第55話

第55話


私の白色の道は正しかったか。

この辿った糸のように伸びる道は、本当に私が辿るべき道だったのか。

偽りを真実と崇高に信じ、ただの幻という掌で踊らされていたのではないか。

そもそも…‥道など、思い込んでいただけであって、本当はただ灰色が広がっていたのではないか。


この道は私の過去の記憶を、全て忘れ去ったはずの記憶を無理やりに連想させる。

まるで棚の中から当たり散らしに、物を引き出しているようだ。

膝を折り曲げることですら、相当な体力を泥水同然に吐き捨てる……。

常に痛みと苦しみに苛まれ、息すら絶え絶えが普通となりつつある。


私の身体の内側を飾る、臓腑すらガラクタとなりつつある。

身を包む皮膚すら全て肌色から、石にすら劣らぬ灰色になりつつある。

この体の全てから血飛沫をあげようとも、灰色を塗りつぶすことすらできないだろう。

そう、”一切“も。


口からいくら反吐を溢そうとも、全く物足りない。

その反吐すらもコンクリートの度を超す、ドロドロなど言葉甘い程の”粘性“。


恐ろしく墨の如く。

底のない黒に堕ちるほど、この灰色が煮潰されようとも。

私は動き続けてやる。

今では果てのない白色の道が、何処かで切り落とされたように途切れようとも、私はこの道を歩き続けてやる。


いつか四肢が緩んだ糸のように解け、体がバラバラになろうとも。

私はこの長く続く道を、足を引き摺りながらも転げならがらも行ってやる。


最後の時まで、殺されるまで。

私の道は続くのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「はぁはぁはぁ……」


周囲には静寂が帯び仕切り、全てが熱り冷め凍りついていた。

息を吸うたびに筋繊維が嘆き、肺を司る肺胞が痺れているように感じた。

唇が乾きに染められ、発音が不分明になる程の身震いが繰り返される。


身体には力を注げるものの、四肢は石同然に重い。

ただの肉と骨と皮下脂肪の塊であるのに、持ち上げられないほど重いのだ。

その幻のような現実を受け入れられず、上げよう上げようと努力する。


「なんで、なんで。身体がいうことを……」


努力など空白同然に虚しく、状況が一転することもなかった。

押しても押しても微動だにすることのない、万年も鎮座する苔生した磐石の如くであった。


努力の腑に刃を突き立てられたという現実に、呻くことすらできないほどの消沈に狩られ浸らせられる。

何も考えることができなかった、何を声からこぼせばいいか、これから何をしようか、仲間が大丈夫か。

その一欠片程度の花弁すらも、掴むことができなかった。


時間の流れに従い、呼吸をすることしかできなかった。

その度に肺胞がうめくものの、それすら翅虫の羽音よりも低俗に感じた。

鼻腔を突き刺す空気も、尖った研磨を極めた針のように痛かった。


「マズイ……このまま動けないと、あいつの攻撃で……」


視線を目前に向ける。

そこには苦しみをかき消すように、声にならない叫び声を上げる少女の姿があった。

耳の鼓膜を切り裂くように貫通するそれは、不快など比例にならないモノだ。


「いったい。痛い痛い痛い痛い、痛い助けて助けて、誰か誰でも私を助けて」


支離滅裂に触れかけている文言は、人のものではないのは火を見るよりも明らかであった。

まるで壊れた機械が、定型分を複雑に構成しそれを出力しているとしか見えなかった。


その神経が摩耗する場面に、脳天を貫くような戦慄を覚えた。

先ほどから荒れ狂っていた鼓動が、また一段と激しくなる。

体内が次第に無秩序へと近づいてることを、無理やりながら実感させられる。


「まだ大丈夫か。この生死を分ける瀬戸際が、どれだけ続けばいいか……」


余興が塵のようにも積もってくれない、全身が凍えるような現状に声溢した。

溢れた声は少女の叫び声に蹂躙され、瞬きよりも早く失せた。


石のように固まったこの身を引きづり出すように、ともかく動けと手取り足取り努力する。

