第13話 美亜のお見舞い
8月16日の午前10時。
……何か懐かしい夢を見ていた気がする。
目覚めるとベッドに背を丸めて腰掛けている美亜が居た。
私が起きた事に気が付いたのか、振り返って挨拶をくれる。
「おはようお姉ちゃん。目、腫れてるよ」
「おはよ~……美亜こそ」
「あ、やっぱり?でも良いや、どうせまた泣かされるし」
「……そうだね」
私達は一瞬俯いた後、覚悟を決めて立ち上がった。
──夏君の記憶と向き合う覚悟を。
階段を降りてリビングへ向かい、両親に挨拶をすると、まだ実家に居た頃の光景があった。
夏君だけが居ない光景が。
お義父さんがコーヒーを飲んでいて、お母さんが朝のニュースを見ながらトーストを食べている。
美亜が私の後ろからひょこっと出て来て、空いている椅子に座る。
そして私が美亜の向かいに座ると、皆よりも遅れて夏君がやって来るんだよね。
夏君は決まって美亜の隣に座ってたっけ。
……思い出したら少し腹が立ってきた。
私が眉を寄せて椅子に座ると、お母さんが私の隣にやって来た。
「冬美、美亜。後で夏焼君の所に行くけど、克彦さんから一つ提案があるそうよ」
何か含みを持たせた言葉に、私と美亜はお義父さんの方を向いた。
「今日、私と琴美さんは夏焼と面会をしない。全ての時間を君達に渡そう。ゆっくり話したい事もあるだろうからね」
お義父さんは凄く優しい顔をしていた。
……ありがとう、二人共。
二人の笑顔を見て、美亜が立ち上がった。
「お義父さん、お母さん、ほんとにありがとう。面会時間ってどれくらいなの?」
美亜の質問にお母さんが答えた。
「検査が多いみたいだがら、13時から15時までの2時間よ。一人ずつ分け合っても良いし、二人で一緒でも良いわよ」
「どうする?お姉ちゃん」
「そりゃあ決まってるでしょ?」
「そうだね──」
私と美亜は互いに見つめ合った。
「あたしが先ね!」
「今度こそ私にも回してね」
「約束する」
「決まりだな。なら二人共、それまでゆっくりしておきなさい。昨日の疲れが顔に出ているよ」
『うん!』
※
訳が分からない。
俺からしたら至って健康体だというのに、検査検査で一向に休まる時がない。
それにしたってこんな事あるか?
目が覚めたら知らない天井で、挙句夏休みがもう半分以上終わってるなんて……
帰って来てくれ俺の夏休み!!
なんで人生にはセーブとリロードが無いんだ!!
──ズキンッ
何か……電流のようなものが頭の中を
昨日目が覚めてからこれで3回目だ。
1度目は美亜を見た時。
美亜は俺の義妹だ。
義理とは言え別に特別な感情なんて無い。
なのに、何だろう……このモヤモヤ感は。
そして2度目は今朝起きた時。
目覚めた俺には何かやらなくちゃいけない事があったような気がする。
それは何よりも大切な
──何も分からない。何も思い出せない。
……ただ一つ分かっているのは、俺がこんな状態になったせいで冬姉と美亜に、そして親父と琴美さんにえらく心配を掛けているという事。
一応事情は知ってる。
医者との問答の中で、俺が約3週間近い記憶を失ってしまっている事は分かった。
そのきっかけに交通事故に遭った事も。
頭部の出血も酷くはなく、奇跡的なまでに衝撃を外に逃がせていたらしい。
……殴られるのには慣れてたからかな。
そういや、何やら冬姉を守ったんだってな。
やるじゃん過去の俺。
ただ何だって忘れさせたんだよ。
これじゃ三週間フレン──三週間シスターズ。だよ。語呂悪ぃな。
MRI室に入っている間、こうやって脳を整理するくらいしかやる事がなかった。
しかしどうやらそれも終わりのようだ。
「夏焼君、お疲れ様。そろそろ面会時間だから病室に戻って良いよ」
「は、はぁ……」
そうして俺は看護師に体を起こして貰い、病室へと戻った。
やる事もないのでベッドに寝転ぶ。
視線が上に定まる。
そうそう、さっきトイレに行った時に俺の息子が大人仕様に──
……なんで?
