第53話 逃

灰色。

俗世では他にも、ネズミ色などと言われる。

黒と白という色の大源を混ぜ合わせた、真の大源とも言える色だ。

しかしこの色を大声で好きと言えるほどに、好む者は星の一部ほど少ない。

灰色は白と黒の合わさる真の大源であるもののの、ネズミ色に埋め込まれた印象は人が湧き立つものはない。

所詮は二色の狭間にある、陰影のような存在なのだ。


だが私はこの二色が大好きなのだ、私の心に火を灯す一等星なのだ。

私の暗く埋まらない心を端から端まで灯してくれる、慈愛に満ち溢れた色そのものなのだ。

みんなが目を背けるものが、私の心を癒してくれていたのだ。

まるで水を陶器の器に注ぐように、私に癒しというモノを心に注いでくれたのだ。


私が殺した人々の山積みの末にできた、指先まで血まみれの手を拭ってくれる。

外の世界によって冷やされた心を、暖かさで癒してくれる。


私の罪科を遠い遠い存在にしてくれる、たった一つの希望だった。


だが私は……私は、その灰色すらも失ってしまった。

……厳密には失ってはいない、しかし奴らという存在が入ってきた時点で、私の灰色の世界は汚された。

全てが無機質な灰色な世界に、無機質な私の心に……奴らという目が眩むほどに感情が詰め込まれた、私が反吐ほど嫌う存在が現れた。


生きた人間、私はこの存在が大嫌いだ。


どんなことでも感情を物差しに考え、悪や善などと断言する。

自身の都合を善として、不都合を悪とする。

私はこんな物事すべてを、どこか破綻させたような考え方をする、幼稚な知的生命体が大嫌いだ。

自身の正しい道だと信じれば、同族の人間ですら殺すことができる。

私はそう考えながら、今までたくさんの人々を、自身のこの魔術ちからで屠り続けた。

”あの方“の頼みが来たら、魔術という星の弩弓を人の渦に射ち放つ。


それが私の使命であり、私の役目であり……。

私が私の心に、灰色を埋め立てる手引きなのだから。



ソロスヴェーニャ・アンヴィシリカ=アルラ・カルラ……。

ソンブレロ。


私の身に焼き刻まれた銘だ。

私という、骨と肉と血の塊に付けられたの名前。


私は目覚めと同時に意識の扉を開いた、それが私の始まりだった。

鼻腔から漏れる息、肌身に触れる大気、そして夢心地の頭に焚べられる黒に燻った罪悪感。

それが私の朝に据えられたモノだった。

いかにして普通、当然にして普遍、普遍にして不変。


そうやって私は今日も昨日も、そして明日も生きるだろう。

一生無くならない。

そもそも死がないのなら、一生と言えるのかすら分からない。

無生、そう呼ぼう。

不老不死は断然、生きていない。

生きていると言うのは終わりがあるからであって、終わりがないことを生きると言うのは破綻しているからだ。


でも、やっとチャンスが回ったんだ。

これで私を殺してくれる、処刑人きゅうせいしゅが現れたんだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



