第5話 花火は恋を狂わせる・後編
現在の俺達は、あと数メートル近付けば琵琶湖に入れる、という程の先頭ポジョションを陣取り、小さめのレジャーシートの上で肩を触れ合わせている。
後ろの人の邪魔にならないよう、日傘を下げてな。
さて、花火が始まるまで、まだもう少しだけ時間がある。
丁度いい。俺はさっきの冬姉の暴挙について文句を言う事にした。
「おい冬姉、さっきの。内緒の関係じゃなかったのか?あんな嘘つかせて……どうなっても知らねーぞ」
あんな嘘──"夏君、彼女って言いなさい。"これは本当に危険な発言だったぞ。
伝わる訳がないが、こんなの万が一親父達に知られたら……
うぅっ……考えたくもない……
しかし、俺の心配を理解している筈の冬姉は、それでも俺をからかい続ける。
「内緒の関係だよ?ずっと手をニギニギしてイチャついてるのなんか、こうやって日傘で隠さないと出来ないもん」
「! あんま緩急つけて握らないでくれ……」
日傘に出来た僅かな陰の中、冬姉の攻勢に耐える。
いい加減恥ずかしさと、いやらしい冬姉の手付きとで、おかしくなりそうだ……
くそっ、ほんの少しでもいいから距離を取らないと心臓の音が──
「あ、こら離れるな!!」
「え、ちょ、引っ張ったら──」
ぽよん、と弾力ある何かが顔を覆った。
「にゃふっ……!」
「ごごご、ごめんっ!!」
「……も~……そういうのは帰ってからね?」
「ラッキースケベにその返しは痴女感が凄いな」
「セクハラで訴えるよ?」
「大変失礼致しました」
冬姉はくすっと笑うと、頭を下げた俺の体を反転させて、再びその豊満な胸元へ引き寄せた。
そのまま俺はゆっくりと冬姉へ体重を預けた。
後頭部から俺を抱き締める冬姉の心臓の鼓動が聞こえる。
何故だか凄く安心する。
外に居るのに家で過ごしているかのような安心感に、俺達は琵琶湖を眺めながら軽口を投げ合う。
「……今ね、私すっごく幸せ」
「俺もだ」
「このおっぱい星人め」
「ふっ、否定はしない」
「美亜より大きいの、嬉しい?」
「……それってどう答えるのが正解?」
「実はお尻派ですって言ったら座布団1枚あげてたね」
「冬姉派って言ったら?」
「……教えない」
「じゃあ美亜派だ」
「追放ポイント1追加ね」
「なにそのポイント!?」
「100ポイント貯まったら見事我が家を追放です!頑張れ追放系主人公!!」
「追放系ってそういう意味じゃないだろ!?」
「あ、結構暗くなってきたね。そろそろ始まるかな?」
「お願い無視しないで!?タグに追放が付いちゃうよ!?」
しかし冬姉は俺をぎゅっと抱き締めるだけで、返事はしてくれなかった。
くっ……追放ポイントか、気を付けなければ……
辺りを見るとかなり薄暗くなっており、周囲の人々の高揚感も、徐々に高まっているのを感じる。
周りに遮蔽物は何もなく冬姉の話によると、ここからなら本当にド迫力の花火が見れるらしい。
確かに俺達の近くにはまるで業者か!?と思う程の機材を持ち込んでいる人達も居る。
花火が始まる2時間前にはここに着いたのに、俺達が座れたのはほんの僅かなスペースだもんな。
もしかしたら徹夜組までいるのかも知れない……
事実、俺達がここに座るまで大量の人混みに流されたものだ。
「冬姉……ここの花火って毎回こんな人がいるのか……?」
「そうだねぇ、私が来た時はこーだったよ」
「へぇ……」
一体誰と来たんだろう。
気にはなったが、口には出さなかった。
……だが、どうやら顔には出ていたみたいだ。
「誰と来たか、気になる?」
「い、いや……あーーー……そうだな、少し気になるな……」
「素直でよろしい。実はね、男の人と来たんだよ~嫉妬する?」
「……しないよ。俺達
「夏君が言うとびっくりするくらい説得力無いね」
分かってるわい……
少し拗ねたような顔をしてしまった。
そんな俺の頬をツン、とつついた後、冬姉は空を見上げひっそりと呟いた。
「嫉妬してくれたら嬉しいよ──」