方法など悠長に考える暇はなく、ただ出来ることを全て成す。

雑で危険で脆弱であろうとも、無差別に全ての手段を取る。


「これしかない。意識してないとダメなのがすこし癪だけど……!」


躊躇わずして魔術を発動した。

須くもを実現してしまう魔術、其の気に成れば地球や宇宙、そして全ての次元諸共すらも破壊できる異界の法則を押し付ける魔術。

応用しようと思えば振り翳された攻撃を、直撃し命を奪う瞬間までの時間を消し飛ばし、あたかも攻撃を避けた様に見せることができる。

しかしその間の自身は、何処に消えたかは本人にも理解できない。


この魔術の行使に手違いなど決して許されることのない、秘中そのものと言ってもいい。

もし間違えようものなら地獄で永遠に灼かれようとも、釣り銭が山脈のように迫るほど罪深いもの。


「異界幻像起動……!!」


周囲を鉄の牢が如く取り囲む空気が、レバーを切り替えるように入れ替わる。

堅牢な城郭のように重く、液状化した鉛のように息詰まる。

首に枷をつけられたようであった。


頭の内で言葉で表すことのできない、何かの琴線が切り落とされたような気がした。

稲妻のような爪先まで穿つ感触が、自覚にも収まらぬ霹靂を纏い全身に広がる。

痺れるというよりも、燃え盛るという表現が正しいだろうか。


「良かった、効果いみはあった……」


とてつもない激痛が迸り、四肢がちぎれたと思わせるもののその様なことは全くなく、むしろ四肢が自由自在に動く。

それこそ水を得た魚の様に、何でもできると行かずとも普通ありていのことは難なくこなせると確信した。


「今なら……この隙に、倒せずとも腹の奥に響くぐらいのダメージを与えてやる」


舌が噛み切れるほどの気迫を孕んだ言葉を、出血が如く溢れ落とす。

怨みなど肌身で感じることはなかったものの、その綴り言葉を眼に呑ませれば分かるだろう。


寝覚めに浸り耽る腕を、水を吹っ掛けるように血潮が造った力を浴びせる。

何も痛みなどの違和感を訴えることはなく、息を詰まらせたように黙りこくり従った。

己が腕は只々、夏気とを享受し揺れ動く空気の流れを感じながら、脳の言葉に従うモノという本来の役目に成り果てた。


「そしてだ、腕あげて戦うのなら……これも大切よな」


思考を生むほどの速度が手元に走り、手の内に何かが落ちた。


銀色を繊維とした銃身を帯びる、逆光を全身で返す一梃のハンドガン。

目のうちに入らない細部まで、底を抑えるように無駄を省いた造形。

気が病むほどの夏気の直射すら無象のように諸共しない、耐熱性を構え……。

取り分けそのような美形に反し、腕を伝るほどの重さもない。


「特に問題ないね、良かったよかった」


一瞬の悦びに目移りし固く膠着した頬が、白湯で茹でられたように柔らかくなった。

しかしそれに縋るのは呼吸よりも短く、瞬く間に現実じじつへ瞳を合わせた。


水結晶のような少女は未だ尚、体を襲う痛みに惑わされていた。

昨日を抱くことができない両腕を、一点に見つめ言葉にならぬ言葉を嘆いていた。

その声は不協和音そのものと、表現できるほどである。


「ぐっがぁぁぁぁ、あ、ぁぁぁぁぁ!!」


まるで青空が割れるような、とてつもない叫声であった。

年老いて爆発寸前の一惑星のような、その惑星を包む銀河が何かに耐え凌ぐことができず、のたうち回り荒れ狂っているようであった。

表現が窮屈で複雑であるものの、こうとしか表せないのだ。


「……なんて大きさだ。片手で数えるほど聞いたら、耳の鼓膜が爆発しそうだ」


異様な様に恐れ腹を抑えるように、唇を噛み締め跪いた。

大嵐が吹いているわけでもないのに、まるで塵のように吹き飛ばされそうだ。

今にでも地中に張り巡らされた地殻が感化され、爆発してしまうと思い眩んでしまう。


「なら、この声を今すぐに……胸の内に閉じ込めてやる!!」


その大声が覆う空間に、宙の一つの一等星のような声を放つ。

決して果てが見えないほど膨大な銀河には及ぶことはなく、ただの幾千の星の爆発と同等である。

