第3話 初恋は譲れない


 8月3日の朝。

 冬姉との共同生活2日目。


 昨日、寝るまでは特に何も無く、割と楽しい時間を過ごせた。


 冬姉の作るご飯は非常に美味で、相変わらず完璧が過ぎる。

 大学も国立に一発合格だしな。本当、凄いよ。


 ……これから俺がしなければならない、お願い・・・が無ければ、もっと心から誉められるんだけどなぁ。


「……すぅ……んふっ……」


 え、なにちょっと笑った?

 ってか、寝顔まで可愛いとか反則だろ。


 冬姉はベッド、俺は地べたに布団を敷いてと、一応は離れて寝ている。

 

 俺は立ち上がり、冬姉の顔を覗き込む。

 俺の影が冬姉の顔を覆い、そこで固まる。


 ──本当にやるのか!?


 勿論、キスが未経験な訳じゃない。

 美亜ともしたし、それ以前にも──


 違う違う、キスの経験がどうのじゃなくって、義姉相手に俺が自らの意思でキスをするのかって問題だろ!


 やる……しか……無いのか……?

 冬姉は一度決めたら、何が何でも目的をやり遂げる女だ。

 その意思の強さたるや、UW内におけるキ○ト君もかくやというレベル。


 ならばこそ、屋根のある家でこれからも暮らす為には、冬姉のお願いは聞かなければならん。


 だからってなぁ──


「ねぇ、いつまで悩んでるの?早くキスしなさい」

「ふゆねっ……!?」


 パチっと、目を開けた冬姉は、俺に冷たい視線を向けている。


「家、追い出されたいの?」

「い、いやっ……それは困るけど……だからって──」

「……分かった。美亜とは出来て、私とは出来ない。やりたくないんだね」

「ち、ちがっ……」


 ず、ずるいだろ、その言い方は……!


 あーもうくそっ!!


「……冬姉、目、閉じてくれよ」

「! 嬉しい……夏君──」


 冬姉は唇を近付けると、そっと瞳を閉じてくれた。

 微かな吐息が、触れ合う前の唇を刺激する。そして──





(やっちまったぁぁぁあああーーーー!!!)


 義妹だけじゃ飽き足らず、義理の姉にまで何をやってるんだ俺はーーー!!!


 しかもこれが毎日だとぅ!?

 ぐっ……正直たまらんですたい……!!


 って、どんだけ意思弱いんだよ俺!

 こんなんじゃシステムを越える所か、はじまりの街すら越えられない!!


 冬姉とは何事も無く過ごすんだろう!?


 いや、待てよ……それは冬姉が許さないか……?


 ん?あれ、詰んでるんじゃないのかこれ?


 あぁ……死にたい……

 

「……夏君、何やってるの……?」


 片付けた布団の隣で、じたばたともがいていた俺を、冬姉が奇異の目で見ている。


 両手で持ったお盆には、焼かれたトーストと、苺ジャム、それにミニサラダが乗っている。


 朝は少し簡易に済ませた感じかな。

 だけど用意してくれてありがとう。お願い・・・が無ければ、本当素直にそう思えるのに……


「冬姉……俺は今自己嫌悪に陥ってるんだ。そっとしておいてくれ……」

「あははっ、自分から私にキスしたから?童貞じゃないんだから、キスくらいで何言ってるの~!」


 なんなの、この人の趣味って死体蹴りなの?

 通報しちゃうよ?