「え……?」
──ドンッッッ……
『おぉぉー!!!』
「夏君、始まったね!」
「……みたいだな」
一発の高く打ち上がった花火が、先程の冬姉の言葉を誤魔化すように掻き消した。
綺麗な赤色の花火が空へ消えた後、会場へナレーションが響く。
観客のボルテージを更に引き上げた後、いよいよ本番が始まる。
打ち上がっては消えていく、ハートやら星型やらを形取ったそれらを見て、冬姉が呟いた。
「……やっと約束が果たせたよ」
「約束……?」
頭の後ろに居る冬姉は、俺を抱き締める力を強くした。
「うん……父さんとね、約束したんだ。いつかもう一度これを見る時は愛した
「それって……」
たぶんうちの親父じゃなく、再婚前の冬姉達の父親。つまり、冬姉が一緒に来た男というのは、彼女らの父親か。
……確か、冬姉達の血の繋がった父親は──
「父さんが死ぬ前にくれた数少ない思い出なんだぁ。叶えてくれてありがとね夏君」
「冬姉……」
俺の頭に何かがぽと、と落ちた。
今、どんな表情をしているのだろうか──
それを見るのは冬姉の感傷を汚す行為に思えた。
だから、俺の体の前で結ばれている冬姉の両手に、そっと自分の両手を重ねる事にした。
「! あー……夏君……今そゆことするのはダメでしょ……?」
何でだろうな。理由はうっすらと気付いていたが。
……さっき冬姉は愛したひと、と言った。
分かってる。本来これは聞いちゃいけない事なんだ。
俺達がせっかく微妙な形で保ってる関係が崩れるかも知れない。
だけど、冬姉の心臓の鼓動が、両手の脈が、伝えてくるんだ。
──今、私の想いを聞いて、と。
だったら俺は俺らしく、こう聞くしかない。
「俺の事、好きになっちゃうか?」
花火を見上げながら、少し意地悪く。
冬姉はなんて答えるのだろうか。
この一瞬で色々考えたよ。
本当、俺はなんて返事をするつもりなんだよ。
こんな事聞いてしまったのは、花火のせいだ。
そして、どうやら花火は冬姉をも狂わせているらしい。
冬姉の言葉はこうだ。
「もう好きになんてならないよ」
……え、待って正直めちゃめちゃショック。
まぁ悲しむ暇は一瞬しか無かったけどな。
ほぼ間髪入れずに、冬姉は言葉を続けたんだ。
──同時に、今日一番の特大の花火が打ち上がる。
「だって、好きになる余地なんか無いくらい大好きだもん──」
白く輝く花火は辺りを急激に明るく光らせ、思わず振り返ってしまった冬姉の顔を照らした。
目線が、合ってしまう。
「……あーあ、言っちゃった。花火って怖いね、夏君」
一瞬しか見えなかったが、冬姉の両頬にはうっすらと涙の筋が出来ていた。
それがあまりにも綺麗で、儚くて、俺は何も答えられなかった。
「……ごめんね、夏君は美亜が好きなのに」
心臓にまで響く花火の音の中でも、冬姉の言葉は何一つ余す事なく聞こえる。
「だけどね、これから私が夏君の心を奪ってあげる。体は美亜に譲ってあげたから……後は全部私が貰う。覚悟しててね、夏君」
一つ、まずいことがある。
見えては消える冬姉の顔があまりにも乙女で、目が離せない。
心なんて既に奪われている──
「あ、そろそろフィナーレの頃かな。すっごいいっぱい打ち上がり始めたよ!」
ずっと冬姉の顔を見ていた俺は、真上を指差す彼女の視線を追った。
真っ白に辺り一面を覆い、しだれ桜を彷彿とさせる無数の線達が、夜空を朝焼けに変える。
ほんの数秒訪れた輝きは、耳元で呟かれた冬姉の言葉と共に、脳裏に深く焼き付いて離れない。
「夏君、愛してる♡」
※
『以上を持ちまして終了とさせて頂きます。お帰りの際は──』
アナウンスと同時に、多くの観客が我先にと帰路へつく。
だが俺と冬姉はまだ動いてはいなかった。
冬姉が俺を抱き締めて離さないからだ。
「……夏君、女の子の告白をずっと無視とか酷くない?追放ポイント2ポイント目ね」
「……ちょ、苦しいって冬姉!」
ギリギリと、俺の関節が極められていってる……!