なんで俺は日記を書いてなかったんだよ……
くだらない事を考えながら、しばらくゆっくりと天井のシミを眺めていた。
すると個室の病室のドアがノックされた。
『……お兄ちゃん』
「! 美亜か?入って来いよ!」
『うん……!』
ガラガラガラ、と開かれたドアの向こうには少し元気の無い美亜が居た。
……俺のせい……なんだろうな。
美亜はゆっくりとスリッパを擦りながら、俺の隣にある椅子に座った。
「美亜、お前だけか?親父達は?」
「今日はね……あたしとお姉ちゃんだけだよ。お義父さん達が時間をくれたんだ」
「……その冬姉はどこに?」
「1時間後にあたしと交代するよ。……お姉ちゃんの事、気になるの?」
「い、いや別に……」
「……」
美亜は真っ直ぐに俺の瞳を見つめている。
さぁ……この後美亜が何を口にするのか……
昨日の晩、家族の皆にどういう振る舞いをするか散々考えた。
結論、皆に心配を掛けないようにするには、少しでも記憶を取り戻している所を見せる他ない。
ただこれには少しの会話から多くの情報を得る必要がある。
──もう昨日みたいな二人の悲しい顔を見たくないからな、やってやる。
「ねぇお兄ちゃん、聞きたい事があるの」
来たな。
一体何を聞かれるのか。
美亜が問うならこんな感じか?
──本当に全部忘れちゃったの?
──あたしとの約束、覚えてない?
──彼氏出来たんだけどまた紹介していい?
最後のは割とありそうじゃないかな。
美亜も高校に入ってその可愛さに磨きが掛かってたし。
一応どの質問が来ても答える準備は整ってる。
よし、来いや──
「お兄ちゃんさ、お尻とおっぱいどっちが好き?」
「おっぱいです」
──僕はキメ顔でそう言った。
※
【美亜のお見舞い】
「おっぱいです」
良し。まずは一安心。
即答されるとは思って無かったけどね。
お兄ちゃんはキメ顔を作った後、我に返って質問の意図を聞いてきた。
「……いや今のどういう意味?」
「お兄ちゃんの性欲チェック。おっぱい星人のお兄ちゃんがお尻なんて答えてたらもう手の施しようが無いからね」
「何て失礼な。大体お前に俺の性欲の有無を聞かれる意味が──」
急に顎に手を当てて何か考え出しちゃった。
丁度良いや。
覚悟はしてたけど、あたしも少し心を整える時間が欲しい。
……かなり爆弾発言をしてる筈なのに、動揺が全然無い。
もう懐かしいね。
今、お兄ちゃんの心にあたしは居ない。
事故に遭う前のお兄ちゃんなら少なくともさっきとは違ったリアクションをくれた筈なんだ。
──なに、美亜のおっぱい触らせてくれるのん?
とかね!
……いやないか。あったらいいっていうあたしの願望かも。
だけど……少なくともあんな……あたしに興味の無い反応は来ない。
対面してつくづく実感する。
「み、美亜……?何か元気無いぞ……?」
「あ……ごめん大丈夫だから気にしないで」
「そうか……?」
お兄ちゃんは少し苦い顔をした後、あたしの顔を覗き込むように見つめた。
や、やだ……照れる。
「なぁ美亜。俺、少しは覚えてる事があるんだぜ」
「え!ほんと!?」
もしかして全部は忘れて無かったのかな!?
