第2話 あたしは何を捨ててでも
中学2年の冬頃、あたしに新しい家族が出来た。
厳しそうな強面のお義父さんと、顔はそこそこだけど、なよっとしたパッとしないお兄ちゃん。
初めての顔合わせの日、向こうの家族がせっかくだからホテルでディナーを、と言い出した。
何やら京都駅近郊にあり、少しお高い所らしい。
あまりお店とかに詳しく無いあたしでも、名前くらいは知ってるくらいに有名な所。
だけど、あたしはお母さんとお姉ちゃんに、二人だけで行ってと伝えたの。
その頃のあたしは
なんで不登校になったか?イジメだよイジメ。
あたしね、すこーし変わった趣味があって、ある日それがクラスの皆にバレちゃったんだ。
よくある話でしょ?
でもそのよくある話は、あたしには初めての体験で、一度逃げるように家に引きこもると、二度と外へは出れなかった。
だから、せっかくの美味しいディナーも、向こうの二人には悪いけどあたしは行くつもりは無かった。
だと言うのに、お母さんとお姉ちゃんが、ディナーへと向かってしばらくが経った頃だ。
──ドンドン!!
「えっ!?なに!?だれ!?」
誰かが家のドアを壊れそうな程に叩いている。
うちのアパートは、結構防音面が微妙だから、こういう音がかなり響いちゃう。
一度それが鳴り止むと、今度は男の子の声が聞こえて来た。
嫌っ……怖い……!!
「おーい!?居ねぇのか!?なら──」
──ガチャッ
「鍵が!?」
なんで!?なんで鍵持ってるの!?
あたしは、自分の部屋で布団を被り、息を殺した。
だけど──
「──見付けた」
「ひゃう!?」
「お前、何やってんのこんな所で」
見たことの無い男の子が、布団に隠れたあたしを見付け出した。
あたしから布団をひっぺがすと、男の子はパジャマ姿のあたしを見て、蔑みの眼差しを向けた。
こ、こうなったら……あたしに出来る抵抗は……!!
「通報しますよ!?」
「おっと……待て落ち着け。まだあわてるような時間じゃない」
「……それ、使い方合ってますか……?」
いきなり押し入って来たのは、あたしとそう歳が変わらなさそうな男の子。
今仙道さんは絶対違うでしょ。思わずツッコんじゃったじゃん。
大体今の子はシックスマンとか──じゃなかった。
……彼はあたしを襲おうとする気配は無く、剥ぎ取った布団を片手に、腕を組んでいる。
「早く着替えろって。飯食いに行くぞ、顔合わせなんだから家族皆居なきゃ駄目だろ?」
「え……顔合わせって……あなたもしかして……」
「そうだよ、お前のお兄ちゃんになる男だ!」
「えぇ!?もっとイケメンが良かった!!」
「ひ、ひっでぇな……」
し、しまった。つい本音が。
夏焼と名乗ったあたしのお兄ちゃんになるらしい彼は、あたしの肩を持って無理矢理立たせようとした。
「ほら、行こうぜ」
「い、いやっ……!」
「……なんでそこまで……」
……あなたに言っても分からないよ。
家を出る事だけで足が震えちゃうこの気持ちは。
なんて言ったら諦めてくれるかな。
悩みながらも、頑張って告げてみた。
「……家からね、出ようとしたら足が動かなくなっちゃうの、怖いの……」
「……何かあったのか?」
「……イジメ……られてるのあたし。あたしなんかが居たら空気が悪くなっちゃうのっ……」
言っている内に、段々涙が溜まって視界がぼやけてくる。
でもお兄ちゃんになるこの男の子は、優しく頭を撫でてくれたりはしない。
代わりに──
「あー原因ってこの気持ち悪いポスターか?」
「うぅ!!」
──あたしを更に追い詰めてきた。
「そりゃあこんなBL丸出しのポスター掲げて……こんな趣味がバレたら皆遠ざかるよ……」
そう、これがあたしの趣味。
男性同士の絡み合いの絵を描いている所を見られて、皆から距離を取られてしまったの。
嫌って程分かってるよ。男からしたら気持ち悪いのなんて。
でもあたしはこれが好きなの!