「あーでもね、夏君」

「ん……なに?」


 冬姉はお盆を小さなテーブルに置く。

 そしてカーペットの上で、ぐったりとしている俺の隣に座り込んで、耳元で囁いた。


「夏君と違って私は処女だから、キス……すっごくドキドキしたよ。明日からもよろしくね♡」

「っ!?」


 耳まで熱くなっているのが分かった。 

 こんなの、高校卒業まで持たないって……


 冬姉は散々俺をからかって満足したのか、「あ、そうだ!」と、ポケットからスマホを取り出した。


「夏君!これ見て!」

「え?」


 俺は重い体を起こし、顔の前に近付けられていた、冬姉のスマホの画面を注視した。

 そこには──


「花火大会?」

「そ!滋賀の方で毎年やってた、すっごい大きな花火!ここ最近無かったけど復活したんだって!あれ、知らない?」


 あー確か琵琶湖らへんで行われてるやつだった筈だ。


「あ、あぁいや知ってるけど……もしかして……?」

「うん!いこーよ!二人で!!」

「……お願い・・・、ですか?」

「お、分かって来たじゃん~8月8日だから絶対空けておいてね!私、もうバイトも空けてるから!」


 無邪気な笑顔を見せる冬姉。

 本当に心からこの日を楽しみにしている──俺にそう思わせるには、十分過ぎる程魅力的な笑顔だった。


 そんな顔されたら、こっちも楽しみになってしまう。

 俺はボソッと返事をした。

 そう、俺達の今の関係を言い表した言葉で。


「了解──ご主人様」

「ん?何か言った?」

「いや!ほら、さっさと朝飯食おうぜ!トースト冷めちゃったし!」

「? うん!」





 冬姉との共同生活は、瞬く間に過ぎて行き、いよいよ今日は8月7日、花火大会の前日となる日だ。


 俺は毎日、1日中冬姉の家で過ごしているが、基本的には何もやる事が無く、完璧超人の義姉にそもそも家事の手伝いを禁止されている。


 だからいつも寝転がって、スマホの電子書籍や、動画サイトを漁って怠惰の限りを尽くしている。

 

 いいな、養われるってこういう感覚なのか……

 専業主夫目指そっかな。今の俺の現状はヒモだけど。てへっ。

 ……何か、冬姉は俺がそう思うように仕向けている気がするから、本気じゃあないけどな。


 ……だが、段々とこの状況に慣れて来ているのも事実だ。あ、未だにさせられてるけど、キスだけは慣れてないからな!


 そのキスの相手、冬姉は現在入浴タイムだ。

 焼肉屋さんでアルバイトをしている彼女は、帰ってくるとすぐにこうして体を流す。


 実際、帰ってすぐの冬姉からは、焼肉屋特有の匂いがする。

 別に嫌な匂いじゃないけど、本人はそれを俺に嗅いで欲しくないらしい。うむ、可愛い。


 今日は明日に備えて早上がりをしてきたみたいで、時刻は21時半。

 シャワーの音も止まってもうすぐ5分。

 冬姉はすぐにのぼせるタイプだから、そろそろ上がってくる頃かな。


 さてと、俺もそろそろスマホを弄るのをやめるか──


 ──ピンポーン。


「誰だ?こんな時間に……」


 ご近所さんか?


 立ち上がるのがだるく、気付けばインターホンは自動的に外と会話が繋がっていた。

 映像を見る前に「はーい」と答えると、聞き覚えのある声が部屋に響いた。


『こんばんは~夏焼君~ちょっと上がらせて貰うわねぇ~』

「こ、琴美さん……!?」


 映っていたのは、俺の継母である琴美さんだった。

 そしてガチャ、と家のドアの鍵が開けられた音が聞こえた。

 やっぱり合鍵持ってるんですね……

 

(って、これまずいんじゃないのか!?)


 この部屋は、構造上──多くの部屋がそうであるように、リビングと玄関の間に廊下がある。

 さらに廊下のリビング寄りの方に洗面所があり、風呂場と繋がっている。


 問題なのは冬姉は洗面所のドアを、玄関から見えなくなるよう、廊下側に半開きで風呂に入る。

 そして風呂上がり、彼女が取る行動は──


「夏く~ん!!髪乾かしてーーー!!」


 あぁぁああーーー!!!


 リビングのドアを開け、ひょこっ、と顔を出した冬姉。

 彼女からは洗面所のドアに隠れて、琴美さんが見えていない……!


 髪の毛を乾かす、この行為自体は構わない。

 琴美さんに見られるのはよろしくないが。


 ただそれよりもまずいのが格好。

 この人いっつもバスタオル1枚で出てくるの!

 実家に居る時はちゃんと服着てたのに!