青年の鉾のような杖が、先端を発光させながら胸を穿った。

胸を穿った光は少女の胸のうちに、吸い込まれ消えていった。

乾いた土に飲み込まれる、水雫に見えた。


「…………これで終わったよ」


青年が漏らした室内に轟く声は、どこか消沈しきったものであった。

吹き抜けた階段に響くような、木枯らしに淘汰されてしまうほど小さい風そのもの。

聞いているこちらですらも、視線を下方に向けてしまう。


「もう動かないはずだよ、多摩市を壊した感覚が腕の中に走った。

でも私の姉は相当な魔術を持つ者、まだ息を隠しているかもしれない」


青年は手を下した出来事を、生々しくどこか無感情に語った。

まるで魂の内に塞ぎ込んだ何かの心臓に、刃先を突きつけたかのようであった。

しかしその言葉の片鱗からは、自身の行いに対する罪悪感を、混濁させ語っているようにも聞こえた。

自身の手から放った死という存在を、噛み締めているようであった。


「背を向けながら歩いてはいけないよ、一人ずつこの階の階段を降りて」


青年はこの箱部屋に集まる者たちに、諭すかのように語った。

その語る声すらもやはりと言うべきか、冷たい悲壮感を身の肌で感じられた。


「じゃあ、誰から降りる?」


白髪の少女が、台詞を書き記すように声を放った。

その途端、言葉が続くかと思いきや、部屋には静寂が広まった。

聴覚の音波計の乱れる波線が、一直線に伸び切った。


するとこの場にいた全員の目線が、一様にして俺に差し向けられた。

向けられる全ての目線は、まるで寒気に冷やされたナイフのようだ。

身体中に織られた肉皮に込められた水分が、加減ない冷気に晒されたかのようだった。


「七星クンを優先した方がいいかもしれないね、君が決して無力とは言う気は無いけれど、君にはコレに対して対処ができないと思うからね」


彼女の優しい言葉が耳元を過ぎ去った。

その声に秘められたのは、傷を受けてほしく無いという一途な願いだった。

その味は子を心配する母親か、弟に気をかける姉のようであった。


「俺もそれを推薦する」


「同言だ」


初手に金髪の巨漢が、言葉を切り出した。

切り出された声に続きこの場に集っていた、もう一人の白髪の男が声を漏らした。

会話内容は先ほどの彼女の言葉に、賛推の意を示すモノであった。


「そういうことだから、七星クンに要求する」


彼女は集った意見を取りまとめ、結論の杭を打ちつけた。

その思念固まった結論の矛先を突かれるは、紛う事なきこの俺であった。


「じゃあ……先に失礼しますね」


縮毛のように短く細く角張った、意気抜けた声で返した。

そこの肉塊より、少しまともに魂が鼓動しているだけだった。


そのまま風の軌道を残すかのように、その場から身を引き離した。

耳に響き渡る靴底の音は須くとも綴るべきか、脳の血管に染み渡るほど冷たかった。

体の奥底の奥に透き通るとも、言えてしまうものだった。


視界が横に関節曲がりすると、角角とした灰の階段が現れた。

その吸い込まれるような奥に広がる、また苦同じ色をした床は、体を貫くような淋しさが煙たがっていた。



「……」


何かが脳幹を貫いたような気がする。

だがそれに意識の片鱗を傾けるようなことは、全くしなかった。

どうでもいいコトであるのに、引き剥がさぬように脳裏に焼き付いた。


地道にことを進めるように、何も考えずに階段の段という凹みに、靴底を擦り付けてはその下部にある凹みに足をつける。

角でできた床を歩み、爪先を伸ばせば床が間も無く、というところまで近づいた。

その小さくも一つの結末を締めるような、物事を終わりへとき放った。


「ふぅ……」


躊躇うことなく最後の一段を踏み締め、足を多変ない灰色の床に落とした。

石質特有の鈍い音が、水紋のようにくねりながら広がった。


「みんな、大丈夫かな」


杞憂呆然。

己が一番の弱きだと知りながらも、仲間の身を案じるその姿勢と思考は、どこまでも愚直で真面目ったらしいもの。

もしこの場でビル倒壊級の爆発が起きれば、最先に命を散らすのは己である。


しかしそれは"もし"ではなく、今であるのだ。

この人二人分ほどの短い階段を登れば、全てを雲散霧消にしてしまう、規格外の存在が付しているのだ。


「……今は、自分の身を案じよう」


仲間の安否という思考を切り落とし、己にだけ両眼を差し置いた。

もはや隠す気もない身の保身、ただそれだけが澄んだ心に染み渡った。


“壁に腰でも掛けよう、階段を椅子にしたら嫌な予感がする”