初対面のくせに、いきなり現れて──
「ば、ばかにしないで!!!」
思わず大声を出してしまった。
ほ、ほらいきなりこんなこと言うから彼がきょとんとしちゃった。
──でも彼はすぐにふっと笑い、あたしの隣に座った。
「ばかになんてしてないよ。お前、これが好きなんだろ?」
「え……?う、うん……」
「気持ち悪いし、俺には興味無いけど……それでもお前が本気で好きな物をばかにはしないよ」
「!」
初めてだった。
友達は皆遠ざかって行った。
お母さんやお姉ちゃんだって、この趣味を辞めさせようとした。
だけど、この人は──お兄ちゃんだけは、あたしの趣味を否定しなかった。
目を見れば分かっちゃったの。
本心から今の言葉を言ってるって。
初対面だよ?いきなり押し入って来た人だよ?
なのに傷付いて渇ききったあたしの心に、お兄ちゃんの言葉が、癒しという名の潤いを与えてくれた。
だから今のたった一言で、あたしの両目から大粒の涙が出ちゃったのは仕方ない事だった。
「お、おい……!?」
「あ、ありがとう……!あたし、今まで……ず、ずっと……!」
「あー……まぁそのなんだ。俺だけはお前の味方で居てやるよ、だから頑張って外に出てみろよ。美味しいご飯が待ってるからさ」
「うん……ねぇお兄ちゃん……」
「お、お兄ちゃん!……いい響きだな……あ、うんなんだ?」
何か感慨深いものに浸ろうとしていたお兄ちゃんに、そっと肩を寄せた。
「……手……握っててくれる……?」
「いくつだよお前……ほら」
お兄ちゃんは右手を差し出して、あたしがそれを掴むと、無理矢理気味にあたしを引っ張った。
「え、待って!?」
「ほらほら!!」
そのまま玄関へと連れ出されたあたしは、体全体が震えながらも、一歩外へと踏み出していた。
──繋がれた左手だけは震えていなかったことに、この時のあたしは気付いてはいなかった。
「ほら、出れるじゃん!」
「はは……強引すぎるよ、お兄ちゃん……」
「おい!?」
あたしは心臓の鼓動がうるさくて、段々と視覚も聴覚も遠ざかり、そのまま意識を失っちゃった。
結局その日はディナーに行けず、気が付くとお母さんとお姉ちゃんが帰って来ていた。
リビングのソファで眠ってたみたいで、お姉ちゃんがあたしの隣に座る。
……あれ、どうやってリビングまで来たんだろ。
まさか……いや考えたら顔が熱くなるや。よそう……
「美亜、夏焼君はどうだった?」
「え?どうして知ってるの?」
「そりゃ鍵渡したの私だもん。美亜の事教えたら真剣な顔して飛んでったんだよ~カッコいいよねぇ」
「お、お姉ちゃんの仕業か……!」
こうしてあたしがソファで、熱を上げて倒れたのは、この姉のせいだってことだ。
この策士め……
で、でも……悪い出来事じゃ無かった。
そこだけは誉めてあげてもいい。
「いやぁ本当にカッコいいよね。はぁ……これから義弟として接っさなきゃなんだよね……」
「お姉ちゃん……?」
「ん?あー何もないよ。ほら、グループ作ったから、美亜もそこで謝っときな」
「う、うん」
グループ……と言うことはお兄ちゃんとやり取り出来るように……!?
