第4話 花火は恋を狂わせる・前編


「冬姉そろそろ起きろって~」

「……やだ」


 今日は8月8日、予定では13時頃に家を出る。

 現在時刻は10時。

 ぼちぼち準備を始めたい時間だ。


 だと言うのに、冬姉はベッドから出ようとせず、タオルケットに包まれて丸くなっている。


 冬姉が不機嫌な原因、それは──


「ねぇ、なんか今日のキス雑かった。やり直しを要求しますぅ」

「……いつも通りだろ?ワガママ言って無いでそろそろ準備しようって」

「……ナニソレ、冬姉は怒りました。ふんっ」


 背中を向けていよいよへそを曲げてしまった。

 子供かよ……


 大体そんな雑かったか?

 本当にいつも通りだった筈だけど。


 俺が先に目覚めて、寝ている冬姉の唇に、ちょん、とキスをして「おーい朝だぞー」って言っただけだぞ?


「冬姉ぇーー何が駄目だったんだよーー」


 彼女は背を向けたまま、部屋に響く声量で文句を言ってきた。


「全部っ!!キスも短いし、ドキドキもしてくれてないし、毎日のルーティンこなしてますって感じだったの!!」

「はぁ??」


 毎日やれって言ったの冬姉じゃねぇか!

 何でそんなことで朝から文句言われなきゃいけないんだよ!