人間の観点で表すのならば、ただの石粒が転がるのと変わらない。


「喰ぅうぅ……」


全身全霊で靴底に力を込める、骨に深々な断層が開きそうなほどであった。

足が地面の一部と化しているのか、はたまた地面が足の一部と化しているのか。

そう錯覚してしまうほどに、今まで起こしたこともないモノであった。


「らぁぁぁ……えぇーーー!!」


両腕で目一杯にグリップを収める。

少し重いトリガーに、右人差し指を返のようにかける。

一秒一秒と時間が削られていき、状況はより一層に最悪へと刺し進んでいく。

海の渦のように、全てを底へと飲み込んでいくようであった。


「……翔んでけぇぇ!!」


しがらみが感情を揺さぶろうと、誠意努力を惜しまなかった。

だがそれを鬱陶しいモノと定め……。

黒い引きトリガーを引き絞った。


手元から酸素が弾けるような音が、火を灯すように鳴り響いた。

弾頭は音と共に銃口を闊歩し、薬莢を振り下ろしひとりでに跳んでいった。

飛沫しぶきのように細く薄い硝煙が、銃口を起点とし空に向かって立ち昇った。


「────」


心は空と綻び、何も持たない黒い虚だけが寄り添った。

業火のように熱烈に昂った心は、引き金を引くと同時に消沈しきった。

バケツにくべられた表面張力が満帆な水を、溢したように一瞬の出来事であった。


弾道は見えない、弾道は見えない。

しかし地面に墜落した金属片の薬莢が、その事実を言葉無く語る。

銀色の銃身の網膜を焼くような逆光が、白々と嗤うように燻った。


「っっあぐがぁ!」


心の内の何かを一段と炒めるような、血潮を吐き散らした叫声が水滴の波紋のように、世界の一篇として生まれた。


思った。

これは弾頭が当たった唯一無二の証拠だろうと、疲れに摘まれた灰色の脳細胞でも理解ができた。

その途端、体の隅々に行き当たりばったりの想像から生まれた安心感に、背中から覆われるように包まれた。


静寂が世界の片隅から漏れ、すべての音が平等に死へと向かった。


「はぁはぁ……や、ははは」


笑い声のような声が口から漏れた。

実際には笑ってなどいない、寝ぼけているならともかくとも今は寝覚めではなく、しっかりと意識は健在している。

ただ妙に都合が良いような展開に、呆れのような何かが体の中に生まれていたのだろう。

超大な力を振るっていた者に、あんな簡単に傷をつけられる現実に本能的に思ったのだろう。


「簡単じゃないか……針穴に糸を通すみたいな手の掛かることじゃない、ただ簡単なことじゃないか」


刃物のように鋭くもない鉄の塊が、難なくと敵の身体を貫いたのだ。

変哲のない施策も講じず、ただ先端が尖り二つに分裂するという、子供の玩具が如き性質の物体。

それが身体の内に長く残るであろう、甚大なダメージを刻んだ。


「や、った」


あまりの歓喜に諭され言葉が詰まる。

呼び起こしたかのような微笑みが顔と心に浮かび、緊迫とし厳戒たる空気が一瞬にして解けていった。

戦場に足を踏み入れているのに、心拠り咲かせ落ち着くなど当然ない。

しかし今は別、今は相手に攻撃が通ると知った時点で、この土壇場の間の余興に触れることは確定していた。


しかし安心し切ることはなく、身体の中から力が抜けることはなかった。

大傷を刷り込むことが可能と知ったとて、その一打が戦況を変える手立てにはならない。

灯った戦火のほとぼりが稚児のように、目を閉じる事がないのはそれであろう。


「この……。

はぁ……はぁ、このやろう……ころ、してやる」


途切れ途切れという風な声が響いた。

その細々と嘆く声は、墨汁とは比較にならないほどの黒い怒りに満ちていた。


「あっ」


声に気を向けた時には、既に足の腱を握られていた。

目の前にはへし折れ尽くし直角に傾いた腕の骨を、此方の首元へと伸ばし骨董品のように見せつけてくる。


「ま……じゅつ、を……き、起動」


萎れた肺から漏れる空気で、分からずとも何故か理解できる定型文を語る。

