第18話 運命の告白・前編


 夏休み最終日、8月31日の朝7時。


 あの飲酒事件の後も結局俺の記憶が戻る事は無かった。


 ただあれからは、あまり記憶を取り戻す為の作戦を実行したりはしなかった。


 純粋に三人での共同生活を楽しんだ。


 それは俺の記憶が戻っても戻らなくても、この生活は終わらせると、冬姉が言ったからかも知れない。

 

 残り少ない楽園のような時間を楽しもうという二人の気持ちの現れだったんだろう。


 ただし、今日だけは違う。


 今日は俺の誕生日、そして二人が俺に告白をしてくれる日だからだ。


 今日という日の為に、二人は色々準備をしてくれていたのを俺は知ってる。


 ──そう、まだ夢と現実の境目にいる俺の両隣に、二匹の動物が横たわるような準備をしてくれていた事を。


「にゃつ君、おはよーにゃ」

「おにーちゃん、っはよーん!」


 ……いや何の準備してんのこの人達。


 冬姉は猫の着ぐるみで……美亜は犬……?


 うん、頭まですっぽりフードを被ってそれぞれ特有の耳や尻尾をしてるし、間違いない。


「あれれ~?起きないよ~?」

「ならイタズラしちゃおっか~おねーちゃん!」

「にゃふふ……いいねぇ」


 ちょ、頬っぺたプニプニするの止めて。

 

 なにこれ、なんでこんな肉球の再現度高いの!?

 

「ほれほれ~起きないとこのまま夏君のことペロペロしちゃうよ~?」

「おほいねおねーひゃんっ(遅いねおねーちゃんっ)、あたひはもーくうぃふじなめてうよぉ~(あたしはもう首筋舐めてるよぉ~)」


 さっきから何かぬるぬるすると思ったらお前か!?


 や……こ、こしょばいっ!

 

 だが……このまましばらく眠ったフリをしてたら、次は何をしてくれるんだろ。


 ……ちょっと待ってみよ。


「……あれ、まだ起きないよ?」

「おにーちゃん~早く起きてよ~」

「もー何で今日に限ってこんな眠ってるのー!」

「しょーがないや、おねーちゃんあれ持ってきて」

「おっけー!」


 ん?何をするつもりだ?


 俺はうっすらと片目を開けて確認した。


 するとそこには包丁を持った冬姉が、俺の顔の上で笑顔を向けていた。


(え……!?殺される!?)


 思わず慌てて飛び起きる──


「ひゃぁ!?あ、危ないよ夏君!!」

 

