第7話 そしてその日はやってくる


 ……気まずい。


 何が気まずいって?

 花火の時、冬姉のあの言葉。


 ──夏君、愛してる♡


 思い出しただけで顔が熱くなる。


 あの夜、美亜をこっそり家に送った後、俺と冬姉は疲れで風呂にも入らず眠ってしまった。


 今はその翌日の朝。


 レンタカーも返しに行かないといけない。

 だから早く冬姉を起こして、シャワーに入らなければならない。


 ……その為にキスをする。


 くそ……本当何回しても慣れない。

 

 まさか本当に冬姉が俺の事を好きだとは……


 俺の封じ込めた想いがまた溢れてきそうだ。

 これは良くないぞ……!

 

 俺には責任を取らないといけない相手がいる。

 そう、まさに冬姉に言われた通りだ。


 美亜の事を蔑ろには出来ない。

 

 一回ヤったくらいで何を言ってるんだとか言う奴、美亜の可愛いさを味わってから言え。


 だけど冬姉との事だって……


 あーくそ!どうすりゃ良いんだ!いっそハーレムルートか……!?


 ……今度こそ親父に死刑を喰らわせられるな。


 はぁ……今はとりあえず冬姉を起こそう。

 あ~起こした後気まずいよぉ~誰か助け──


「えいっ」

「!?」


 いつもと同じように、冬姉の顔の前でうだうだやっていると、珍しく冬姉の方からキスをしてきた。


 いつもなら起きていても俺がキスするまでじっと待っているのに。

 ……俺の意気地のない所を楽しんでいやがる事を俺は知っている。


 ただ今日は──


「……んんっ!?」

「……こらぁ逃げるなっ」

「……っ!!」


 俺の顔をがしっ、と捕らえた冬姉。

 俺は思わず顔を引いてしまったんだ。


 だってなぁ……!し、舌が……!!


「……ふ、冬姉!ストップ!!」

「……ぁっ……も~~~……」

 

 冬姉は舌を出したまま可愛く俺を睨んでいる。


「なんで美亜は良いのに私はダメなのぉ……」

「別に美亜ともしたとは限らないだろう!?」

「えっちしたのにそれは無いでしょ~」

「ぐ……」

「ま、今日は許したげよっか。車返さないといけないしね」


 ……良かった……

 もーこの夏休みは心労が絶えないよ……


 冬姉はポイポイポイ~と服を脱ぎ捨て、下着1枚で風呂場へ向かった。


「……頼むから風呂場で脱いでくれよ……」


 



「夏君、美亜とのデートはいつなの?」

「……あ、あぁ一応来週って事になってるよ」

「へぇ、やり取りしてるんだ」


 俺達はレンタカーを返し、歩いてアパートに帰っている。

 

 朝だというのに日差しが強く、うだるような暑さだ。

 

 俺も京都に来て随分経つが、盆地特有の気候は半端じゃない。

 夏は猛烈に暑く、冬の底冷えは尋常じゃない。

 皆も京の都においで。

 どの都道府県にも負けない、強靭な肉体を手に入れることが出来るよ。


 そう、鋼のような肉体を──


 暑さで溶け始めた脳で余計な事を考えていると、冬姉が少しムッとした顔で俺を見上げた。


「美亜と連絡先交換したんだね」

「そ、そうなんだよ。昨日の帰り際にな」


 やっぱり気まずいよぉ~。

 まともに冬姉の顔を見られん!!


「……むぅ。段々美亜が夏君と接触し始めて……き、た……」

「冬姉!?」


 冬姉がいきなりフラフラと、近くにあった電柱にもたれ掛かった。

 俺はすぐ冬姉に視線を合わせてしゃがみ込む。


「大丈夫か!?」

「……ごめんごめん!ちょっとフラついただけだから!」

「……立てるか?」

「うん!ありがとね」 

「……」


 冬姉の体を支えて立ち上がって貰うと、やはりどうやら顔色が悪いように思う。

 夏風邪か……熱中症か……とにかく急いで帰らないと。


「冬姉、出来るだけ日陰を歩こう。支えとくからさ」

「……夏君に体を触って貰えるの幸せぇ~……」

「冗談言ってないで早く帰るぞ!」

「……ごめんねぇ……」


 こういう場合、救急車を呼んですぐに医者に診て貰うべきなのだが……


「……冬姉、病院は?」

「……今日もバイトだから行ってる暇無いよ~。大丈夫、少し休んだら良くなるって!」

「はぁ……」


 実家に居る時もそうだった。

 ……冬姉は病院嫌いなのだ。

 何でも注射が苦手とかで、熱中症なら点滴でも打てばかなり楽になるのにな。


 とにかく、横になって休んでれば良くなるのも間違いでは無いだろう。

 俺はフラつく冬姉の肩を支えながら、アパートに向かった。


 部屋に着いてすぐ、スポーツドリンクを沢山飲んで貰い、寝させた。


 そして、電話を掛ける。


「あ、もしもし?そちらで勤めさせて頂いてる大倉の家族の者です。本日の出勤なんですけど──」





「ヤバい、バイト!!」

「あ、冬姉起きたのか?」


 18時過ぎ、1日中眠っていた冬姉が焦った顔をしてベッドから飛び起きた。

 分かる分かる。あの背筋がひゅん、となる感覚な。

 

