第56話

第56話 空への『破壊』


背骨が折られたような感覚だった。

足を固める骨肉が凍結させたように動かず、四肢は独りでに震えていた。

今まで忘れ去っていた感覚が、波濤となり私の総てを喉仏を靡かせ呑み込んだ。

酸漿ホオズキのような真っ赤な心臓が、肉を割くように乱暴に鼓動した。

 

呼吸の回数と強さが、捕食されるように摩耗するのがわかる。

皮膚の隙間から脂を多く啜った、奥まで透き通る汗が皮をなぞり下へと滴る。

その汗は肌を堪能するように、ゆっくりと亀に相するほどの速度であった。


「嘘つけ。嘘だ……偽りだ」


神経の囁きを尻目に置き、言葉は妨げの全てを縦断し唇から零れ落ちた。

魂と肉体が別つ。

肉体の動きに魂が追いつけない、体は鼓動し呼吸し時間の動きを喫するも、魂は離れた途端からその場で止まった。

肉体は未來へと向かい歩むも、灰色の魂は本当に時間を踏み止めた。


肉体は後ろに振り向かない。

背中に触れようとも、払おうとすら決してしない。

ただワタシを置き去りにして、サヨウナラとも言わず突き進んでいく。

私は遠くなっていく存在を、天体観測のように覗くことしかできなかった。



-----------------------



「それが、お姉ちゃんの本心なの?」


心傷に深く沈み込んだ思考に、月のように優しく狂気的な言葉が耳朶を汲む。

失い手放した物たちが瞬く間にして、刃でも振りかざすように急襲してくる。


「あ……」


その事実を知った時、紛れもない驚きが声帯を揺らした。

赤子でも発せられような、簡単な言葉を爪先の淵に落とした。


背後に言葉では到底記せないような、とてつもなく恐ろしい気迫を感じた。

本来ならば決して知るはずもない感情が、心の泉の奥底から昇り出て、私の心身という一丸を支配し尽くした。


焦燥か何かに背を押され、望まぬままに背後へと振り向き視線を移した。

瞼という砦すらも一切動かず、捉えたくないモノを塞ぎ込むことはできなかった。


「や、さっきぶり」


視線の真中に人が映る。

その角張っていない輪郭、その茂る眉とマツ、その私を見つめる黒真珠を彫ったような瞳。

身体に新たな管を作るような、体内を巡り蠢く耐え難い皮膚を突き破るような疼き。

今に倒れ伏しても決して治ることのない、身体に刻まれた新たな機構。

色を失ったしがない血液が弁の関門を、強引に砕き心臓を破壊するような感覚。


「……なんで?」


ただただ、頭を掴みたくなるほどの疑問を全身で抱えた。

なぜ殺した筈の人間が、当然のように目を開き呼吸をし生きているのか。

コレは決して霊体なのではない、頑なな事実として身に纏う服が微かに吹く風で、小旗が翻るように揺れている。


しかしそれは美しいモノではなかった、私の目には形を持った異様にしか映らなかった。

有りえないことを行使し、あたかも誰がでも手に取るようにでき、そして最後にそれを喉でも潰されたように他言しない。

異様が人間が繕う服を纏い、声を漏らしているようにしか見えず聞こえずであった。


彼の者の周りに降る瓦礫たちも、異様に染まっているように見えた。

その灰色は私の心を癒すものではなく、癒しという皮を被った心を次第に溶かしていく、病巣そのものであった。


「なんでって言われても、私は私の魔術を使って生き返っただけだよ? それ以上それ以下でもない、ただ魔術を使ったに過ぎないよ?」


その声は私のことを、見下すようなものでなかった。

ただ普通のことを普通に語るのみで有り、逆さに普通のことを異様と捉える私に対し、小さい疑問を真っ直ぐに突き出しているように見えた。


「何のことを言っている? 何で、私はお前を殺した筈だぞ、でも何でそうやって地面を踏んで呼吸して言葉を話せるんだ!」


あまりに認め難い真実と事実を前にし、激昂の海へと心中した。

目の前の景色の全てに対しついでもつぎ足りないほどの懐疑をぶつけ、脳漿を満たす激昂に全てを任せ魔術を発動した。

