第17話 あの時出来なかった告白を


「──夏君……」


 俺は冬姉の背中まで手を回し、自らの体に抱き寄せた。


 冬姉も続くように俺の背骨の方まで腕を伸ばした。


 お互いの心臓の鼓動が重なり合っている。


 激しくて今にもはち切れそうな鼓動。

 それでも、理性が残っている内に聞いておかなないといけない事がある。


 すぐ真横にある冬姉の耳元に口を近付ける。


「冬姉はいいのか……?こんな形でしてしまって……」

「……いいよ。私、夏君の為ならなんだってするって決めてるから」

「後悔はないんだな」

「……後悔──」


 冬姉は何か塞き止めていた気持ちの、ほんの少しを呟いた。


「……あるにはあるかな」

「……なに?」

「……怖くて言えない事。もうこの気持ちを言葉にする事はないかも知れない。本当は言いたい、言ってからしたかった。それでももう言えない事」


 冬姉の気持ち……


 夏休みの事を聞いた時からずっと気付いていた。美亜の気持ちだってな。


 だけど、俺はそれを聞く事が出来なかった。


 俺がこうなったせいで二人はその気持ちに蓋をしたから……


 その割にスキンシップが激しい気もするけどな。

 ただそれも俺の記憶を取り戻す為なんだろう。


 俺の為に頑張ってくれる二人の為にも、記憶を取り戻して二人の気持ちを、二人の口から聞きたい。


「それなら止めよう?俺はその気持ちを知りたいんだよ。今してしまえば、冬姉はそれを言ってはくれなくなっちゃうだろ?」

「……」


 冬姉の顔は見えない。

 ただ、俺を抱き締める力が少し強くなった。


「俺は知りたい。聞きたい。だから今は──」


 俺が着ているシャツが、ぐしゃっと強く握られる。

 徐々に震え出していた冬姉の横顔からは涙が流れていた。


「それじゃダメなの……!!!」


 俺の肩に冷たい感触が生まれる。


「私のせいで……夏君がこうなったのにっ……また言ってしまえば、同じ事になっちゃう……!!」

「……ならないって。教えてくれた事故なんかそうそう起こってたまるか」

「だけどっ……!!!」


 俺は冬姉の腕を解き、正面で向き合った。


「……夏君……?」

「……目閉じて」

「え……!?」


 冬姉の薄い金色の前髪を掻き上げ、そのひたいにちょん、とキスをした。


「にゃふっ……!?」

「……唇には……記憶を取り戻してからな」


 冬姉は自分の額を両手で押さえ、耳まで赤くした。


 俺はすっかりぐしゃぐしゃになった冬姉の顔に手を添える。


「……言葉にするのは怖いよな。俺もそうだった。俺と冬姉の怖いは意味が違うと思うけど、本質は同じなんだ──」


 相手の気持ちを知りたいなら、先に自分から言うべきだと思った。

 