風のない日の弾道のように、まっすぐな直感に従う。

真正面に展開された灰色の壁に身を向わせ、腰を接舷させるように付け、体にストレスが溜まるほど硬いコンクリートの床に座る。


「あっ」


時間潰しに自らの平手を覗いた。

手には砂浜でも擦ったかのように、石質の粉塵が皮にのめり付いていた。

灰色、白、土混じりの砂、規則性のない粒々たちだった。


「……ふうん」


その粒子の群を瞳に映し、意味も定まっていない言葉を吐く。

何もこもっていない浅くも深くもなく、ただ水平で何もない言葉だった。


「本当に死んだのかな、本当に……死んだのかな」


弱さだけが表裏に煮詰まった言葉を吐いた。

それは恐怖から来たモノか、魔術に対する疑心暗鬼から来たモノか。

すでに考えが台詞に支配され尽くした自身には、その“題”に灰色の脳細胞を掛ける余力はなかった。


「なんだかあっけない、どこかあっけない。

なにしろ都合が良すぎる、名前や伝承に釣り合った力が見えてない」


寸前から流れ続けた思案を、絶え間なく言葉に練り漏らし続ける。


「いや……大丈夫かな」 


想像でしかない前途洋々を、思考のうちに巡らせる。

この先の事象など複雑怪奇で、人間の思考で予測できる範疇にはない。


夏なのに乾いたように冷たい風が、首の頸を切り裂いていく。

首の神経を伝って、体全体が言語化不明の冷たさに包まれる。

閉じ込めたはずの疑心暗鬼が、またも身を脅かさんと潜んだ心の奥地から、鉄砲水のように溢れ始めたのだった。


地の底から這い登ってくるような、何処かの奥から魂に触れる。

鷹の爪のような鋭い"尖"が、心を切り裂くように抉りに抉る。


身体を鞠のように丸く蹲る。

まるで周囲からの形容不明なものから守ようにか、はたまた自らのうちに潜む何かを閉じ込めるかのように。



「七星クン逃げて……!!」


正面から声が聞こえた、方位で表すのならば正面0°。

その靡く声は記憶の内にて、髪を揺らす白髪の少女であった。

台詞の香りはまさに、救いの手を差し伸べるものそれであった。


下げた顔をあげ、正面に目を向ける。

一瞬だけ視界が歪んだものの、一瞬にして正常に入れ替わった。

追随を掛けるように、建物の全てが砕かれるように、轟音を垂らしながら揺れた。

まるで建物自体が一つの生き物のように、唸っていたのだ。


「……っあ!!」


衝動的に走り出す。

手前の伽藍とした筒抜けの窓枠に走り始める、まさしく建物の呼吸孔そのものに、足を掛け向けた。


自覚はしているものの、狂気的な方法そのものだった。

タガがギリギリまで緩み、もはや狂犬の成り行きの巡りとしか言えない。


目前まで窓枠が迫る、まさに命の先行きを決める二つの選択肢だった。

だがそんなものなどどうでもよく、強行的に窓枠を踏み台に、青々とした空を描く外に飛び込んだ。


眼下に見ゆるは夏の暑気を浴びる、不定形極まれる瓦礫たち。

地面を照らすだけですら、人の目に張られた網膜を焦がす太陽の日射光。

皮膚がよだつほどの暑さを身に呑ませる、白色筋のまいるほどの熱線。


だがその障害などどうでもいい。

今はただ一つ、身を保身の渦に飛び込ませることに全身全霊をかける。


異界幻像アナザー・ファントム機動!!」


全神経が脈拍うめいた

空気の流動や、体から漏れ出る多種数多の物質。

普段ならば、理解できないところまでが総じて理解できた。

放った”ただ“の弾頭の道筋が捻じ曲がり敵に向かうように、ありえないものがあり得てるように感じる。


地面が壁のように立ちはだかった。

不安定に積み重なった瓦礫の山に無策で落ちれば、全身が悉く砕かれ折れた骨が肉を裂き皮を抉る。

もはや千本針で貫かれた方が、何倍も幸せになるほどのもの。


だが、魔術コレがあれば違う。


「……、つ!!」


身体の力が抜け拡散されるように、四方八方に発散された。

全ての感覚が遠い彼方に置いてきたような、感覚すらも鈍る感覚に囚われた。

永遠とわの空を飛ぶ鳥のように、全ての呪縛から吐き出された気分だ。


自由落下を保ちながら、地に着する。

怪物のように見える瓦礫の峰に、突っ込んでいく。


「ぐぅあっ……!」