一緒に暮らすようになるまでの数日、あたしはずっとお兄ちゃんと連絡を取り、その想いを膨らませていく事となる。
左手に残った熱が消える事は無く、あの時の心臓の鼓動は恋心に変わって行く。
あたしがお兄ちゃんにこの想いを告げてしまったのは、2年後の夏の事だった──
※
8月3日の朝。
昨日は結局、お義父さんとお母さんはあたしの言った事を、「取り敢えず少し考えさせてくれ……」と流した。
でもあたしには待ってる時間なんて無い!!
「お義父さん!お母さん!お話があります!!」
『ど、どうぞ……』
あたしは昨日、お兄ちゃんとの出会いを思い出しながら眠りについた。
だからこそ芽生えたこの感情を抑える事が出来なかった。
朝食を食べる手を止め、あたしの威勢の良さに驚いている二人。
あたしは、テーブルに両手を付いて声を荒げた。
「あたしもお姉ちゃんの家で暮らす!!」
両親はお互いの顔を見合わせて、豆鉄砲でも食らったような顔をしている。
「ほ、本当に日付も時間も、言葉でさえもピッタリ当てて来たわね……」
「え、なにその反応……どういう事?」
お母さんが頬に手を当てて、少し困ったように笑った。
「……冬美がね、美亜が今このタイミングでお姉ちゃんの家で暮らすって言うだろうから、何が何でも止めてねって言ってて……」
「はいぃ!?」
妖怪なの!?お姉ちゃんめ!!
あたしが驚いて固まっていると、「こほん」と咳払いをしたお義父さんが、あたしの方を見た。
「……美亜ちゃん。冬美ちゃんの言葉が無くても、私達は君と夏焼の接触には反対だ。学校でも極力話す事を禁じたい程に」
「……そ、そんな……」
もしも夏休みが終わるまで会えなくっても、学校では一緒に居れると思ったのに!
あたしとお兄ちゃんは、近所にある私立校に、1学年違いで通っているからね。
あ、ちなみにお姉ちゃんもそこの卒業生なんだよ!しかも主席で……
っと、今はそんな事より……事態は思ったより深刻だ。
このままじゃ本当に二度とお兄ちゃんと会えない!!
「……お義父さん……どうしてもダメ……?」
「グッ……!」
「
「だ、大丈夫だ……美亜ちゃん。一度お互い冷静になって話そうか。確か、君達がそ、その……致している事に気付いたのは7月28日だったかな」
「……そ、そうだね……」
そう……あたしとお兄ちゃんが
……本当、迂闊だった。
あれ程に人生終わったと思った瞬間は無いよ……
中学の頃のイジメなんて比にならない、圧倒的な"終わった"感。
「あの時から今日まで、私達はあまり君達と話し合う事無く引き裂いたね。今でもその判断は間違っていないと思っている。話し合うまでも無く、あってはならない事だからだ」
「うん……」
お義父さんの言ってる事は100%正しい。
……分かってるんだよ、そんなこと。
でももうどうしようも無いくらい、あたしはお兄ちゃんが好きなの。
出会ったあの日から、一緒に暮らすようになって、この2年は天国であり地獄だった。
好きな人と一緒に居るのに、どこまで近付いても、分厚い"兄妹"という壁が邪魔をしてたから……
ようやくその壁を壊せたと思ったら、壊した代償はあまりにも大きかった。
「お義父さん……あたしが間違ってるのは分かってるの……それでももう一度お兄ちゃんと──」
「間違っていると分かっていながら、それでもまだ私達を悲しませたいのかい?」
「……っ」
今にも泣きそうな顔をしているあたしを見て、お義父さんが「ただね……」と続けた。
「私達も美亜ちゃんが本気だというのは、ここ数日で痛い程に伝わって来ている。気付いているかい?頬が痩けているよ」
「え……」
家の柱に掛けられた鏡を見ると、あたしは確かにやつれたような顔をしていた。
両親にバレてから、部屋を出る時はお兄ちゃんが自室の外に居ない時にさせられて、食事もお兄ちゃんとは別々だったんだもん。
一々スマホで連絡を入れてから行動するのは辛かった。お兄ちゃんの連絡先も消されちゃったし……
ここまでされたせいで、お兄ちゃん成分が足りてないの……
「……夏焼は幸せ者だな。ふふっ……こう思ってしまった時点で私の負けか……」
お義父さんが、ぎゅっと拳を握り込んで俯いているあたしの名前を呼んだ。
「美亜ちゃん。それ程までに息子を愛してくれた君に、私から提案を出そう。乗るか反るかは君次第だ」
「え……?」
「克彦さん!」
「琴美さん、すまないね──」
お義父さんは、お兄ちゃんと同じ顔でニヤっと笑うと、両手の人差し指を立てた。
「──1つ、夏焼をこちらに呼び戻し、"兄妹"として暮らす。2つ、夏焼を呼び戻す事はしない、ただ少しなら接触を許そう。冬美ちゃんの家で暮らすのは駄目だがね」
「!」
1つ目を選べば、あたしはずっとお兄ちゃんと一緒に居られる。一生あの分厚い壁を挟んで。
でも2つ目なら……離れ離れだけど、お兄ちゃんときちんと恋人になれる可能性がある……!