星色の三原色を頬張る魔術を、その憎たらしい言葉を放つヒトの体に押し付ける。


「さっきから分かったようにモノを語りやがって……五月蝿い、五月蝿いんだよ!!」


私の杖のように細く白い指先から、自身の法則である魔術を流した。

誰かのための救世主の頬のように温かくはなく、恋人のように甘い誘いを薫らせるようなモノではない。


「痛いんだよ。さっきから……骨と肉が絡み合って軋むほどにさぁ……」


己の感情だけで作られ編まれただけの、小綺麗すらも握らない汚物。

上部だけの八方美人、中身には醜劣な黒綿まみれの乾いた泥。


「そんな目も頭も使わないモノなんて、服の裾にも当たらないよ」


苛烈な攻撃を仕掛けても、当たったという感触が指先にもない。

その喉奥に詰め込まれた事実を感じると、余計な怨みが噴出してくる。

ただ殺すことが抱いた責務であるにかかわらず、聞かされた言葉を思い出すごとに痛ぶって殺したいという快楽願望を求めてしまう。


時の流れに反し変光を求めない私の中の宇宙の星々が、惑わされるように外へと漏れ出していく。

私の指示の全てを公転のように平然と躱し、流れるなるままに攻撃を続行する。


だがそれに対し憂うことも、疑問で掴み掛かることも決してない。

寧ろそのような状態に陥ってくれたことに対し、天に腕を賞賛と感謝と共に献上しても文句ひとつも押さないほどだ。


「そうやって自分をまたも酔わせ続けるの? あの日ずっと眺め続けた、天体観測の日みたいにずっと一つに執着し続けるの?」


「っ……」


頭蓋を貫き間も無く束ね続けられる言葉に、夢中に犯された力無い声帯で抵抗の意思を見せる。

それもまた不発、ただの空振りまみれの結果が再び蘇る。


「まだ続ける? 意味がないと自分でも理解してるクセに、強がりで一心不乱に狂気を振り続けるの……」


重力のように反発し戯言だと言い聞かせ、攻撃を尋常なくたたみかける。

その全てから痛いほどに、意味がないという答えだけが返って来続ける。


白を中心に鎮座させ明滅する沢山の色が、前方へと波に拡散し続ける。

行っている所業は熱と物量に全てを託した、笑えてくるようなとんでもない物量戦術。

一匹の猫の首を刈るには過剰に過剰を重ね、呆れを案ずる言葉を胃で飲み込んでしまうもの。


「殺せ、私の前で死に続けて……熱い熱い火で最後まで叫び続けて、悶え苦しみ続けて死んでくれ……」


しかしそれだけで心を満たせることはない。

熱く乾いた空気を纏う地を一段と強く踏み締め、攻撃の速度と量を総て加算させて尽きる兆しを五官が眩む光で押しつぶす。


───最後に全てを賭ける。

天と地を平等に破り焼き尽くす、この世で最も美しく狂気的で呆れるほどに雑な攻撃を、綺麗なキャンパスのような世界に訴え続ける。

多種に根を伸ばす世界を、無慈悲に躊躇いなく自分の色で汚し続ける。


「どうだ、息をすることもできないだろぅ? 肺に酸素が送られていない感覚が、皮膚からでも感じ取れるだろ?」


一世一代の神業に掬われた心は、感じたことがないほどに悦んでいた。

九穴から脳汁が垂れ流しになるほどに、激しく絶え間ない脈を打ち続けた。


死に顔でも拝んでやらんと目を見開いた。

目前で真っ先に飛び込んできたものは、樹木のように枝を撹乱させる白の煌めき。

まるで世界最高の絵画があったとしても、全くもって足の爪先すらも齧ることができない。

宙上ソラの銀河を雲と同じ位置までに、卸し星雲の海を広げた。


「死ね、何もできず私に為すこともできず、口塞いでその命を枯らせぇ…………!!」


銀色だけでなく星雲の白、恒星の赤、恒星系惑星の水色や緑や黄色などの彩を、極限までに手先で踊らせた美術。

全細胞が痙攣するほどに美しい、まさにこの世にあるまじきというべき一景。

人が目に映すことすら憚るそれは、縄のように細い繊維の一本が星の輝きそのものだった。 


「どうだよ、やってやったよ……私をその言葉で、無下に弄んだお前のことをよぉ!」


