第11話 私達のお家に


「冬美ちゃん!美亜ちゃん!夏焼の容態は!?」


 お義父とうさんとお母さんが病院の待合室に走ってやって来た。

 

 私は医師から伝えられた事を二人に告げた。


「……夏君、命に別状は無いって。意識も取り戻したらしいよ。ただ頭を強く打ったみたいで、今精密検査中……」

「そうか……一先ず安心は出来そうか」

「良かったわ……」


 お義父さんとお母さんは安堵の表情を浮かべている。

 命の危険は無い、それだけでも今はとにかく良かった。


 私の隣で座っていた美亜は、椅子に座ってずっと落ち込んでいる。


「……あたしがあの時、お兄ちゃんを止めてたら……」

「……美亜、私が悪いの。夏君に怒られたばっかりなのに……フラついて車にも気付かず……」


 段々と涙が溜まっていくのに気付いた。

 美亜も同じように肩を震わせている。


 そんな私達の背中に、お義父さんがそっと手を添えてくれた。


「君達は何も悪くないさ。電話口で聞いた話だと悪いのは運転手だよ。飲酒運転だって?万死に値する行為だ」

「……でもっ……私が夏君と暮らしてなかったらこんな事にはっ……!」

「それを認めたのは私だし、あの時点でこうなると予想出来る訳がない。むしろ冬美ちゃんが無事じゃ済まなかったかも知れない。私は君を守った夏焼を誇りに思うさ」

「……お義父さん……」


 お義父さんは次に美亜の方を見た。


「美亜ちゃんも。あまり気に病んでも仕方ない。何があっても後悔はしない、そう約束しただろう?」

「……うんっ……!」

「夏焼や君達をこんな目に合わせた運転手には、私がきっちりと落とし前を付けさせてやるから、安心しなさい」


 お義父さん……実の息子が事故にあって自分が一番辛い筈なのに……


 本当にごめんなさい。そしてありがとう……!

 

 そうして私達が少し落ち着いた時、病院の奥の方から看護師さんがやって来た。


「ご家族様、皆様お揃いですか?検査も一旦終わりましたので少しですが面会時間を設けました。良ければこちらへ」


 私達は夏君がいる病室へ、看護師さんの後ろを付いて歩いた。


 その途中──


「お父様はすみませんが医師からの説明がありますので、あちらの看護師に付いて行って貰えますか?」

「分かりました」


 そして私と美亜、お母さんの3人で夏君の病室のドアを開けた。

 そこには頭に包帯を巻いた、笑顔の夏君が居た。


「おぉ!冬姉!美亜と琴美さんも!悪いな心配掛けたみたい……で──」


 私と美亜は思わず駆け出していた。

 個室の病室だったので、人の目も気にする必要はない。


 後ろでお母さんが少し笑っていた気がする。


「夏君!!」

「お兄ちゃんっ!!!」

「ちょ、二人共痛いって!」


 良かった……!

 ちゃんと生きてる、動いてる……!


 もう二度と会えないかも知れないとさえ思ったんだよ……!


「ふ、二人共!琴美さんも見てるし……そろそろ離れてくれない……?」


 それでも私と美亜は夏君から離れる事が出来なかった。

 ずっと涙を流して抱き付いている。

 

 しばらくそうしていると、それを見かねたお母さんが私達二人の肩を叩いた。


「ほら二人共、夏焼君が困ってるでしょう。ごめんなさいね夏焼君。無事で良かったわ」

「え、えぇ……でも俺は何が何だか……」


 どうやら夏君は事故前後の記憶が無いらしい。


 こういう事はよくあるらしいと、テレビとかで見た事がある。


 でも外傷は頭部の出血だけみたいだし、これなら明日にでも退院出来そうだね。

 