 そうだな……良し。

 先輩から冬姉になってしまって以来、出来ずにいた事をしよう。


 目を合わせて、少し微笑みながらあの時・・・出来なかった告白を。


「俺は冬姉の事が好きだよ、大好きだ。愛してる。記憶を失う前の俺は、きっと今以上に」


 ──そして、たぶん同じように美亜の事も。


「だから俺は二人の口から聞きたいんだ。俺の事をどう思ってくれているかを」


 冬姉は俺の告白に一瞬驚いたような顔をした後、泣きながら俺の胸を限りなく弱い拳で叩いた。


「……言えないっ、言っちゃダメなの!……それに私、嬉しくてもうこのままで良いって思っちゃうって……!」


 ポカ、ポカ、と2発お見舞いしてくれた冬姉を再び抱き締める。


「それは困る。俺は二人の笑顔を取り戻したいんだから」

「……ばかっ……」

「そりゃ冬姉に比べたらな。俺はさ、二人には心から笑ってて欲しいんだよ。最高に可愛い二人にはさ」

「だったらもうあんな無茶しないで……!夏君のばかっ……ばかっ……!!私なんか助けなくていいのっ!!」

「そんな訳にいくか。何度同じ事があっても俺は同じ選択をするよ」

「……っ!」


 冬姉は俺の言葉に何か諦めたような顔を見せた。


 力の抜けた様子で、俺の胸の上に額を押し当てた。


「……夏君……さっきの言葉、嘘じゃない……?」

「あぁ。何度だって俺は冬姉を守るよ」

「……そっちじゃない。それも嬉しいけど……わ、私の事を……」


 そこで言葉を切った冬姉は、額を押し付ける力を強くした。


 もじもじしてるのだろうか。すっげぇ可愛い。


 俺はぐりぐりし始めた冬姉の頭を優しく撫でた。


「──愛してる」

「っ! ……ずるいよ。全く……」

「冬姉……?」


 冬姉は俺の体から離れ、ベッドで座る俺を見下ろした。


 そして、何処か懐かしく感じる言葉を呟いた。


「……夏君、お願い・・・

「……うん」


 俺は素直に頷いた。


 許されていないから。

 異論反論、その一切を。


 冬姉は少しだけ美亜の方を見た後、視線を俺の方に戻した。


 そして泣き腫らした目で、真っ赤に染めた頬で、俺の大好きな笑顔で──


「──私達からの告白を聞いて下さい」


 そう言った冬姉は、俺に右手を差し出した。


 俺はそれに左手を重ねて立ち上がった。


「あぁ、待ってる。お願い・・・、なら断れないからな。俺は」

「……!」


 何か懐かしむような顔をした後、冬姉はその後ニコッと笑った。


「夏君、覚悟しててね。中途半端な答えは許さないから」


 まるで俺が記憶を取り戻すのを確信しているかのようなその言い方に、俺は苦笑いするしかなかった。


「……答えは記憶を失う前の俺が知ってることだからなぁ」

「相変わらずヘタレだねぇ。そこはもう答えは決まってるって言った後、抱きしめてキスでしょ?」

「お、おでこにはしてやったろ?」

「まぁね~。さてと、じゃあ私達もそろそろ寝よっか!」

「そ……そうだな」


 立ったまま見つめ合ったていた俺達は、やがて距離を取り就寝の準備をし始めた。


 少なくとも俺は離れたつもりでいた。


 小さなテーブルを片付け敷布団を敷こうと腰を屈めた時だった。


 ──布団を持った俺の両手に冬姉の両手が重なった。


 それに気付いた俺が視線を上げると、冬姉の潤んだ瞳が零距離でそこにあった。


 自分が何をされているのか、考えるまでもない。


 俺はそれを冬姉の顔が離れてから言葉にした。


「……キ、キス!?」

「へへ……ごめんね──」


 悪戯な笑みがよく似合う小悪魔は、俺に背を向けた後僅かに横顔だけを見せた。


「──我慢できなかった♡」


 そして舌先をチロっと出して洗面場へと消えて行った。


 自分の唇を押さえながら、俺が抱いた感想はこうだ。


「……接触禁止令とは……?」





 アパートのベランダで、俺はとある相手に電話を掛けていた。


 何度かコール音がしてから、その相手が電話に出てくれた。


「もしもし?親父か?」

『……あぁ、どうした?』


 俺はあの後結局なかなか眠れず、こうしてベランダで涼みに来ていた。


 丁度良いし起きてたら話しておきたい事もあったので親父に電話したのだ。


「今大丈夫だったか?」

『あ、あぁ。大丈夫だ、それで?なんだ?』


 ……んだよ、歯切れわりぃな。

 時間も深夜0時半だし、無理なら無理って言えば良いのに。


「……何かあるなら別に急ぎの用じゃないぞ?」

『いや、すまん何もない。用件があるなら聞くぞ』