害獣の奇声のような声を高らかに叫んだ。

血の気に炙られた身体から漏れるには、他のものを寄せ付けないほど似合っていた。


空には個々に遜色を捨てた星が次々と編まれ、堅牢なビル群を無差別に喰らい続けた。

もはやその殺戮の連鎖を止められる者はおらず、ただ己を焚べた全てを減らし続けるのみであった。


全てが平等に塞がれていく。

地面も建物も星々に捕食され尽くし、綿飴のように光に吸収され痕跡を、一切も残すことはなかった。


「……これはいい加減止めないと。収拾がつかなくなる」


何か声が聞こえた気がしたものの、耳から外へと流し出し破壊を続ける。

光の軍隊はまるで音楽を奏でるように、破壊に破壊を重ね続け、私の心の中を継ぎ足すように満たし続けていく。


「あははは、あっ……ははは!!」


その稲妻のように苛烈な螺旋のような乱舞が、一層と血液の巡りを加速させ、血管内部が削れているような感覚が筋のように張る。

空に白色の炎が灯り、世界の崩壊が本格的に始まった。


私の心はいまだに加速し続けるばかりであり、段々と自らの存在に疑問を抱き始めた。


「と……まれ。いい加減にその殺しに溶けた頭を、痛みで冷やせ!!」


思考が未踏の方へと進みかけた途端、背筋を何かが抉ったのだ。

それは私が受けてきた何ものよりも痛かった、弾丸の弾頭など腹痛程度に落ちる程に、その一撃は私というモノの奥底に響き渡った。

髪よりも細い神経を辿り私を痛めつけ、脳の構造が裏返るほどの激痛を催す。

その一つ一つに涙ほどの慈悲もなく、ただ無機質な痛覚を私に教えるだけであった。


「痛っっっい………。

な。何がっ?」


肺が握り潰されたように声が洩れなかった。

困惑が思考の枠を切り落とし、根のように深長を延ばした。


「止めただけだよ、これ以上の横暴は首を切っても足りないくらいだ」


何者かの怒りの矛先が、自身に向けられていると脳細胞が断定を下した。

すぐに破壊しか能を与えられていない、白々とした星々に語り掛ける。

私とお前たちの極楽に杭を打つ、この圧政者の魂を空気になるまで破壊しろと。


私のタールを拭うほどに黒い願望を、吐瀉物のように魔術へ全て撒き散らした。


「邪魔……するな、そうやって……止め……」


次に選び込んだ言葉に紡ごうとした時、言葉の線が二つに切り落とされた。

歯同士の隙間からは湧き水のように、濁した泡が浮かぶ唾液がこぼれ落ちた。


伸びきった声帯が解れ、弁で塞がれたように声が出なかった。


「もう喋らないでくれ……そうやって言葉を綴るごとに、無要な苦しさがお姉ちゃんの心に在り付くだけだよ」


「うる……さい、喋るな!」


言葉通りに声を出すと、肺の中にコンクリートを入れられたかのように、重く痛みにも勝る苦しみが襲ってきた。


「喋るな、喋るな。私に近づくなぁ!!」


嘆く体には誰も彼もが、遠くにいるような孤独を感じた。

もう一生私に付き纏うことがないものと思い込んでひた隠しにしていたものが、叛逆を志したように刃を向けた。


「クソ……やめろ、私に私の体をそんなつまらない代物で、犯すように嬲るぁぁぁぁぁぁ!!」


五官が破裂するほどの声を、不倶戴天を切り裂くように吐き出した。

白く香りを持たない霧が、私の首筋を疼かせた。

何も感じ取れなくなった、全てを白い霧の底に隠したように、動くことのない時間の牢屋に閉じ込めた。

私今の私に必要なものは徹底を“天譴”とする、無機動で無価値な『破壊』のみ。


私の衣が定まった。

誰かに命じられたわけでもない、誰かが私の体を奪ってるのではない。

この肉と骨の模型も、相当な前に役目を失った内臓も、その全てはただ独りの私にのみ与えられたものだ。

この灰色の魂が抱くのは『破壊』、全てを破壊し尽くせば私の善業も悪業も全て無へと戻り、全てが平等となり終わる。

全てを終わらせることができれば、それで私の理想もが叶ったも同然。

誰かの命も私が終わらせることができれば、それで全ての人は平等に終わるのだ。