 本当に良かった……


 私は夏君の手を取って、涙で腫れた目でも頑張って笑顔を作った。


「夏君……早く元気になって、私達のお家に帰ろ?」


 私の言葉に夏君はきょとん、という顔をした。


「え?冬姉一人暮らしだろ?なに、実家に戻って来たのか?」

『……え?』





「皆よく聞いてくれ……夏焼は部分的にだが記憶を失っているみたいだ……」


 私達は先程の待合室で、医師から説明を受けたお義父さんの話を聞いている。


 そしてその話は私達にとって、到底受け入れられるものじゃなかった。


「医師によると、7月後半から今日に至るまでの記憶らしい……聞かれたよ。ここ最近ストレスを感じる、もしくは過去のトラウマを想起させる生活をしていなかったか、とね」

『!』

「……色々あったのは事実だ。そしてそれを夏焼は全て忘れてしまった……」


 ……すぐには、答える事が出来なかった。


 だってそれって──


「……あ……あたしのせいで……お兄ちゃんが……?」


 美亜が自分で自分の肩を抱いて、体全体を震わせている。

 でも美亜だけのせいじゃない。


「私も……私が夏君の心に無理を強いちゃったせいだ……!」


 ──つまり、私達二人が夏君にとって忘れたくなる程の思い出を作ってしまった。


 私達は夏君にトラウマを──


「違う」

『……!』


 お義父さんは短く答え、そして優しく私達の頭に手を置いた。


「夏焼が君達と過ごした日々を忘れたいと思っている訳がない。過去が遠因となっているなら全ては私の責任だ」


 どういう事なのか……私と美亜は顔を見合わせて疑問を口にした。


「お義父さん……それってどういう意味……?」

「……あたしも知りたい」

「……そうだね、ただあまり多くを語る事じゃない。簡潔に伝えよう」


 お義父さんはそう言って、お母さんの顔を見た後、私達に夏君が抱えていたトラウマを教えてくれた。


「私が前妻と別れた理由がね、直接あいつのトラウマなんだ」

『……?』

「……夏焼はね、実の母親から虐待を受けていた」


 そう言った後、お母さんがそっと目を伏せた。

 ……知ってたんだね。


「それには暴行だけじゃない、軽度だったらしいが性的なものも含まれていた。まだ小学生で、しかも実の息子なのにそんな欲が湧くのか?そう思う人も居るが、現実は残酷だ」


 私達はそのまま、黙ってお義父さんの話を聞いた。


「私がそれに気付いてすぐ、前妻と夏焼を引き離した。そう、美亜ちゃんの時のようにね」

『!』


 ……お義父さんが遠因が自分にあると言った理由が少し分かった気がする。


「……君達は私をお義父とうさんと呼んでくれるね。だが、あいつは琴美さんをお義母かあさんとは呼ばない……恐らく母親という存在にまだわだかまりがあるんだろう……再婚も、あいつが後押ししてくれたから踏み切れた程に慎重だった」


 知らなかった……

 でもそれなら、夏君は──


 私が思った事を美亜が口にした。


「……お兄ちゃんは……あたしとの事を重ねちゃったんじゃ……」

「……少し重なる部分はあったかも知れない。そもそも君達を引き離したのも、義理とは言え兄妹というのが大前提だが、夏焼自身の為でもあった」

「……ごめんなさい……」


 お義父さんは美亜の謝罪に、首を横に振った。


「それは私の早計だった。丁度冬美ちゃん、君が倒れた時だったか……夏焼と電話したんだ。あいつ、なんて言ったと思う?」


 私と美亜は想像もつかなかったので、お義父さんの顔を見て言葉を待った。


「"今が楽しい、冬姉と美亜のおかげで最高の夏休みだ"だとさ。全く、美亜ちゃんに手を出しておいて不謹慎なバカ息子だ」


 お義父さんは「しかし……」と続けた。


「分かるだろう?夏焼は君達との出来事に何一つ不満は持っていない」


 ──涙が、溢れてくる。


「母親との出来事が無ければ、君達との事に僅かでもトラウマを感じる事は無かっただろう。遅かれ早かれ私は前妻とは別れていただろうし……これは私の責任だ。あいつを守ってやれなかった私のね……」


 夏君……そんな事一度だって言ってくれた事は無かった。

 でも……初めて出会ったあの日、確かに夏君は何か心に傷を負っていた。

 

 あの時・・・、自分の事ばっかりで……全部聞いておけば良かった。私はいっつも遅すぎる……


「医師からはね、無理に記憶を思い出させる事はしない方がいいと言われたよ。失ったとは言え僅か数週間……日常生活を送るのに不自由は無いだろうし、思い出したくない記憶なのではないか?とね」 

『……』


 ……下を向いてしまう。

 お義父さんはそんな私達の目を真っ直ぐ見つめてくれた。


「だけどね色々あったこの数週間、夏焼がどう思っていたか……それは君達の方が知っている筈だ」


 ……夏君がどう思っていたか……


「明日、もう一度あいつと話してみなさい。今後どうするかはその後に決めよう」


 それはつまり、夏君を私の家から実家へと戻すかどうか。

 

 そして夏君とのこれからの接し方を決めるという事だ。


 夏君が美亜との事を忘れてしまったのなら、二人を別々にしておく理由は……まぁこれは美亜次第か。


 後は夏君が私達との事に過去のトラウマを思い出してしまったのか、ここが一番重要なファクター。


 記憶の無い今の夏君に、それを確認するのは無理だと思う。

 だから夏君の記憶を取り戻す方法を考えるべきかまだ分からない……


 だけどまずは一つ確認しておきたい事がある……!