 だけど、俺は彼女に反抗はしない。出来ない。

 面倒でワガママなご主人様の、お気の召すままに行動しなければならない。

 屋根のある家で生活する為には。


 なのでずっとぶつぶつ言ってる冬姉の機嫌を直すのも、言われては無いがお願い・・・の範疇だろう。


 ──つまり、俺が出来る事は一つ。


「ほんっと許せないんだからっ。私が毎朝どれだけ楽しみにしてると思って──」

「冬姉、こっち向いて」

「やだっ!夏君なんかだいきらい!!」

「……あっそ、じゃあキスのやり直しはしないんだな」

「………………………………それもやだ」

「じゃあこっち向いて」

「……はい」


 俺はベッドに足を掛け、タオルケットを掻き分けた。

 隙間から顔だけ出した冬姉と目が合う。

 よく見ると彼女は顔を真っ赤にしていた。


「……は、早く……夏君……ちょっと恥ずかしいよぉ……」

「自分のワガママの為に2回目のキスをせがんで、嫌いと言った相手に見下ろされる気分はどうだ?」


 これくらいの意地悪は言っても良いだろう。

 たまにはからかってやらないとな。


 しかし、俺はたった一言の強烈な反撃を喰らう。


「……最高♡」


 熱を帯びた視線は、俺の心臓の鼓動を急加速させていく。


「なっ……本当、敵わないよ冬姉には……」

「夏君~……早く~。じ、焦らしすぎだよぉ」

「はいはい──」


 胸に内臓された早鐘はやがねは、触れ合う瞬間その響きが消えた。


 ──見てしまったのだ。その瞬間の彼女の顔を。


 あまりにも美しく、隙間から覗く薄い金色が言っている。


 目を離すなと──





「さぁ、でっぱつだーーー!!」

「ド、ドキドキするな……!」


 俺は今、軽自動車の助手席に座っている。

 運転席に居るのは冬姉だ。


 花火大会には車で向かうとの事で、免許をお持ちの冬姉がレンタカーを予約していた。


 実は冬姉の運転を体験するのは初めてだ。

 ……正直ちょっと怖い。


「ふ、冬姉、安全運転で頼むぞ……?」

「任せなさい!お姉ちゃん、教習所では筋が良いって誉められてたんだよ!」

「へ、へぇさすがだな」

「でっしょ~。じゃあ行くよぉ!」


 車を借りれたのが、ガソリンスタンドだったので、冬姉は道路との隙間にある大きな溝をゆっくりと踏み越えた。


 車は徐々にスピードを上げ、大通りに出る頃には、冬姉は鼻歌を歌いながら順調に運転を出来ていた。


「ふ、冬姉が運転してる……何か新鮮だな」

「実は私も人を乗せるのは初めてなんだぁ」

「へぇ~」

「夏君には私の初めてをいっぱいあげてるね♡」

「こっち見んなよ。前見ろ前。ったく……」


 ……と言うことは、キスも俺とが初めて──


「夏君、顔赤いよ?大丈夫?」

「! だ、大丈夫」

「熱中症も怖いし……近くのコンビニで水とか多めに買っておこうか」

「そ、そうだな」


 信号待ちの度にこっちを見て来ないで欲しい……


 冬姉は1号線を山科方面に直進中、左手で前方を指差した。


「あそこのコンビニ入ろっか!」

「ん、おっけ」

「そうだ夏君」

「どしたん?」


 冬姉はコンビニへ左折で進入し、ギアをRレンジに入れて、駐車を始めた。


 華麗に後ろ向きで車止めまで進ませる冬姉は、さすがに俺の方を見る余裕は無いらしい。


 だからこそ、続く一言を放った彼女の顔を、俺は何としても見てみたかった。


「夏君の考えた通り、キスも夏君とが初めてなんだよん」

「……言わなくていいってば……」


 今、どんな顔をしてそれを言ったんだよ。

 ずりぃぞ冬姉……


 俺達はコンビニで多めに水やスポーツ飲料を買い込み、再び滋賀へ向けて走り出した。


「ねぇ夏君~退屈だから何か話して~」

「どんな無茶振りだよ」

お願い・・・

「……む」


 それを言われては何か話題を提供するしか無い。

 んーーーでも急にそんな事を言われてもなぁ……


 あー……またからかわれそうだが、少し気になっていた事がある。


「冬姉、浴衣は着ないのか?せっかくの花火大会なのに」

「え?あーそうだねぇ。着てくる人も沢山いるけど……」


 冬姉は「なに?私の浴衣姿見たかった?」とは言わなかった。少し意外だ。


 代わりに、本当にどんよりした声色で答えてくれた。


「……私はあの人混みの中、着慣れない浴衣で参戦するのはちょっと勘弁かな……」

「え……そんなにえぐいの……?」

「はは……行けば分かるよ。良い場所で見ないなら浴衣でも良かったんだけどね」


 冬姉がここまで言うとは……

 それに、やっぱりより良い場所で見る為に、こんなに早く出ていたのか。

 てか冬姉、滋賀の花火大会に来たことがあったんだな。


 そう言えば、今日の冬姉は動きやすそうな、スポーティーな格好だ。経験者は機動力重視なのだろうか。


 細長い脚を強調するストレッチ素材の黒いパンツに、ノースリーブの淡い麻色のトップスを着合わせている。

 シンプルな格好だが、それ故に胸元に光るピンクゴールドのネックレスが、彼女の美しい金色の髪とよく合っている。


「よし、夏君がきちんとお願い・・・を聞いてくれた事だし、今度は私が話題を提供してあげましょう」

「おぉ~待ってました~」


 テキトーに持ち上げると、信号待ちで車が止まる。

 だが今回、冬姉が俺の方を見てくる事は無かった。


「美亜の事、どう思ってるの?」

「なっ……!?」


 俺は慌てて冬姉の方を見た。

 依然として、彼女の顔は前を向いている。


「……答えたくない?」

お願い・・・か……?」

「ううん。答えたくないなら答えなくていいよ」

「……」


 ……意図が読めなかった。

 いや冬姉の考えが読めた事なんて、これまでもほとんど無かったんだけども。


 それでも喜怒哀楽、どの感情を今持っているのかすら分からなかった。


 ならばこそ、俺は裏表の無い気持ちを伝える事にした。

 この質問に答える義務は無いが、答えないのは不誠実な気がしたから。


「──好きだよ」

「……そっか。ほんと、夏君はド畜生だね」

「冬姉……それ止めてく──」

「……ごめ~ん、ちょ~っち静かにしてて貰ってもいい?」

「あ、あぁ……」

 

 冬姉の横顔からは、未だ感情が読めない。

 

 そこから、花火大会の為に起こった渋滞に捕まるまでのおよそ10分間、俺達が言葉を交わす事は無かった。




 現在時刻15:20──


「やっと着いたねぇ~」

「思ったより時間掛かったな」

「まぁこんなもんだよ。ほら、荷物持って!行くよ!!」


 今日という日の為、会場の近辺では様々な施設が駐車場を提供していた。


 俺達はその中でも、会場から徒歩20分程離れた所に位置する、無料で高校が解放していたグランドの駐車場に車を停めた。


 渋滞に捕まっている最中も、口数の少なかった冬姉だが、会場に着いてその明るさを取り戻したように見える。


 その証拠に──


「夏君!ほら、手繋ごっ!はぐれちゃうといけないし!」

「はいはい。カバン肩に掛けるから待ってくれ」

「あ、2つも持たなくていいって。1つ持つよ」

「運転してくれてるんだ。これくらいさせてくれよ」

「……ありがと」


 俺はペットボトルやレジャーシート、日傘に日焼け止めなど、色々な物が入ったカバンを両肩に掛けた。

 そして、冬姉に左手を差し出す。


「っしょ、と。ほら、冬姉」

「……あー……ダメだ……」

「え、何が……?」


 冬姉は突然グランドの真ん中で座り込んで、顔を隠している。


 え、ほんとに何やってんのこの人。


 なにやらぶつぶつ言ってて、正直ちょっと怖い。

 

「……も~やだぁ……カッコいいよぉ……待って、カバン持ってくれただけで私チョロすぎでしょ……でもでも~……好きなんだもんんん……優しい所見せられたらこーなっちゃうよぉ~……」