「……なら良いけど」


 俺は「それでなんだけどさ」と続けた。


「接触禁止令さ、もう無くしてもいいか?ほとんど意味ないっていうか何というか……」


 俺が言いたかったのはこれだけだったんだよなぁ。

 何かあったのなら、こんな時間に悪い事をした気がする。


 ……が、俺はそんな風に何でもない事を聞いたつもりだったのだが、どうやらそれは浅慮だったらしい。


『──お前!今度は二人に手を出したのか!?』

「どうしてそうなる!?」


 い、いや俺が美亜にしたらしい事を考えれば当然か……しくったな……


 しかし、親父は電話口という事もあり、あまり追及はしてこなかった。


『……はぁ……まぁ、構わん。どうせその内解除するつもりだったしな』

「……それなら何で接触禁止なんて言ったんだよ……」

『分からないのか?』

「……?」


 俺が少し考える為に黙っていると、親父は俺を待たずに続きを口にした。


あいつ・・・との事を想起して、また記憶に蓋をしてはな、と思ったんだよ』


 あいつ──お袋の事か。


 ったく、いつまでも心配しやがって。

 ……まぁ感謝はしてるけどさ。


「心配しすぎだよ。俺ももう高校生だぞ?何年前の事だと思ってんだよ」

『何年経とうと変わらんさ。親ってのはそういうもんだ』

「……今は別に何とも思ってないさ。あれがあったおかげで冬姉や美亜と今こうしてられるんだから」

『……』


 今度は親父が黙ってしまった。


 おかげで耳元に当てているスマホからは、ノイズが流れるばかりだ。


 数秒そうしていると、やや重たい声が聞こえてきた。


『……お前は決めたのか?冬美ちゃんと美亜ちゃん、どちらを選ぶのかを。二人の気持ちは分かっているんだろう?』


 親父に──いや、親父と琴美さんにとっても大事な事だもんな。


 俺ははぐらかすように答えた。


「……記憶が戻ってない俺には決めきれないよ。でも、記憶が戻っても戻らなくても、答えは変わらない気がする」

『……一応言っておくが、両方を選ばない事だって出来るんだ。あまり心に負担を掛けるなよ』

「分かってる。ありがとな」


 本当、親父には心配掛けてばかりだな。


 それでも俺は二人のどちらも選ばないなんて選択肢は取らないつもりだ。


 危うく選べないルートに突入する所だったけどな。


 きちんとどんな選択も選べるんだ、二人の気持ちにきちんと向き合った答えを出したい。


 それこそ、どちらかを傷付けたとしても。


『……覚悟は出来てるみたいだな』

「親父にぶっ飛ばされる覚悟ならさっき出来たよ」

『私だけだといいがな』

「……どうだろうな」


 親父はそれ以上を聞いては来なかった。


 俺も、親相手にこれ以上恋愛相談なんかしたく無かったので、そろそろ電話を切ろうとした時だった──


『克彦さーんまだかしら?♡お仕事のお話?』

『こ、琴美さん……!いや、違うけれども……』


 電話口の奥から琴美さんの声が聞こえてくる。


 それ自体はおかしな事ではないのだが、何故だろう……妙になまめかしいような……


 耳を澄ましていると、段々と足音が近付く音が聞こえる。


『あ、ちょっと待ってくれ──』

『あらぁ?夏焼君だったのね!こんばんは~そっちはどう?楽しんでる?』


 スマホの画面を見たのだろうか、相手が俺だと気付いた琴美さんは無邪気に話し掛けてきた。


 なんだ……?酔ってるのか……??


「は、はい。二人のおかげで楽しいですよ!そちらはどうですか?」


 俺は……この時程浅はかな質問をした自分を殴りたいと思った事はない。


 琴美さんはテンション高めで矢継ぎ早に捲し立てた。


『それがね夏焼君!克彦さんったら新婚さんみたいだねとか言って張り切っちゃって!私達もいい年齢なのに──』


 ……俺はそこで電話を切った。


 出来る事ならばもう一度記憶を失いたい。


 俺にそう思わせるには十分なダメージを琴美さんは与えていった。


 電話を切ってすぐ布団に戻ったのだが、眠りにつきたいのに俺の胸には、気味の悪いモヤモヤが溜まっていっていた。


 やはり眠りにつく事は出来ず、ベランダに戻った俺は、それを咆哮として解き放った。


「両親の性事情を聞かされるとか勘弁してくれーーーーー!!!!!」


 ──そして明くる朝。


「夏君、お隣さんとかから夜中にうるさいって苦情が来てるんだけど……」

「すみません……」

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