の名前を話し始めた。

 一方、突然ボランティアなんていう敷居の高そうなものに参加することになり、紬希は不安でいっぱいになった。

 しかも、優芽のくれた情報には行き先の名前や、任される雑用の詳細などといった、紬希にとって大事な内容が抜けている。

 そもそも心配性の紬希には、普通の人なら聞かないようなことまで、前もって根掘り葉掘り聞いておきたい気持ちがあった。

 でもそれをすると優芽に緊張が伝わって、また気をつかわせてしまう。

 そう思うと、自分のこの気持ちは、どうしても隠し通さなければならないものに感じた。


 そんなわけで、紬希はバスに乗ることはもちろん、目的地の住所すら知らないままなのだった。

 電車の中で話すうちに、目的地の名前が「かけはし」ということは判明した。

 どうやら小学校にあがる前の子どもがいる保育施設らしい。

 その流れで「でもやるのは雑用ね」と念押しされ、普段どんな作業をしているのかも聞くことができた。

 優芽が話したのは本当に誰でもできる作業ばかりで、安心した紬希はようやく、友達と街に行くというシチュエーションを楽しみ始めた。

 いつしかすっかり不安を忘れるほどに。

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