 でも今日はその心配は要らない事を伝えた。


「大丈夫だよ。焼肉屋の方には俺から連絡しといたから。最近よくシフト入ってくれてたから今日はゆっくりね、だってさ」

「え、連絡って……いやいや!何で起こしてくれなかったの!?」

「はぁ?さすがに怒るぞ?あんなフラフラだった人間が何言ってんだ」

「……ごめん」


 ダサTを着た冬姉がしゅんとしているのが妙に可愛かった。

 だから少し意地悪を言いたくなる。


「それだけ?」

「……ありがとう」

「良く出来ました。はいこれ」

「体温計……?」


 一応、熱測っとかないとな。

 ……眠っている最中は、冬姉の胸元に差し込むのが難しく、まだ測れていなかったし。


 まぁ顔色を見る限り異常は無いだろうけどさ。


 冬姉はじっと体温計を見つめた後、ぼんやりした顔で俺の方を向いた。


「……夏君が測ってよ」

「ヤだよ。……冬姉胸大きいんだから」

「ほう、トライはしてみたと窺える」

「そこまで頭が回るようになって良かったよ。熱測ったらもっかい横になれよ」

「けちぃ」


 文句を言いながらも体温計を脇に挟んだ後、横になってくれた。

 ピピピ、と鳴った体温計を冬姉から受け取ると、表示された体温は37.5℃。


「んー熱はまだ若干あるか。やっぱ熱中症かな」

「へへどうだろ、恋患いかもよ?」

「……だったらどうすれば治るんでしょうねぇ……」

「簡単だよ──」


 冬姉はベッドの前でしゃがむ俺に抱き付き、額を合わせた。


「このまま私の男になればいい」

「……落ち着けよ、病人」


 視界に入る、薄い金色の髪の毛。

 ほんの少し顔の角度が変われば、唇が触れ合うような距離。

 冬姉が自分の胸に手を当てる。

 

「無理だよ。心臓がすっごくドキドキしてるんだもん」

「……冬姉の男になればそのドキドキは止まるのか?」

「止まる訳ないじゃん。ん?ありゃ、じゃあ私の男になってくれても熱は下がらないか」

「気付いてくれてありがとう。俺、外出てくるからゆっくり寝てろよ」

「……どこの女に会いに行くんだこんにゃろぉー……」

「ドラッグストアに行くんだよ。アホ女が無理して倒れたからな」

「……にゃふぅ……」


 ジト目で俺を睨む冬姉は、タオルケットで顔を隠した後、ぼそりと呟いた。


「……早く帰って来てね」

「了解だ、ご主人様」

「ふふっ、なにそれ」


 電気を暗くし、家を出る。

 俺が帰って来るまで30分程の時間を要した。


 そっと家のドアを開け、ベッドの上の冬姉を見ると、すやすやと眠るワガママなお嬢様がそこに居た。


「……ほんと、困ったご主人様だよ」


 冬姉が倒れたのは昨日の疲れと、今朝の暑さ。

 そして日頃の無理な連勤が原因だろう。


 俺は冬姉の薄い金色の髪を撫でた。


「……あんまり無理をしないでくれ……」


 彼女の美しい顔を眺めていると、自然と視線が唇へと吸い寄せられていることに気付く。


 ……意識しすぎだ。


 この気持ちはとっくに捨てただろ。

 今の俺は、冬姉との事だけを考える訳にはいかない。もう一人、大事な人が居る。


 そしてその日はやってくる──





「ヤバい、遅刻する!!」

「夏君、今日美亜とのデートだっけ?」

「あぁ!あと10分で約束の時間だ!!」


 8月15日の午前10時50分。

 