善人も悪人も私の手の元で砕けば、千差万別なく掬われる。


「そうだ……これでいい、完璧な図形だ……!!」


私の心が高揚を手にした時、手の内に何かが落ちこぼれた。

意思に従い、力を溢しながら視線を下ろした。


私の右手には細いモノが握られていた、まるでクエーサーの中心を貫く、幾億にも及ぶエネルギーの収束体。

それに定まった色はなく、白であり赤であり青であり黄色でもあった。

世界の創生の日と同じような色だった、一つの惑星の終わりの遠吠えと、一つの惑星の初まりの産声が私の目の奥を覗いていた。


「これが……ああ本当に私は、空から舐めるように観察してくる手が届かない神に!!」


心は、世界が疎ましいと囁いた。

子供のように嘆く心に、私は暗黙と聖母が如く頷いた。

その極彩色に至るほどに幻想と現実を混ぜ尽くした、棒状に伸びる何かを手に力を込め空に降りしきった。


未だ尚、空には樹のように一光年先までもを貫くような星の繊維が、私の心を養分として恒久的に根を伸ばしていた。

そのかつてないほどまでに、私を舞台の中心に立たせた従者ホシに、今一度と語るべきに祝福の念を挙げた。


「おめでとう、私が作った最強の星よ」


星々は公転を始めた。

人の力により地面に織られた、石造りの建物たちが重力に逆らい空へ向かい翔び始めた。

自然の摂理を語るように、コチラが何も違和感がないと思わせるほどに。

空を仰ぐ其れは繊維に至ると共に、一つの星へと身体の構造を歪に曲げた。

科学に支配された都市が、反する魔術に染まっていった。


後方から嘆きさえ慄く声が聞こえた。


「これは……最悪だ、予想の内に入れては居たけれども、こうも露骨とタイミング悪い時に来るなんて」


まるで何も知らず典型的な文を並べるだけの、"救世主モドキ"の声であった。

その声色に私は興味を唆られた、私の気をここまで動かしたのはコレが初めてだった。

右手を添えながら、身体を後ろに向けた。


「あ、ぁぁぁぁ……」


地面に顔を付けてしまう程に跪いていた。

網膜の泉が、枯れるほどに呻いていた。

星々の光を吸収し反射すら許さない黒い髪、魔術師らしく白いローブを羽織り、行儀良く宝石細工の杖を手元に握り……。

そして、霧が掛かったたように奥が見えない、静脈血を駆逐するほどに黒い眼。


それを分析した途端、私の思考を垣間見たように屍が如く、地面に傷もシミもない顔を傾けた。


私の心を嘲笑う様に言葉を語る者が、怖気付き子鹿の様な姿が面白かった。

声を出さずに心の内で空を分つほどの盛況で、一溜りなく笑い続けた。

固く繊細な喉元が悶え、呼吸が不安定になるほどに気道が靡いた。


「どうだ……? これがお前にとっての地獄か?」


尋問のように目の前の人物に語りかける。

しかしその顔は帳のような黒い髪に隠され、一切として表情を覗くことはできない。


「────」


それとて声響かず。

“時が止まったように”、という表現が最も適切であった。

水のように流れる状況は行き詰まった、瓦礫が河川の両端を一線に塞ぎ込むのと似ている。


「死んだか? やることなすことの規模に耐えられず、物理的に脳みそが焼き切れたか?」


言葉を駆り立て、夜のような黒髪に垂らす。

だがそんなアプローチを取ろうとも、人々の喧騒のように言霊の借り貸しをしない。

腐乱に食された家畜の死体のように、静寂を私に捧げるのみだった。



この状況じしょうを見下ろすように、瓦礫は多種多様な形を持ち空へ飛んでいた。

錆びれた無機質な鉄の骨を突き出した形を取り、四角形に切り取られた世界の原初のような形を取り、散々に千切れもはや自身の姿を無くしたような形を取り……。


しかし結局は変わらず、皆々は同じ白い繊維に姿を転がした。

天上の世界を望まずに目指し、無理やりに外も内もを刈り取られ、特出した香りも風貌もない白く光る繊維に変えられる。

この一面の白に輝く銀河の樹は、規模は小さくとも今や星の支配者そのものだった。


