第54話 終わりの連鎖
指先すら動かせない。
心臓の鼓動は響き、思考を巡らせることはできる。
身体自体はしっかりと生きている、だが体は脳の言うことを聞いてくれない、まるで四肢に張り巡らされた腱が食いちぎられたようだ。
風の動きが止まった、響く音も止まった、世界中の動きが止まった、全ての動きが平等に止まった。
身に余るほどに溢れ出ていた汗の、滴り落ちる感覚も消えた。
身体を穿たれた滲むような痛みすらも、麻酔をされたように消え、過度な身体活動により熱された血液の生物的な温かさも感じ取れなくなった。
しかし意識が沈むことは、刻々と過ぎるとも起きなかった。
波形で例えるならば、身体の状態は波が揺れいつ悪化しても頭を抱えない程である、だが意識だけは揺れることはない。
ただただ果て無い高速道路のような、一直の長い線を描くだけである。
「う……」
ただ一つ、声が漏れた。
苦痛なんてものから来たのではない、ただポロッと漏れただけだ。
蛇口から滴り落ちる雫のような、自然そのものの循環かもしれない。
今の世界の上を太陽が廻り、今の世界の上を月を先頭にし星が廻り。
例の規模は人では理解できない、とてつもなく大きいものの、結局はそれと同じである。
「やった……やっとだ、これで終わったんだ!!
これで私の短い怨讐は終わったんだ……!!」
その声、青空のように澄んでいた、透き通り並ぶものがないほど鮮明だった。
全身から溢れんばかりの、歓喜遍く声が目の先から聞こえた。
その様相はまさに久遠叶わないと思っていた、願いが叶った子供そのものであった。
その歓びの様は感情の物差しでは、測り取れないものだった。
どこもかしこも見ても、声の様子はもはや人のものとは思えない。
人らしきものが喉奥から、出したと言わざるおえない。
「うひっ……」
認識できない何かが、どこかから引き抜かれる。
そして止まる間も一切無く、次弾が俺のどこかを一心に襲った。
前述の通り、当然ながら列記とした痛みはなく、ただ大小両方の重さが全身を駆けるだけである。
「また出た、また出たよぉ……。綺麗だキレイキレイ」
まるで何かを称賛するかのような、嬉しさや喜びが噛み合った声だ。
獣が少しの言語機能と知恵を持ち、言葉を嬉々として吐露しているとしか聞こえない。
痛ぶられているこちらですら、楽しそうだとしっかり伝わってきた。
段々と、眼は通常と癒着するほどまでに霞んだ。
するとその霞んだ目ですら認識できるほどの、雪同然に白い腕が体に迫ってきた。
その白い腕の魂胆はわからなかった、身体のどこかを重点的に触れていた。
その手つきから伝わるのは、抑えきれないほど肥大化した喜びだった。
もし手に口がついていたのならば、満面の笑みを浮かべていただろう。
白い腕は満足したのか、身体の内からゆっくりと退いた。
手には殺風景に特色を彩るような、赤い赤い液体で染められていた。
その赤い液体が端まで覆う手を、力一杯に握り締め始めた。
まるで寒空の下の雪が降り頻る日に、暖という灯火を求める動物そのものだった。
「あったかい……何これ初めてだ。この暖かさ、私の灰色の心に沁みる」
不思議と喜びを適当にかき回した、美しく狂った歓声が耳を切り裂いた。
その声は手を掛けるもの全てを、底無し沼のような、際限ない恐怖に沈めることが出来る業物だった。
「もっと、もっとだ。氷化した私をどうか、暖めて溶かしてくれ」
甘々しい声で懇願するように、懐より下から漏れる赤い液体を求めてきた。
"余裕など一寸も残されていない"、端まで削れた思考の隙間で想ふ。
身体という、魂の皿が容赦なく削られる。
刺され、抉られ、削られ。
血管という身体の生命の水脈から、生々しい"赤"が漏れる。
その度に白い腕がこちらの方へと伸び、それを次々と奪い去る。