お兄ちゃんは何かあたしの表情を探るように言葉を紡ぎ出した。
「あ、あぁ!俺はこの夏休み、お前の裸を見たんだ!」
「! お兄ちゃん、ほんとに覚えてるの!?」
あたしが思わずお兄ちゃんに乗り掛かると、仰け反った後口元で何かをボソッと呟いていた。
「お、おぉ……本当に当たってた……何やってんだ俺……」
「え、なんて?てかてか!後は後は!?他には覚えてない!?」
「え、えぇと後は……」
視線をあたしから外したお兄ちゃんは段々と慌て始めていた。
「そう!後はそれを見られて親父にぶっ飛ばされたんだ!あーいやぁあれは痛かったなぁー」
「……そう」
「どうだ!意外と覚えてるだろ!だからそんな落ち込むなって!俺は元気な美亜の方が好きだぞ!」
……好き、ね。
お兄ちゃんはあたし達に元気が無いのは、自分が記憶を失ってしまったからだと気付いたんだろう。
だからある程度は記憶がある、もしくは戻った演技をしてくれている。
あたし達に元気になって欲しくて。
……変わらないね、お兄ちゃんは。
だけど──
「お兄ちゃん、無理しなくていいよ」
「え?い、いや俺は本当に──」
「お兄ちゃんはね、お義父さんに殴られてなんか無い。家を追い出されたんだよ」
──その優しさは今、あまりに残酷過ぎる。
「……ハハ……そうか……本当に、何やったんだよ俺……」
「……知りたい?」
お兄ちゃんは少しも迷う事なく答えた。
「あぁ。俺は二人の笑顔を取り戻したい」
「……!」
ヤバい。泣きそうだ。
その真っ直ぐな視線が、あたしを一人の女の子として好きだと言ってくれた、あの瞳と重なる。
声が震えそうになりながらも、あたしはお兄ちゃんを優しく抱き締めた。
「……ありがとう。その言葉だけで今は十分だよ。何があったかは今は秘密にしとく」
「ど、どうして!?」
「……言えない……よっ……!!」
「……美亜……?」
やっぱりダメだった。
お兄ちゃんの肩の上で、涙が次から次へと溢れてくる。
「……あたしのっ……せい、なのに……これ以上お兄ちゃんに負担を掛けられないっ……!!」
「負担だなんて思ってない!」
「ごめん……!!」
「美亜っ!!」
あたしは思わずお兄ちゃんから離れ、病室から出てしまった。
お兄ちゃんがあたしを追おうとする前に、病室のドアを閉めた。
そしてドアの横から伸びる影に気付く。
「まだ30分くらい残ってるけど」
「……お姉ちゃん……無理だったよぉ……」
「……美亜はよく頑張ったよ。夏君を見てすぐに泣かなかったんだもん……」
お姉ちゃんはあたしの背に手を伸ばして抱き締めてくれた。
それがありがたくもあり、同時に悔しさも込み上げてきた。
それを言ってはいけないと分かってる。
だけどお兄ちゃんを想う心が、あたしの醜い部分をさらけ出す。
「お姉ちゃんは良いよね……!お兄ちゃんにまだ好きって言えるもんっ!」
「……そんな事ないよ」
「あるもん!!こんな……こんな事になるなら、
「……私だって一緒だよ、美亜」
「どこが──」
あたしから少し体を離したお姉ちゃんの顔を見る。
「夏君に命を救われてさ、心に負担を掛けさせてさ。ずっと震えが止まらないんだ……」
──お姉ちゃんは笑顔のまま泣いていた。
「──こんな私がもう夏君に告白なんて出来る筈ないよ」
「お姉ちゃん……」
そうか……責任を感じてしまってるのはお姉ちゃんも一緒なんだ……
なら、お姉ちゃんはお兄ちゃんと話してどうするんだろう……
お姉ちゃんは涙を拭った後、病室のドアに手を掛けた。
「美亜……私はやっぱり夏君に記憶を取り戻して欲しいって思っちゃった。夏君は私の
「そ、それは……」
「うん……夏君の心にまた負担を掛ける事になる。だけど夏君自身が言ったんだよ」
お兄ちゃんは言った。
──二人の笑顔を取り戻したい、と。
「……そうだね。お姉ちゃん、お兄ちゃんを
「ふふっ、妹にそう言われたら断れないね」
……お姉ちゃんがこの後どうするか、あたしには分かる。
──今度はあたしも。
「それじゃ、行ってくる」
「うんっ……!」
そうしてお姉ちゃんは、お兄ちゃんの元へと向かった。
その横顔に涙を滲ませながら。
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