意識が瞬く間にカケラとかした、物で記すなら結晶を砕いたが妙的だ。


石のが如く重い槍のような衝撃が、身体の芯軸を貫いた。

もはや弾丸としか思えない、人の許容感知範囲の限度を越した速度だった。


しかし、決して痛くはない。

擦り傷ていどの痛みもない。

その度を超す、身体の骨が折れた感覚も、肉が抉られた感覚もなかった。


「……うぅ、大丈夫なのか。いや、声を出せてるのなら大丈夫」


自身の状況を独り言に起こす。

積み重なった瓦礫の一角に、背をのめりつけていた。

石質の物体が持つ特有の、冷たさが身体の露出した部分を襲った。

だが熱気が毛穴を突き刺す今季には、心地よさすら抱く。


だが余興は長くは持たなかった。


冷気に身を寄せた身体には、到底重すぎるものだった。

耳元で爆発が巻き起こったかのような、解れた心が動乱する音が鳴り響いた。


音なる方へと、視線の針路を傾けた。

それは先ほど飛び降りた、見上げるほど大きくない雑居ビルであった。

そのビルの最上階付近から、石灰色の粉雪のような粒子が降りしきる。


だが、忽然と静けさは消えた。

粒子の郡は、瞬く間に砂嵐のように吹きかかってきたのだ。

脳波の伝達よりも早く、身体が身勝手に動いた。

身体に指令を出したのは理性ではなく、深部に潜む粋な本能からであった。


立ち塞がる瓦礫の牟礼むれを、足場にして立ち所を移す。

今はただ自らを死というモノから避けるために、自身の全てを自身に奉る。

己の存在をこの世で最も至高で丁重であるべきものだと、認識を脳に巡らせる。


「はっはぁぁ、逃げないと……」


今はただ迫る脅威から、自身を切り離さなければならない。

それだけを藁へ縋るように想い続ける。


居座っていた地点から、三〇米メートルほど離れた。

瓦礫の断面を飾る粉が逃げ続ける間、身体の至る所に付着した。

だがそれは所詮汚れ、落とせばいいだけの単純な話。

それよりも優先に針を刺すべきは、体に襲いかかるこの疲労感だ。


一心不乱そのものを表すかの如く走り続けた体は、優しくない疲労に包まれていた。

今にでも枯れ木のように崩れ去っても、有様に違和感を抱くことはない。

心臓の鼓動だけで、体の内臓が破裂してしまいそうだ。

血管が拡張し全身から汗が漏れるほどに、体が加熱される。


「疲れた、休み……たい」


息も絶え絶えというべき声が喉より呻く。

もはや声すらも渇ききっており、耳元で呟かれなければ分からないほどだ。


「だけど。まだここで休んだらダメだ、まだまだ距離を取らないと」


水分を失った棒切れのような足をあげ、引きづりながら歩行する。

足は生まれたて子鹿など、同じ舞台に立てないほど震えていた。

恐怖と疲労諸共が混じった心情では、情緒と肉体を維持するだけでも、とんでもない苦労である。


しかしそれを札に休むことは、何があろうとも決して許されない。

ただ離れなければという必死な感情を胸に、足をとめどなく進める。



「死ね」


心の騒々しさすら、蜘蛛の子を散らすように引いた。

血管を全速力で駆け巡っていた熱い血液すら、挫いたかのように動きを弱らせた。

心臓は掴まれたと言わざるおえないほど、鼓動を潰すように弱めた。


声が聞こえたであろう後方に振り向いた。

その行動は、反射的や本能的だとしか説明できない。


「あっ……」


意識を無視して声が漏れた。

一直線に伸びた言葉は、渦巻く空気へ無造作に消えた。



俺の目の前にいる人物に、その言葉はどう感じられただろうか。

仇討つべき敵が漏らした、憎たらしい言葉に他ならなかっただろう。


本能が逃げろと叫んだ。

体も賢明それに従おうと頷いたのか、疲労困憊の足に力が込められた。


しかし、それは決められた結果かのように途切れた。


「ぁ…………」


体のどこかが穿たれた。

どこかしか分からない、詳細な位置を上げることはできない、くまなくまで混乱しきった脳内には理解ができなかった。


だが一つ。

これは間違いなく、最大級の危機だと。



第53話 終

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