「綺麗だろ? 綺麗だろう? 私の心が作った、この天を見上げるほどの樹は」


爛々たる星が渦巻く中で、流れ星のように言葉を落とした。

単直なものであり、一瞬にて過ぎ去るものであった。



「汚い……この上なく」


目が抉れるほどに開いた。

耳に流れた情報に私の想像と差異が無いか、急速に分析をした。


「汚い? 何処かだ、美しいじゃないか! 芸術作品のようなこの世界は、まさに神の至る天界そ───」


首筋に糸のような熱さを感じた。

繊細であるものの目標に対し、正確に針を通す神に至らぬもの仙人のような業。

それが今、神業を体現したもはや神に等しき私の体を難なく無尽に切り裂いたのだ。


「……?」


妄想に浸りながらも、視界の奥に着眼した。

底が見えないほどに黒い髪が、風に吹かれた枝のように揺れていた。

装飾された攻撃力が全くも見出せない杖は、その下劣な装飾が腐れるほどの、大量の血に染まっていた。


「は……なんで?」


脳天から爪までを疑問が貫いた。

なぜ私が倒れてるのかが分からなかった、固い地面に次々と身体が伏す。

それは止まることなく摂理のように、ただ敷かれた道を通うだけであった。

細胞に響くほどの後悔が、細い体の通い路を渡った。


「もうダメだよ。こんなもの、終わりにしないと……」


慈しみだけが織れられた言葉が落ちる。

苛立ちすらも感じさせない、その言葉に耳を傾けるも。

何を目的にしてそれを語るのか、誰を標的にしてその言葉を溢すのか。

その全て、理解の内にあらず。


"お前は何を言っているんだ。誰に向かってその声を吐いてるんだ?"


身も心も疑問だけで満たされた。

己が死んだ鳥のように、一切として力を振るえず倒れ伏したこと。

攻撃の瞬きに目をつけることが出来たはずなのに、それすらも出来ずに落ちたこと。


千里をも貫くほどの大言に喉を踊らせておきながらも、吐息をも遮断する迅速に齧られ急須を獲られた。

恥辱という言葉を慕いたくなるほどの、くいの念に心の筋を押しつぶされた。

もし髪一本でこの結果を排することが出来るのであれば、髪だけでなく麗美なこの身体を捧げてまでも懇願する。


「あぁ……本当に、どうこう上手くいかないんだ」


数分前までは視野に入れるまでもなかった、諦観を啜るにまで至った。

愚かさも何もかもを私の青に濁ったこの瞳で、瞼が腐るまで直視しなければならない。


涙腺が孕む水分が乾くまで……。

銀河という宇宙の湖、万年を経て一滴も残さず蒸発するまで。


私は立ち上がることのできない時を、憂も涙もこぼしながらずっと待ち続ける。

世界が洒落た変化を遂げようとも、宇宙が脱皮を遂げようとも、この無限の伸びしろを続ける世界に呆れながら。


空を見上げた。

首を上に傾けず瞳孔を回しただけであり、数粍の体力も飛ばさず。


“これを手から離さなければならんのか……”


天に幕を下ろすは、網状にも格子状にも見ゆるそれは、飽きることもなく枝を成長させ続ける。

舌先から溢れる唾液のように、河川の流れゆく道にしか従わない水車のように、それを養う素分は尽きることを思わせない。

落雷を思わせる不定な形を示す、私の手から独立してしまった。

手の届かずただ己の道ゆく場所に、私には理解できない思考を描きながら、果てのない旅道を進む。

まさに、籠から放たれた鳥であった。


子のように依存しながら愛した。

しかし今やどうでもいい、その星々が私の身体から何処かに還ろうとも、私は観測者のように見届けるしかない。

その背が、私の眼から消え去るまで。

久遠に辿る道をも見ることのできない、不孝者として。


「ここが、私の終わりか……? 境地の果てに見た、燦然たる現実か」


それ以上の発言は、私の気が許すことがなかった。

無軌道の綴はまたもや、あの星核の炸裂の如き惨劇を生みかねないと。



第56話 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る