 美亜も同じように考えたんだね。

 さっきと違って決意を秘めた顔をしてる。


 お義父さんは私達の表情を見て少し口角を上げた。


「いい顔だ。さて、今は一旦帰ろうか。冬美ちゃんも今日はこっちに帰っておいで。今の君を一人にするのは心配だ」

「……うん。ありがとうお義父さん」


 私達は病院を出て、家に帰った。

 病院を離れる間際、夏君がいるであろう病室を見上げてしまう。


 ──待っててね、夏君……!



 

 私は自分のベッドをアパートに持って行ってしまったので、ベッドの残っている夏君の部屋で寝る事になった。


「……夏君の匂いがする……」


 物の少ない部屋。

 だけど確かに愛しい彼の存在を感じられる。


 部屋に残る夏君の面影が、病院で固めた筈の心を微かに揺らし始める。


 私はうつ伏せでベッドに飛び込んで、思い切り夏君のタオルケットを抱き締めた。


「……ごめんね夏君……!」


 タオルケットに私の涙が染み込んでいく。


 お義父さんは私達に責任は無いと言ってくれた。


 だけど……!


 一度夏君に迷惑を掛けたのに無茶して、その結果がこれだ。

 私に責任が無い筈が無い。


 もしもこれで夏君が一生歩けなくなってたら?

 もしもこれで夏君が一生寝たきりになってたら?


 ──もしもこれで夏君が死んでしまってたら?


 ……怖くて震えが止まらない。


 私と一緒に居たせいで、夏君が事故に遭ってしまったのは疑いようの無い事実だ。


 こんな私がもう夏君に──


「……お姉ちゃん」


 ドアの前から美亜の声がする。

 

 私は涙を拭って、声が震えないように返事をした。


「ど、どうしたの?」

「……一緒に寝てもいい……?」

「……おいで」


 ドアを開け、美亜がベッドで寝ている私の横に来る。

 美亜は入って来た時から涙を流していた。


「……お姉ちゃん……あたし……怖くて眠れない……」


 私は美亜をぎゅっと優しく抱き締めた。


「……私もだよ」

「……お兄ちゃん、あたしのせいで記憶が……!」


 美亜を安心させてあげたくて、少し声を明るくして、頭を撫でた。


「お義父さんも言ってたでしょ。美亜のせいじゃないよ。それに夏君も夏君だよ。母親の方じゃなくて私達の方を忘れるなんてさ」

「……お兄ちゃん……この夏休みの事、全部忘れちゃったんだよね……」


 夏君が忘れてしまったのは、7月後半から今日までの2週間ちょっと。


 ……美亜が夏君と深い関係を持って、私とは内緒の関係が始まった。

 

 毎朝が本当に楽しみで、凄くドキドキしてた。

 夏君もいっぱいドキドキしてくれてたのを私は知ってる。半目で見たりしてたもん。


 お母さんが来た時は違う意味でドキドキしたや。

 ドライヤー、またして欲しいな。


 花火も見に行った。

 

 父さんとの約束を果たせて、花火の熱さにやられて告白もしちゃった。


 ついこの前は看病もして貰ってさ……

 夏君には迷惑を掛けたけど、あの日は共同生活の中でも特に幸せだった。


 美亜もデートで夏君に何か嬉しい事を言われたんだろう。

 

 私もデート、したかったなぁ……


 全部、無かった事になっちゃったんだなぁ……


 短かかったけど幸福な、黄金のような日々を思い出していると、美亜が泣きじゃくりながら私の胸に顔を埋めた。

 

「……もう思い出せないのかな……!」

「……大丈夫だよ。きっと夏君は思い出してくれる……」


 ……本当は思い出さない方が良いのかも知れない。

 でもさ、美亜のこんな姿見たらさ──


「……あたし、ヤだよ……義妹いもうとに戻りたくないよ……!!」

「……美亜……」


 デート中、やっぱり何か進展があったんだね。

 

 ……美亜は恋のライバル、敵じゃない。私の大事な妹。


 ──神様……こんなのあんまりだよ……


「……ヤだよぉ……あああっ……!!!」

「……ごめんね、ごめんね……美亜……」


 私達は疲れて眠ってしまうまで、ずっと抱き合って泣き続けた。


 その日見た夢は狂おしい程愛しい、初恋の夢だった──

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