なら、あたしの答えは決まってる──
「2……2しか選べない!!」
「……良いんだね?最悪の未来──縁を切る事になるよ?」
「っ!」
初めてだ……初めてお義父さんの本気の怖い顔を見る。
これは脅しだ。
そして同時にあたしを試してくれてる。
……本当に、優しいお義父さん。
きっと、2年前の臆病なあたしなら、狼狽えて返事なんか出来なかった。
──だけど今のあたしは違う。
お兄ちゃんが外の世界へ連れ出してくれたから。
あたしは少しも躊躇う事無く即答した。
「覚悟は出来てる!!あたしは何を捨ててでもお兄ちゃんの恋人になりたい……!!」
数秒の逡巡があったように思う。
「──そうか……良く言った。それでこそ
「……!」
「甘いんだから……克彦さんってば……」
「仕方ないじゃないか……これ程に純粋な想いを無下にするのは、あまりに忍びない」
お義父さんは言いながらあたしの頭を撫でた。
そうだ、お義父さんだってこの2年、あたしの成長を見守ってくれた人なんだ。
溢れる悔恨の想いが、止めどなく瞳から流れ出る。
「お義父さんっ……ごめんなさい……お義父さんの息子を好きになってっ……ごめんなさい……!」
「謝らないでくれ……本気の"好き"って気持ちは、例え自分であっても否定しちゃいけない」
「うんっ……あぁああ……!!」
大粒の涙を流すあたしを見て、お母さんも泣き出した。
「お母さんも……せっかくの再婚の邪魔して……ひぐっ……ごめんなさいっっ……!!」
「美亜……!」
お義父さんはゆっくりと立ち上がって、あたしの隣に来てくれた。
そして膝をついて、あたしの顔を下から見つめている。
「美亜ちゃん、約束してくれ……この先、この選択を、何があっても後悔だけはするな」
「ふぁ、ふぁい!!ありがとう……!!」
「……まぁ、冬美ちゃんが本当に夏焼を想っているなら、ややこしい話になってしまうのだけれども……」
……そうだった。
「少々二人の様子を見てみる必要がありそうだね……」
「そうね克彦さん……」
あたしにとってのラスボスは、お義父さんやお母さんじゃあ無い。
本当に余計な事をしてくれたね……お姉ちゃんめ。
正攻法では敵わない。
もう一度お兄ちゃんと会うには、お姉ちゃんの行動を読む必要がある。
たぶんお姉ちゃんのガードが硬いから、お兄ちゃんと二人きりで会うのは難しいかも知れない。
それでも絶対もう一度会って、まずはあの時の事を謝りたい。
そして、今度こそお兄ちゃんの恋人にして貰うんだ。
「待っててね、お兄ちゃん……!」
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