身体中に根や渦に近い悪辣な予感が、波のように迫り上がってくる。


「ふー、すーっ、はー……っっ」


俄然も意味を成さない呼吸を、機械的に何度も繰り返す。

風に揺れる枝のように震える網膜に、薄膜と成らんとする潤涙がへばりつく。

唯、紛れもない甚しい恐怖だけが、盾として鎧として身を包む。


先ほどの歓喜の気は過去の記録となった。

繁栄した大都市が瓦礫だらけの平野となるように、少しの時間だけが流れ一瞬で崩れ去る脆いものであった。


「一か八か」


逃げ場をとっくの当の前に失い、正気の硝子は砕け雪結晶のような細かな破片と化した。

後ろに引こうが横に引こうが、結果は大凶から吉に転じることはない。

ただ目で認識し、ただ耳で聞き、ただ肌で感じるのみ。

今は冷静心や平常心などという、理性の象徴たるべき感情はない。

焦燥や恐怖という人の悪情に関するものしか、この六尺に満たない身の内に残っていない。


「異界幻像起動」


呼吸よりも脆弱で真小な声を打つ。

成長は澄んではおらず、真夜中の雲のような澱みに沈んでいた。


数メートルという指で測れるほど先に居る、敵目掛け魔術の発動を定める。

瞳という照準が直線上に延びる、右手の指という弩を直線上に束ねる。

この一撃ぱつが起死回生の礎となる。

戦況が大きく変わるわけでもない、ただの“最低限”の施しだ。


「行け……あの腕を切り落とせ!」


言葉と共に指の水平線のような爪の間から、流風のような何かが飛び出す。

視覚はできない、音として耳で靡くことはない。

しかしそれは瞳の向いている方向に、狂いなく飛んでいったのだと理解できた。


一層とあの少女の腕に視線を集中させる。

視界は夜の帷に包まれたように、時の流れとともに段々と暗く狭まる 。

終いには羅刹のような形相をした少女の顔色すらも、潰されたように完全に見えなくなるほどであった。


「…………」


何も耳の中に溢れなかった。

黒に塗れた視界に夜の月のような、淡い潤色の赤色が割り込んできた。

まるで……まるで、この先の未来の矛先を覗いたような感覚が心を貫いた。


「やっぱり腕を殺しておいて良かった……機転の戦なら、私に軍配が翻ったな」


己以外のものを悉く見下ろしたような台詞が、灰に澱んだ空気を泳いだ。

集中力を躊躇いなく削ぎ落とす、防衛本能が"逃げろ"と乞うように喘いだ。

思考回路は構造を無理やり切り替えたように、危機回避の唯一色に染まった。


「よかったじゃないか……このまま私の手で殺されれば大好きな皆んなと一緒に、カリノフ橋を跋扈に横断できるぞ」



「ははは……。はハ……」


随まで非力で練られた、誰かの笑い声が耳元で囁く。

その不定形な笑い声が響く限り、肺の中から次第に空気が去っていく。


「決まった変哲のない事実に、遂に狂ったのか……?」


もう一つの声が、笑い声よりも遠くから聞こえた。

蔑み睨み付けるように、この空の天上から見下ろすモノ。



「そんなこと、在るわけないだろう」


脳裏を一多に鷲掴みにするモノが響いた。

それは人間が漏らす声というよりも、セミ蟋蟀コオロギ等々の、夏季昆虫ワスレジ鳴声アエギに最も近かった。


毎度リアクションを世界へ賜る少女は、全く声を漏らさなかった。

少女の表情を伺い知ることはできなかった、しかし彼女の表情は経験上から予測できた。

その黒真珠が嘆くほどの美しさを持った、双眸を水晶のように丸くしているだろうと。


「なんでだ? 何故、この声が耳の中に響くんだ……」


少女は足を掴まれたように硬直していた。

大氷をその胸に抱いたように、全身は動きを抑えられながらも細い四肢が震えていた。

言葉は弁を施されたように、声を漏らすことはなかった。


「甘かったね御姉ちゃん。

死人の顔は最後まで見つめ続けないと、自分の踵が掬われちゃうよ?」



第55話 終

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