 包丁の腹が俺の鼻先を擦りながら通り過ぎた。


 冬姉が間一髪包丁をずらせてくれなかったら、自分から突き刺さりに行ってたぞ……


「わ、悪い……じゃねーよ!何やってんの二人とも!?」


 冬姉と美亜はお互いに顔を見合わせた後、天井を指差した。


「このくす玉割ろうと思って!」

「あたしが紐用意するの忘れちゃってさ~」

「くす玉……?」


 俺が背伸びしたら指先が触れるくらいの高さの天井には、確かに紐の無いくす玉が取り付けられていた。


「さ、夏君。起きたなら自分で割ってよ!」


 冬姉は肉球の上に乗せた包丁を俺に差し出した。


 む、猟奇的な絵面なのにギャップが可愛く見える。

 これでケチャップで血を表現してたら、このバランスは無かったろう。


 俺は包丁を受け取り、くす玉の割れ目に切っ先を滑り込ませた。


『誕生日おめでとうーー!!!』


 その言葉と同時にパラパラと紙の花吹雪や、垂れ幕が落ちてくる。


 ……おい、垂れ幕に【祝・追放系主人公】と書かれてるぞ。


「どっちだ!?どっちが俺の事をこんな不名誉な呼び方をしたんだ!?」


 美亜が俺の指摘に両手を上げてとぼけやがった。


「さぁね~?記憶が戻れば分かるよ」

「も、戻らないから困って──」


 美亜は俺の言葉を遮るように、俺の腰に手を回して抱き付いてきた。


「大丈夫。きっと今日戻るよ。あたし達の想いが伝わればきっと」

「……そうだな」


 美亜達は話し合って、今日という日を告白に選んでくれた。


 二人がどんな話し合いをしたか俺は知らないが、蓋をした想いを打ち明けてくれる決意をしてくれたんだ。


 絶対その気持ちに応えたい。

 必ず今日、二人の笑顔を取り戻す。


「ちょっとー美亜だけずるいよ。私も夏君とぎゅーってしたい」

「おねーちゃんはこの前いっぱいしたんでしょ、我慢して」

「むむむー……」


 わんこの耳や尻尾をフリフリしながら冬姉を遠ざける美亜。

 や、やべぇ、こっちはこっちですげぇ可愛い。


 あ、そうだよ。この二人の服装を聞かないと。


「な、なぁ今日は何でまたコスプレ中なんだ?」

「ほら、三人で暮らし始めた時に効果あったじゃない?今日が最後だからね、やれる事は全部やろうと思って」

「……なるほど」


 ふむ、二人ともちゃんと考えてくれてたんだな。


「冬姉、美亜、ありがと。くす玉も。垂れ幕はあれだけど……気持ちはすげぇ嬉しい」


 冬姉は後ろで手を組んで、美亜は俺に抱き付いたまま見上げて声を揃えた。


『どういたしまして!』


 俺の良く知る笑顔を向けてくれる二人。


 でも俺が見たいのは、もっと脳裏に焼き付いて離れないような笑顔なんだ。


 それを見たことは無い筈なのに、無性にそう思ってしまう。


 その為にも、今日で決着をつけよう。


「よし、今日の予定を確認しようか──」


 こうして、俺の誕生日は最高の幕開けで始まりを迎えた。





「美亜ー準備出来たか?」

「ちょ、ちょっと待って!」

「ほらおいで美亜。私が後ろ上げてあげるから」

「う、うんお願い」


 時刻は夕方、17時半。


 俺達は少しお高めなディナーに向かう為にスマートカジュアルな服装に着替えていた。


 そういった服装を着なれていない美亜は苦戦を強いられている。

 だが、冬姉がドレスの背のジッパーを上げた所で準備が完了したようだ。


「ごめん、お待たせ!」


 美亜は濃い青色のくるぶし辺りまでの華麗なドレスワンピースを着用しており、その見事なスタイルは服の上からでもきっちりと窺える。


「夏君、お待たせ」


 冬姉の方は黒色のシックな、こちらもドレスワンピースを着ており、肩辺りのレースが冬姉の色気を引き立てている。


「待ってないさ。よし、そろそろ行こ──」


 ちなみに、俺はシンプルな黒のジャケットに細いスラックスだ。


 俺が玄関のドアを開けようと、ノブに手を掛けた時だった。


「夏君」

「お兄ちゃん」

「わっ!」


 二人の美少女が俺の両腕を取った。


 左側に冬姉が、そして右側に美亜が、少し頬を赤くしている。


「ちょ、二人とも?これで歩くつもり……?」

「両手に花だね夏君」

「あたし、絶対離さないから」


 それぞれ冬姉は意地悪に、美亜は頑なな笑みを浮かべている。


「……マジですか……」

『大マジです!!』


 顔ではやれやれといった顔を作ったが、内心はドキドキして仕方ないんだぞ……


 しかしいつまでもこうしている訳にはいかないので、俺達は冬姉がドアを開けて外へ出た。


 すると、美亜が俺の方を見ながら大人びた顔を見せた。


「お兄ちゃん、あたし成長したでしょ。もう外に出ても怖くないよ」

「え?あ、あぁそうだな」


 この時、成長という言葉に反応して美亜の胸元を凝視したのは内緒だ。


「……今どこ見てたの?」


 あ、バレてた。


「い、いやいや!? それで、成長ってどういう意味?」

「……絶対胸見てたじゃん。まぁいいや、ほら覚えてない?初めて会った時の事」

「……んー?」


 あーそういやあの時、美亜は結局ここから一歩出た所で倒れたんだよな。

 俺の細い腕で美亜をソファまで運ぶのは大変だった覚えがある。


「あぁ覚えてるよ。確かに成長したな、今日はリベンジって所か?」


 実は今日のディナー、顔合わせの時と同じ場所なのだ。

 そうか、だから美亜の奴成長したかなんて聞いて来たのか。


「リベンジ……そうだねそれもあるけど、今言いたかったのは別の事」

「そうなのか?」

「うん、お兄ちゃん──」


 美亜は俺の右腕に抱き付いたまま、少し涙を滲ませた。


「あたしを連れ出してくれてありがとう。今のあたしが居るのは全部お兄ちゃんのおかげだよ。告白、楽しみにしててねっ!」


 ……ヤバい、何か今泣きそうだ。


 美亜が高校に上がってからも、友達が出来るまで苦労してたのを俺は知ってるからな。

 

 だけど今泣くわけにはいかない。

 何せ涙を拭くことが出来ないからな。


 俺は根性で込み上げて来そうなものを飲み込み、歯を見せて笑い掛けてやった。


「美亜がそう思ってくれて俺も嬉しいよ。きちんと返事してやるから、そろそろ行こうぜ!」

「うんっ!」


 俺達がそうして歩き出そうとした時、左側が少し重い事に気付いた。


「冬姉……?」

「……ん、あ、ごめん行こっか!」

「あぁ……」


 どうも俺と一緒に外へ出ると冬姉は落ち着かないんだよな。


 まだアパートの階段も降りていないのに……

 