 そして、ほぼ半裸で俺にお願い・・・をしている所を、洗面所のドアの奥から琴美さんが姿を現し、バッチリ見られてしまった。


「冬美……貴女そんな格好で義弟おとうとに何を頼んでいるの……?」

「げ、お母さん!?」

「……げ、って何。美亜の言った事、あながち間違いじゃないのかしら……」


 一人ボソッと呟いた琴美さんは、額に手を当てやれやれとしている。

 

「……一先ず服を着て、髪を乾かしてきなさい……」

「は、はい……」


 冬姉はトボトボと、洗面所へと帰って行った。

 レアだな……冬姉が本気でへこんでる。


 それ程俺に髪を乾かして欲しいのだろうか?

 毎日やってるんだから1日くらい我慢しろよ……


「さてと、夏焼君。冬美が居ない間に少しお話がしたいんだけど……今、いい?」


 琴美さんは、さすが冬姉と美亜の母親なだけあって綺麗な人だ。

 艶やかな黒髪をボブっぽく切り揃えた、ある種若者向けな髪型も、この人には怖くないらしい。

 スタイルも抜群で、スラリと伸びた手足に豊満な胸元は、全く衰えを感じさせない。

 これで40半ばなのだから、末恐ろしい血筋だ。


 俺は少し縮こまりながらも、首を縦に振った。


「も、もちろん」

「ありがとうね」


 琴美さんに、いつもの小さなテーブルの前に座って貰う。

 俺も差し向かいに正座し、琴美さんの話を待った。

 ……美亜との一件以来、二人で話すのはこれが初めてだ。


「まずは──」

「え、こ、琴美さん……!?」


 琴美さんは、テーブルから少し離れ、指を真っ直ぐ床に付けて、手の甲に額をくっつけた。

 ──土下座だ。


「美亜のせいで貴方に辛い思いをさせて本当にごめんなさい」

「や、止めて下さい!俺が悪いんだから……!」


 あの時、美亜を拒絶しようと思えば出来たんだ。

 これは俺の意思の弱さが招いた、当然の報い。


 ……受けてる報いが、義姉との共同生活というのは如何なものなのか、というツッコミは置いておいて。


「克彦さんはね……責任は男が取れと言って貴方を追い出したの。私も……貴方の優しさに甘えてしまったわ。あの子から聞いたの……美亜に責任があるのに、貴方に全部押し付けてしまった事、どうか謝らせて欲しいの」


 琴美さんは、依然として頭を下げたままだったので、俺は隣に寄り添い頭を上げて貰った。


「美亜は何も悪くないですよ。全部、俺のせいですから」


 意志の弱い俺だけど、せめてこれくらいはカッコつけてもいいよな。

 それに美亜は何も悪くない。これは本心だ。


「琴美さん、謝らないといけないのは俺ですよ。せっかくの再婚に水を差すような事をして、本当にすみません。謝って済む事じゃないのは分かってます。それでも、すみません」

「驚いた……美亜と同じ事を言うのね」

「え?美亜が?」

「いえ、こちらの話よ。そうだ、少し聞きたいんだけど……冬美との生活はどうなの?」


 ……とうとう来たか。

 返答を間違えれば、即、死に繋がる質問がッッ!!


「ふ、冬姉とのせ、姓か──」


 あぶねぇ!姓活とか言う所だった!!


 あ、いや大丈夫じゃないか?

 いやそうだよ、読み方一緒じゃん。

 

 どうやら俺の頭は、相当にオーバーヒートしているらしい。冷や汗が止まらない。


 途中で言葉を止めた俺を訝しんだのか、琴美さんが顔を近付けてきた。


「なに?やっぱり冬美とも──」

「いやいやいやいや!?何も無いですよ!?」


 血の繋がらない母親に、今度は姉との関係まで怪しまれてるぅぅう!!!


 当然と言えば当然だが、仮にも二人暮らしをさせてるんだ。

 その辺の心配は無いと、親父にも断言してるんだぞ!?


 一体何があった!?俺の知らない所で、既に何か大きな陰謀が渦巻いていると言うのか!?

 

「……まぁいいわ。冬美に聞けば分かるでしょうし。──出てらっしゃい」

「え、冬姉はまだ髪乾かしてるんじゃ……」


 ドライヤーの音だってずっと──


「あり、バレてた?こういう時、鋭いよねお母さん」


 リビングのドアから、ドライヤーを持っていない・・・冬姉が現れた。きちんといつものダサTを着てな。

 にしてもずっと聞いてたのか……?