空虚と戦慄が身体も魂も侵した。
この時間が果てしなく続くのかという空虚、この身体をどこまで崩されるのかという戦慄。
それが、開かれた身体の傷口に染み渡った。
痛みは全くないはずなのに、何故かナゼか体内が動揺した。
「えへっ」
視界に広がる背景が、少しだけ鮮やかに映った。
白い手が纏う白色が美しく見え、それをキャンパスとするように上から
またもや脅かすように、悪寒のようなものが全身の細胞を貫いた。
「暖かい、甘い、もっとくれ……私にもっと、生きていると言う悦に浸らせてくれ」
懐のうちが嘆くように呻いた、壊れたように止まった世界の中で、月光のように爛然と輝いた。
自身の中で失った何物たちが、糸を引くように戻り始めた。
収束する感覚を言葉に表すならば、細密に糸を編む裁縫そのものであった。
その赤い液体に感情を見入らせた。
先ほどまでそこらの草木のように、何も感じないはずであったのだ。
しかし今や赤い液体が視界に片鱗を見せると、言い表すことのできない"在りし日"に迸った、人の生き筋を編み司る感情を感じた。
「……あ、あぁあァ」
正確に鮮明には聞き取れない声が鳴る。
それは紛うことなき、己の肉声そのもの。
響く肉声は、まるで何処かへとつなぐ白糸。
白糸が救世の物であるか、変わりて暗き悪魔の呼び声であるか。
それはこの閉ざされた脳では、解くことができない。
遠い場所にて霞む何かが聞こえた。
包まれるような愛おしさが、万杯しきっているものだった。
「どぉしたんだ、苦しいのか……? それなら好都合、お前が苦しみに溺れながら死ぬのなら……私は
蛇のように蠢く白腕の動きは、一段と大きな軌跡を描いた。
身体の深層にまで手を入れ込み、求めるように流れる血を掴み出す。
「あは、綺麗。キレイれ……あれ?」
白腕の手の主が声を飲み込んだ。
思いがけないものが見えた、と溢しているような声色。
しかしその内からは、驚嘆と言うべきものは感じなかった、ただただ静かに目の前の事象に疑問を呈しているだけだ。
「なんで。手が熱い、痛い。
助けて、助けて」
目の前に見せられる白皮の腕は、怯む小動物そのものだ。
自らの白く汚れない皮膚に刻まれた傷と痛みに怯え、来るはずもない助けを求めていた。
その声を静かに息音も立てずに清聴する。
視線を声吐く少女へと向けた。
特徴は、
そして何よりも白月の光を塗りたくったような、幻想的な白光を放つ二本の美しい腕だった。
「なんで、なんで?」
困惑を載せた美声を振り撒いていた。
漏れる声の強弱や色、その全てが切り崩したいほど憎たらしいとこの瞬間に気づいた。
感情に含まれる何かが体の奥にて煮える、まるで心臓の鼓動のように蠢いていた。
それに手をつけて了えば、目の前に佇む少女を殺せるのではないかと思った。
攻撃をしてくる様子もなく、攻撃するにも数コンマ置かないといけないほどに、極限までとはいかずとも幾分か緩みきった態勢である。
その中でも最も狙いやすい腕に、銃口差し向けるように目の焦点を掛ける。
気が覚めると腕に力が入っていた。
造作を持ってしてですらこもらなかった力が、簡単に腕の中に宿ってしまったのだ。
順を辿るように脚にも続々と、全く同じ道理で力が宿る。
「いける……腕の二本は折れる」
それに歓喜を示す証明に、己の独白を空間にまぶした。
空にする。
感情に溺れた心から、雑念の全てを呼吸と共に排斥する。
視界に広がる背景すら殺風景に等しく思い、ただ目の前にいる標的だけに、意識の全てを集中させる。
二本の腕の破壊だけに思考の針を傾ける。
思考を体と八百万の本数が伸びる、筋繊維に紡ぐ。
「異界幻像機動……」
水滴の落下の如く短い言葉を綴る。
肉体の余分な錘を捨て行き、己を武器そのものに組み換える。