「なに呪文唱えてんの。冬姉早く行こうぜ、良いとこ座るんだろ?」

「にゃふぅ~。行くぅ~!」


 何やら急にIQの下がった冬姉は、暑さのせいだろうか体をふにゃふにゃさせながらも、俺の手を握って立ち上がった。


 夏だと言うのにひんやりして気持ちの良い冬姉の右手。

 少し心拍数を上げつつも、会場に向けて歩き出した時だった。


「あれ、夏焼?」

「え?」


 後ろから誰かに呼び止められた俺は、声の主の方へ振り返った。


「やっぱそうやん!」

緒方おがた!お前も来てたのか!」

「そそ!バスケ部の皆と来てたんよ。親御さんが車出してくれるってゆーから!」

「へぇ、そりゃ良いな」


 俺に京都寄りの関西弁で声を掛けて来たのは、同じ高校に通うクラスメイトの緒方 要おがた かなめ

 学校では一番仲の良い相手だな。


 一応言っておくけど、俺はちゃんと他にも喋れる友達くらい居るからね。

 所謂イツメンって奴はこいつくらいだけどさ。


 緒方は本当にスポーツマンって言葉が似合う、真っ直ぐな性格をした奴だ。

 短髪で180cmの身長を持つ、俺より5cmも背の高い爽やかイケメンで、正直何故こいつとよくつるむのか分からないくらい、学校でも人気がある。

 知ってるか?バスケ界では180cmって小柄な方なんだぞ。恐ろしい世界だ。


 さて、そんなイケメンは俺との挨拶が終わったその瞬間、隣に立つ金髪美人を見て目を丸くした。


「な、なぁ……夏焼……お隣の美人ってもしかして……!」

「へ?おい、待て。お前は何か勘ち──いてぇ!」


 脇腹に急に痛みを感じた。

 犯人は言わなくても分かるよな……


 握られていた左手は、気付くと恋人握りへと変わっており、そっと耳打ちが飛んでくる。


(……夏君、彼女って言いなさい。お願い・・・、聞いてくれるよね?)


 こ、このクソ姉貴め!?


 ここでお願い・・・を使うのは卑怯だろう!?


 だが、俺は逆らえない……やることは一つ──


「ハハハッ!!良いだろう、俺の彼女は可愛いだろ!!」

「なにぃ!?お前、いつの間にぃ!?!?」

「悔しかったらお前も俺の彼女と同じくらい可愛い彼女を作るんだなっ!!ハッハッハーーー!!」


 ……これで満足かっ、冬姉ぇぇ……!!


 左隣を見ると、満面の笑みを浮かべた彼女・・が、ぺこりと頭を下げた。


「どうも、いつも夏君がお世話になっております。花園 冬美はなぞの ふゆみです。これからも仲良くしてあげてね♡」

「は、はい!俺は緒方 要って言います!勿論、夏焼の事は俺に任せて下さい!!」


 冬姉……咄嗟に前の名字を使いやがった……!!

 こんな所で地頭の良さを見せて、頭脳の無駄遣いだぞ!!


 それに緒方、美亜が見てたらちょっと喜びそうな事を言うな。


 俺がジト目で緒方を見ていると、あちらも同じような目をした。


「ちょ夏焼……お前どこでこんないい人と知り合ったん?」

「羨ましいか?お前にもこのコミュニティを教えてやりたいもんだよ」


 実際はペアレントコミュニティな訳だが。


 しかし、なんと緒方は俺の言葉に首を振った。


「その必要は無い!!俺には愛する妹が居るしな!!」

「あぁ……お前、シスコンだったな……」

「おっと、その言葉は誉め言葉や。実妹エンド、やってやるぜ!」


 どこの京介さんだよ。


 本当……なんて残念なイケメンなんだ。

 そう、こいつは真っ直ぐな奴だ。

 真っ直ぐにバカなんだ。


「へぇ、シスコンなんだ。夏君と一緒だね」

「余計な事を言うんじゃねぇ!?」

「夏焼、俺には分かるで。妹こそ至高やんな!!」

「お前も同志を見付けたみたいな顔するな!!」


 駄目だ……もう疲れた……


 花火の打ち合げが始まる2時間以上も前だというのに、俺の体力は尽きかけてしまった。


 どんよりした俺を見て、緒方は「邪魔してもーたな、楽しめよ!」と言って、バスケ部の連中の元に戻って行った。


 ……本当、友達としてはいい奴なんだけどな。


「夏君、私達も行こっかっ」

「……あぁ。……まだ花火大会は始まってすらいないんだなぁ……」

「あったりまえじゃん!気合い入れなよ~!!」

「……頑張り……ます」

「おぉーーー!!」


 冬姉は完全にテンションが復調したみたいだ。

 ……緒方、まぁそこに関してだけは良い仕事だったぞ。

 

 そして俺達は花火大会会場へ向けて歩みを進めた。

 

 指と指とを絡め合った恋人繋ぎで──

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