……俺はな、なんて答えたら良いか分からないんだよ……
冬姉の事をどう思ってるか。言えないよそんなの。
血だって繋がってないしな。異性として見てるんだぞ。
むしろエロい目で見てる!!
俺の後頭部に当たる胸は反則だもん。しょうがないじゃないか。
ただ、俺は……
「"責任を取らないといけない相手がいる"そんな所?」
「……!」
「夏君の反応見てたら段々分かっちゃった。夏君、美亜の事好きじゃないでしょ」
「い、いやそんな事は──」
「責任感と罪悪感だけで満たされた想いなんて、好きとは言わないよ」
「……っ……」
否定、出来なかった。
美亜と体を重ねてしまったあの日。
今でも覚えてるよ。
俺の部屋に押し入ってきた美亜からその想いを聞かされて、「今あたしを抱いてくれないなら、お兄ちゃんの
……冬姉の想いを聞いた今にして思えば、秘密なんてバラしてしまえば良かったんだよ。
だから今、こうしてややこしい状況になってるんだ。
本当、意志が弱いよな俺って。
「……ま、今は返事をしなくていいよ。先に済ませる用事がやってきたからね」
「え、どういう──」
冬姉はすくっ、と立ち上がった。
訳が分からず、俺も立ち上がって冬姉と同じ方向を見てみた。
すると少し離れた場所に、ポニーテールで可愛らしい浴衣を着た、一人の女の子が居た。
彼女は人混みに流されまいと、必死にこちらへ近付きながら、大声で叫んだ。
「お兄ちゃんっっっ!!!!!」
美亜……なんでここに……!?
居るとは思ってなかった予想外の人物は、俺達と数歩離れた場所まで近付いて、そこで止まった。
冬姉がいつもより数段冷たい声色で口を開く。
「……美亜、やっぱり来たね。覚悟は出来てるの……?」
美亜は少しも怯む事なく立ち向かう。
「そんなのとっくに出来てる!お姉ちゃん、早くお兄ちゃんを返して!」
「返して、ってなに。別に美亜のじゃないでしょ」
「あたしのだし!あたし達、もう全部繋がった関係だもん!!」
「ちょ、美亜さん!?大声でそんな事言うな!?」
少し人は減って来たけど、まだ大勢いるんだぞ!?
冬姉は美亜の言葉に少し動揺したのか、俺の腕を取って見せ付けるように手を繋いだ。
「私だって繋がってるし!ほら、見なさい!夏君だってさっきこれでドキドキ──」
「ふんっ!手繋ぎごときがセックスに勝てるとでも!?」
「げふぅっ」
「冬姉!?」
俺は人が、げふぅっとか言って倒れるのを初めて見た。
しかし冬姉は、よろよろと膝に手をついて立ち上がろうとする。
「や、やるね美亜……なら、私の奥の手を見せてあげる!!」
「な、何をするつもりなの……!?」
「夏君──」
冬姉は俺の方をじっと見つめた。
「私にキスしなさい。
「いぃ!?」
「あ、こらーーー!なにしようとしてるの!?」
「ほら、夏君!早く!!」
「い、今は出来ねぇよーーーー!!」
無理無理無理無理!!
こんな衆人環視の中でそんな事出来る訳ないだろ!?
今回初めて冬姉のお願いを断ったが、どうやらそれは計算の内だったようだ。
あることに美亜が気付く。
「ま、待って。
「あ、気付いちゃった?夏君、毎日キスしてくれるの。もう回数なんて美亜を余裕で越えちゃってるよ」
「ひでぶぅっ」
「美亜ーー!?」
どうやら美亜の中では、セックスよりもキスの方が重要度が高いらしい。
にしたってお前、そんな世紀末みたいなやられ方しなくても……
仕方ない……ここは俺が止めるしかないな……
「二人共、一旦冷静に──」
『夏君(お兄ちゃん)のせいなんだから黙ってて!!』
「お、おぉ……さすが姉妹……」
なんて見事なユニゾンかましてくれるんだ。
収集のつかなそうなこの口論。
どうすりゃいいんだよ……
んー……うん、無理だな。少し考えたけど、この口論は止められそうにない。
ならせめて場所を移そうか。
「よしっ、なら二人共、車の中で続きをしよう!ここじゃ人目につきすぎる!!」
『……分かった』
「……ふぅ……」
何とか二人の導火線の火を止める事に成功。
どうかこれ以上打ち上がらない事を祈るばかりである……
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