真刀に匹敵するほどの鋭さを、冬日の海を凌ぐ氷すら及ばない冷たさを───唯々求める。
そよ風の靡く音すら耳孔に寄せず、聴覚を抜出する。
その容量の全てを手の内に織られた、網状の感覚神経へと圧縮する。
「破壊する……徹底的に」
狼煙を上げる。
それはもはや全てを捨て去る覚悟の、決死の言霊そのものであった。
一度でも足を踏み外してしまえば、反撃で一撃で葬り去られる可能性だけが存在するまさにhigh-risk Unknown-return。
高いリスクを持つ代わりに、幸か不幸か分からない成果が返ってくる。
一世一代の賭け。
「…………っ!」
石固めの地を踏みしきり、砕くほどの力で目標へと突貫す。
空気は氷河の如く堅牢なものへと至り、刀剣の鋒のように鋭利なものとなる。
頬を掠める
目前には白月にも劣らぬ光を放つ腕が迫る。
あと時間の刻が一寸を過ぎれば、両腕を砕き折っている想像が脳裏をよぎる。
だがそれを想像で
期待は目の前にある。
あの行儀良く目前にまで引き伸ばされ腕、二つ同時に卸せばそれで終わり。
順などひと二つあるかどうか、適切に下せば数秒足らずで終わる。
「いっけぁぁぁぁぁ!!」
両腕の肩と関節を引き曲げる。
両者に仕組まれた複雑な骨が、弾けるような音を鳴らせて唸る。
その音、弾けるといえども……鋼鉄同士がぶつかり合うような、なんとも刀剣の類を連想させるもの。
故、自身が鋼鉄にて殺気唆る刀そのものであった。
鋭い空気の中を駆ける、夏気を濯ぎ冷気を見せる。
身体に刻まれた血管の中を走る、血液の痛み抱く温かさが理解できる。
「……あぇ?」
白腕を掴む、少女の顔が間近に映る。
まこと痛々しく業に罪科が沸き立つも、
凡そ人の物とは言えない体裁であったものの、人肌が持つ偏らない温度、骨の硬質、下腕の柔らかい脂肪の感触。
其れは人同然のモノである、寸分違わないがよく良く似合ふ。
どう角度を入れ変え観ようとも、眼球を抉り出して観ても……。
ただ人腕の型を模しただけの、白い発光体としか言えないモノ。
その真実に心の表を打たれながらも、締めた使命は怠ることはない。
骨は有することは理解済。
あとは骨を叩き折ることに、この数秒全てを賭けうる。
「つ」
両手の指に慣れ慣れた法で力を詰める。
布のように柔らかい皮下脂肪の群が、内手の甲にのめり込む。
勢い任せに初めて
「や、あ」
少女の呻きが耳元を穿った。
可哀想などと云うべき憐憫は、前頭葉を包まなかった。
────かくて少女の骨は砕けた。
カルシウムとタンパク質の鍾乳石が分断される音は、達成感が身に余るほど炊ける。
「ごぉうぁ……っおあぁぁぁゞゞゞゞ」
体が飲んだ力の勢いが有り余り、そのまま正面の瓦礫に突っ込んだ。
ながら一寸も痛みはなく、ただ石灰の粉塵に身が包まれるだけだ。
少女の声が揺れ靡く。
その声はまことに心が疼く、初恋のように美しかった。
透き通った人間らしい声が、これまでかと言うほど耳に響いた。
鼓膜が鼓動し、脳に直接語りかけてくるように聞こえる。
だが痛そうだとは思わなかった。
寧ろ体が麻痺するほどの、とてつもない喜びに包まれたのだ。
"やってやったぞ"という自慢げか、"やってのけた"という達成感からか。
その二つのどちらか、はたまた別の気から来たのか。
だが身体全体を駆け抜ける、胸を疼かせる蜜のような何かははっきりと証明していた。
呼吸が木が揺れるように乱れる。
身体の感覚がヒシヒシと戻り始め、皮膚から滴る汗が毛穴を突く。
動けない。
今こそが天に昇るか、地の底に落ちるかのチャンスというのに。
身体の神経は黙りこくり、役目を忘れ眠りにふけていた。
第54話 終
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