 今日は日課のキスはいいとの事で、久しぶりにのんびり眠っていたらやらかした。

 背筋がひゅんどころじゃない。ゾクンゾクンしたぞ。


 ……それにしたって冬姉、起こしてくれてもいいだろうに。


「なーんで私が美亜とのデートのお手伝いしなきゃいけないのー」


 思考を読むな思考を。

 ……ほんと、意外と器の小さいお義姉様だ。


 俺は急いで身支度を整えつつ、冬姉に話しかけた。


「冬姉、今日もバイトか?」

「そだよ!この前倒れてからまた連勤中だけど、ちゃんと気を付けます!」

「……頼むぞ……?」

「大丈夫だってば!」


 無理をしないという事に関して、全然信用無いからね貴女。


「そんな事より、夏君あと5分だよ?」

「OK!!これなら間に合うっ!!」

「いってらさ~い!」

「おう!!」


 俺は思い切り部屋のドアを開け、集合場所である最寄り駅へ向かった。


 既に美亜はこちらの駅へ着いているだろう。

 走っている最中、ポケットからブブ、と短い振動が伝わる。

 信号を待っている間にポケットへ手を伸ばすと、スマホに美亜からのメッセージ入っていた。

 やはり美亜は一つ前の電車で着いているみたいだった。


 駅までは走れば5分もあれば着ける。

 これは勝ち申したぞ……!!


 俺はきちんと時間通りに駅に辿り着く事が出来た。

 かなり汗を掻いたが、致し方ない。


 改札を通り、階段を駆け上がって美亜が待つホームへ向かう。


 今日は寝坊したせいで大変だったけど、今の所予定に狂いは無い。


 そう、今の所は何も狂った事は無かった──


「あ、お兄ちゃん!」

「……美……亜……?」


 俺の時間が止まった。

 そして周囲の時間も既に止まっていた。


 動いているのは美亜ただ一人。

 戦慄してしまう。

 まさか実感出来るとは……これがポル○レフの味わった片鱗なのか……!?


「……おーい、お兄ちゃん?」


 固まった俺の顔の前でブンブンと手を振る美亜。


 いい加減説明しようか……


 俺達の時を止めたのは美亜の服装シスター・コスチュームというスタ○ドだ。


 本体と一体型で、イナズ○イレブン風に言うなら、化身ア○ムド。

 

 ……すまない、こんな訳の分からない説明しか出来ない程、俺の頭はトチ狂っている。


 いや、トチ狂っているのは美亜のセンスだ。


 俺は一応美亜に確認をした。


「……美亜、それ何のコスプレだ……?」

「お兄ちゃんの好きなアニメに出てくる、ちょっとえっちな服装の女の子!!」


 曇り一つ無い眼で言ってんじゃねぇ!!


 美亜は何かの作品で出てきそうな、紫色の霊装のような胸元の開いたドレスに、デカイ剣を持っている。無駄にクオリティが高い。

 なにそれ、地面蹴ったら出てきたの?


「あたし、お兄ちゃんに見合う女になろうと思って頑張ったんだ!!」

「その服装を俺に見合う女だと、お前はそう言うのか!?」

「良いセンスしてるでしょ!!」


 いやいやいや壊滅的だよ!?


 センスは磨くものだと誰かが言ってた。

 壊滅的なセンスを磨き上げて出来上がるのが美亜だったとは……


 ……だがしかし、頑張ってくれたのは本当だろう。

 こんな服、普通には手に入らない。

 それにコスプレの服ってピンキリだとは思うけど、ここまで完成度が高いとお値段も中々の筈だ。


 美亜は長い間外の世界を知らずに生きて来たから、ちょこちょこ人とズレてる。

 高校に入って出来た友達と遊ぶ時とかは普通の格好をしてたけど、"勝負服"という事となると色々調べなきゃならなかったんだろう。

 コスプレ服自体は大好きだけど、今日という日に街中で着るもんじゃないと、教えてれば良かった……


 本当、美亜はポンコツって言葉がよく似合う……


 ……まぁ、気持ちだけは受け取っておくか。


「美亜、お前が今日という日の為に凄く頑張ってくれたのは良く分かった」

「本当!?良かった~これ着るのも大変でさぁ、かなり暑──」

「今すぐ脱げぇぇぇえ!!!」

「えぇ!?こんな所で!?」


 駄目だ、我慢の限界だった。

 照れながら服装について語り始めた義妹にここまでイラつく事があるとは。


 しかし美亜は何を勘違いしたのか、もじもじと顔を赤くした。


「も、もう……溜まってるならしてあげるから、そういうのは──」

「よし、電車来たな。服を買う所から始めるぞ」

「ちょ、お兄ちゃん!?背中引っ張らないで!?服、脱げちゃうよぉ~~~!!」


 このバカに付き合って、これ以上周囲の冷たい視線を浴びたくない。


 俺達は電車へ乗り込んだ。


 目指すは河原町。


 だがそれまでホーム以上にヤバい、車内の物凄い視線に耐えなければならない。


 全鉄道会社にお願いです。

 どうか美亜専用車両を用意してくれませんか?

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