 青い顔でキョロキョロと周りを確認する為、少々歩きづらい。


 ……たぶん、冬姉もトラウマなんだ。


 今日、これも払拭出来る事を切に願う。


 頼むぞ、未来の俺──





「わわ……こんなちゃんとした所だったんだね……!」


 ホテルへと着き、レストランのテーブルに着いた俺達は、そわそわと周囲の高級な雰囲気に呑まれていた。


 俺達と言っても、俺と美亜だけだがな。


 さっきまで青い顔をしていた冬姉も、元通りの綺麗な冬姉に戻ってくれている。


「それにしても冬姉……ここ結構高かったよな……?」

「ふふっ、気にしないで。今日の為にバイト頑張ってたんだから!美亜の分は予想外の出費だったけど」

「ご、ごめんってば!」


 そうそう、冬姉は昨日を最後にバイトを辞めた。

 元々8月までで辞めるつもりだったらしいが……


 三人での共同生活が始まってからはあまり出勤している様子も無く、それまでにどれだけ詰めて入っていたんだよ……


 倒れた事もあったらしいし、本当何やってたんだよ俺は。


「……夏君?難しい顔して、本当にお金なら気にしなくて良いんだよ?」


 俺の顔を覗き込んだ冬姉は、整髪料で整えた俺の頭を優しく、ぽんぽんと撫でた。


「うん、ありがとな冬姉。バイト頑張ってくれて」

「もー!夏君ってば、そこは愛してる冬姉で良いんだよぉ~!義弟おとうとにお金を使うのも良い気分なんだから!」

「……冬姉は絶対ホストとかに行くなよ」


 俺達がそうして楽しくいつものやり取りをしていると、ウェイターが前菜となる料理を持って現れた。


 俺達三人の前に綺麗に並び終えた後、揃って手を合わせた。


『いただきますっ!』


 3種類ある前菜の一つ、サーモンを使った料理を食べようと箸を伸ばした時、視界の端に見覚えのある2組が映った。


「な、なぁあれって……」

「お兄ちゃんどしたの?」

「え、なに二人とも」


 俺が指差した方向には、シワの無いスーツを華麗に着こなした40後半くらいの男性と、スタイル抜群で見た目年齢不詳な女性が談笑していた。


『親父(お母さん)!?』


 つい大きな声を出してしまった俺達に、親父達が気付いた。


 まだ料理が来ていないらしく、周りの目も気にせず腕を組んで二人が近付いてきた。


「あらあら~三人とも揃ってどうしたの?」

「まさか同じ所を選ぶとはな」


 俺達を見下ろすように話し掛ける二人に、美亜が立ち上がった。


「二人とも何してるの!?」

「何って……普通に食事だけど……?」

「そう訝しむものかい?君達と同じ、ただのデートだよ」

「やだ克彦さんったら♡」

『……うげぇ……』


 俺達三人の声が重なった。


 冬姉や美亜も両親がイチャついてる所を見るのは、相当にきついらしい。


「な、なんだ揃って。良いじゃないかたまには。全く……」


 俺達の反応に狼狽えた親父は、琴美さんの手を引いて席へ戻ろうとしてくれた。


「あ、そうだ夏焼君──」

「そうだった、夏焼──」


 親父と琴美さんは同時に振り返ると、俺に祝いの言葉をくれた。


『誕生日おめでとう』


 少し照れ臭かったが、俺は素直に礼を言うことにした。


「ありがとう」

「誕生日プレゼント、考えておいてね!」

「は、はい。また連絡します」

「それと──」


 琴美さんは親父から離れ、誰にも聞こえないよう俺の耳元で呟いた。


「──娘達の事、よろしくね♡」

「……!」


 そして俺が返事をする前に、去り際に言葉を残して琴美さんは離れていった。


「記憶、戻るといいわね」

「……はい」


 冬姉と美亜は頭にハテナマークが浮かびそうな顔をしている。


「お母さん、何だって?」

「あたしも気になる」


 俺は少しだけ笑ってはぐらかした。


「いや、ディナー楽しんでねってさ」

『……ふーん?』


 ……言えるかよ。今はまだ。


 血が繋がってなくても、あの人はやっぱり俺の母親だな。

 息子の考えてる事なんかお見通しか。


 琴美さんが母親になってくれたから、お袋との事を過去に出来た側面もある。


 琴美さんには感謝してる。

 俺との距離感を絶妙に保ってくれていたからな。


 まだ無意識の内にしこりはあるのかも知れない。


 それでも、いつか言えるだろうか。


 母さんと──


「夏君、次の料理来たよ!」

「ん、うまそうだな」


 その後俺達は食事を楽しみ、親父達よりも先に店を出た。

 後は、思い出いっぱいなあの家に帰って、一番大事なイベントを迎えるだけだ。


 この夏の集大成、俺が記憶を取り戻せるどうか──


 ──運命の告白が始まる。

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