「貴女の母親だもの。当然です」

「普段はほわほわしてるくせにぃ~」

「いいから、早く洗面所のドライヤー切って持ってきなさい。髪の毛は夏焼君に乾かして貰うんでしょ?」

「いぃ!?」


 ちょ、待ってくれ!

 なして継母の前で、その娘と半ばイチャついてるような所を見られなきゃならんのだ!!


 ……そして冬姉はもうドライヤー持ってきてるし。

 恥じらいは無いのかいお義姉ねぇちゃん?鼻息荒くしてんじゃねぇよ。

 

「22時半には帰るから、それまで普段の貴女達を見させて貰うわね」


 ──さっさと帰ってくれ!!


 ……とは言えず、俺は渋々継母の目の前で、義理の姉の髪の毛を乾かしている。


 なんだこの状況……


「あ、夏君ちょっと首熱いや」

「わ、悪い」

「緊張しなくていいのよ。いつも通りの貴方達を見せて頂戴」

「は、はぁ……さいですか……」


 俺は冬姉の前髪を乾かす為に、琴美さんに背を向けた。


 今がチャンスだ!

 ドライヤーの音に紛れて、こそっと冬姉に耳打ちする。


(冬姉、完全に疑われてるぞどうするんだ)


 どうするも何も普通にやり過ごすしか無いのだけれども。


(んー別にいつも通りでいいと思うけどなぁ。実際、私達ってキスまでしかしてない訳だし)

(十分アウトだろ!?)

(毎日してくる癖によく言うよ~)

(誰のせいだと思ってんだ!?)


 本当、俺をからかうのが好きだなこの人。

 ……と言うか、どうして冬姉は俺にキスなんてものをせがんで来るのか……


 ──俺はそれを聞くことが出来ない。

 

 答えが何であれ、今はこの関係を保たなければならない。

 それが親父や琴美さんに対する誠意だからだ。


 だと言うのに……


「あ~夏君日に日に上手になるねぇ~お姉ちゃんは嬉しいよ~」

「……もういいから黙っててくれ……」


 その後、俺達は何事も無く琴美さんをやり過ごし、22時半を越える頃にはまた二人きりになった。


 帰り際、琴美さんが残した「限り無く黒に近い白」というあの言葉、あの目付きを、俺は忘れる事はないだろう。

 

「いやぁ~緊張したねぇ夏君」

「誰のせいであそこまで警戒されたと思ってんだよ……」


 俺達は今、お互いそれぞれの布団に入り、電気を消して、就寝前の会話となっている。

 これぞピロートーク。はは、死ねよ俺。


 もう眠ろう、そう思った時、いつもよりもか細い声で冬姉が口を開いた。


「ねぇ夏君……警戒されてるのに、どうして髪の毛乾かしてくれたの……?」


 いや有無を言わせなかったよね?

 ……まぁ、確かに拒もうと思えば拒めた。

 

 俺がそうしなかった理由、か。

 

「……お願い・・・、なら断れないからな。俺は」

「……そっか、ありがとね。本気で嬉しかったんだぁ。お母さんの前でも、夏君は私との約束を守ってくれるんだって思えた」

「そりゃ俺もここに居たいしな」


 屋根の無い生活はまっぴらごめんだ。


「……そういう言い方、女の子を勘違いさせるから気を付けなよ」

「え?どういう意味?」

「ふふっ、なーんでもない!明日、楽しみだね夏君」

「あ、あぁ……楽しみだけど……」

「本当、楽しみ──」


 冬姉はその後、寝返りを打って背中を向けた。

 地べたからでは、もうその背中すらも見えない。


 ……俺も寝るか。明日は昼から出るみたいだし、人混みに備えて休んでおかないと。


 目を閉じると、すぐに眠気が襲ってきた。

 気疲れが半端無かったからなぁ……


 ──夢現ゆめうつつ、徐々に現実が遠くなっていく。

 意識を手放すギリギリの、あのフワフワした瞬間。

 何か柔らかいものが俺の唇に触れた気がした。


 記憶には残らないであろう感触と共に、うっすらと誰かの声が耳を通る。


「美亜、動き出したんだね。でも夏君は渡さない。初恋は譲れない──」

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